穴にハマったアリスたち

生きてれば楽しい事がいっぱいある!の証明の為のページ。ぴちぴちピッチを大応援。第三期をぜひ!
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「episode29:全員集合!スペシャルショート」マーメイドメロディーぴちぴちピッチ aqua(なかよし2024年11月号)感想

2024年12月26日 | マーメイドメロディー ぴちぴちピッチ
■「episode29:全員集合!スペシャルショート」マーメイドメロディーぴちぴちピッチ aqua(なかよし2024年11月号)感想


なかよし 2024年11月号 [2024年10月3日発売]【電子書籍】[ なかよし編集部 ]

おそろしく間が開いてしまいましたが、遅ればせながら感想です。
といってもショート編なのでストーリー的には書くことがない。はずなのに恐るべき情報量を誇るショートでした。

星羅:
「オレンジパールボイス!」
「ホーリー・ピュア・ピッチ!」

何を言ってるんだこの子は。
およそ20年の時を経て、決め台詞が公表されました。なんなんだこの展開。

しかも「ホーリー」とか言っています。たぶん決戦が聖夜だったことに引っ掛けてるんでしょうけど、沙羅さんまで「ホーリー」。
そして二人とも敵サイドに寝返ってる。ホーリーってなんだ。

真ん中の「ピュア」は、まぁピュアピュアなので納得。納得するしかない。
そう思うと「ホーリー・ピュア・ピッチ」は20年前でも予想できなくはない範囲か。予想してても戯言だと一蹴されそう。

「aqua」が始まって早3年。考えてもみれば、第1期+第2期のアニメ放送期間よりも「aqua」連載期間が長い。
原作版も連載が3年半なので、そろそろ越えそうです。もはや「aqua」の方が本編とも言える。未来を歩んでる感が素晴らしい。

個人的に本放送中から今年に至るまでの20年、特定の誰かに絞って応援してきてはいなかったのですが、トロピカルフルーツサンデーにゴロンとやられ、星羅の旗を掲げることにしました。作品のファンになって20年後に推しに陥ることって、あるんだな…。
アニメでのピュアピュアな星羅さんも、不意打ちアタックで至近距離からお歌を浴びせかける星羅さんも、トロピカルフルーツサンデーしてるところを爆笑される星羅さんも、盛大に闇落ちなさって謎の誘惑ムーブしてくる星羅さんも、トロピカルフルーツサンデーされてあっさり無力化される星羅さんも大変に可愛いです。

今年もありがたいことに様々な企画や展開がありました。
情報面では先ほどの決め台詞の決定、そして星羅の誕生日も確定した(12月26日!おめでとうございます)。
イベントだと、家族で遊んだ八景島シーパラダイスでのコラボが特に思い出に残ってます。舞台が海辺で水族館なのは、ぴちぴちピッチにぴったり。あと屋外で、ぴっち目当てではない他の人たちの目にも触れているのが、何やら妙に嬉しかった。昔を思い出した大人や、これをきっかけに視聴するお子様がいたら良いな。謎の魚を持ちあげてる星羅も大層かわいかった。

あとスカイツリーでのライブ…!三人vsBBSの公式ライブは過去にもなかった。ありえない。素晴らしい。
イントロが流れ、何が歌われるのかを察知した瞬間に悲鳴がこだまする。あのイベントを20年以上も過ぎた今、実現してくれたことに感謝しかない。
幻のKODOUの振り付けとか、BBSとのシナリオパートとか、ちょっと言葉にまとめきれない。

「aqua」は来年も続いてくれるし、グッズも続々決まっています。感覚が麻痺しつつあるけど、このお祭り騒ぎは当たり前のことではない。
星羅のグッズなんて、放送当時から20年間、ほぼ何もなかったものな…。いや本当にありがたすぎる。
できることなんて特にはありませんが、せめてせっせと参加&購入するので、どうか来年もその次もこの勢いで進んで欲しいです。まさしく「夢のその先へ」。
「ぴっち」の全盛期は今だと思えることが、とても幸せです。

欲を言うなら「aqua」のアニメ化を切に希望。
Web公開のショートムービーとか新曲の作成とか、クラウドファンディングや注文制作でやってくれないかしら。
あと「aqua」もグッズ化して欲しいです。高校生版星羅とか、闇落ち星羅とか、いっぱい欲しい。
「ピュア」についても、中学制服の星羅とか、私服星羅とか、まだ出てないのが多数あると思う。いっぱい欲しい。

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(第46話)わんだふるぷりきゅあ!「メェェェリィクリスマス!」

2024年12月22日 | わんだふるぷりきゅあ!
■(第46話)わんだふるぷりきゅあ!「メェェェリィクリスマス!」

ユキさんのまとめ回。美しかった。かつての寒い雪の日からの変化。今ちょうど冬で、クリスマスのイメージにも合う。
そして「猫屋敷回だろう。紡いで云々でザクロとガオウ様の間を取り持つ的なことをするんだろう。ただそれだとユキの出番がないな」と思い込んでいたので、素直に脱帽。

「特別なワンダフル」は、悪く言えば執着・妄信・依存・過保護等々。普通ではない状態なので、美しい面もあれば、醜い面もある。
ユキの猫屋敷さんへの感情はおそらくは特ワ。猫屋敷さんのためなら世界の全てを敵視もする。
それがいつの間にやら、猫屋敷さんがピンチになっても犬飼さんに信頼して任せ、自分は他のやるべきことをやるように。

この状態をザクロさんのそれと重ね、世界には他者が多数いることに目を向けさせる。共通の想いを足掛かりにするのは綺麗。
残念ながらザクロさんは撤退なされましたが、もしも「クリスマス会には、ガオウも一緒に」の一言があったなら、終戦してたような気すらする。

【もう一つの特ワ】
悟くんとその彼女は、今日も今日とて特ワをなさってた。
そして今日も今日とて不可解なことに、2人だけのプレゼントの贈り合いを何故か皆の前でなし崩しで行ってる。

告白の時。悟くんはヘタレたのに、メエメエのお漏らしにより結果的に上手く行きました。皆の目の前で。
今回も雰囲気づくりを悩んでいる内に、犬飼さんの方からズカズカやってきて、結果的に上手く行きました。皆の目の前で。

意味を見出すとしたら、普通のワンダフルからの逸脱を抑止するため…とかかな。
ユキ→まゆや、ザクロ→ガオウ(おそらくはガオウ→スバルも)は、否定的な側面が描かれています。
犬飼さんと悟くんがそうならないように、普通のワンダフルである周囲との繋がりを強調しているのかもしれない。

また、いつの間にかこむぎも特ワを認識して応援し(どのような理解してるのかは不明)、なんと犬飼さんとは別行動を積極的に取っています。
きっかけはデートから引き離され、ユキ達に拉致られたあたりと思われる。あれは気の毒とはいえば気の毒でしたが、結果としてこむぎの世界は広がった。
犬飼さんが特別なワンダフルにかまけてくれたおかげで、こむぎの普通のワンダフルが豊かになった(そしていつかは特別なワンダフルに巡り合うのかもしれない)。
親離れと子離れとも言えそう。

ユキの視点で見ても、こむぎとの距離が明確に縮まったのは、そのデートの一件じゃなかろうか。もしくは映画。
主たる目的は別のところにあったけど、新しい関係性が深まった。ニコ様が口にする「縁」そのものに思える。

上述の悟くんのなし崩しイベントも、「縁」を重視しているからなのかも。
映画での公園の工事等々、ある日突然思いもかけぬことが起きる。
その出来事の善悪はともかく、変化を良い方に活かしていけるのか?とかそういったことだろうか。
それこそ、死や絶滅のような究極的な別れが起きた場合も含めて。

こむぎは飼い犬なので、ご主人不在で世界を広げる必要があるんだろうか?は疑問ではあるけど、動物仲間との輪であれば、それほど不自然ではないかな。
ふと気が付いたら猫屋敷さんが一人なのは、何かどうにかなるのかしら。いや旧友とかいるし、クラスでも活躍なさってるようですけど。というかだから猫屋敷さんの交友関係の描写が多かったのかも。

あと年内最後がまさかの蟹江さんでした。意表を突かれすぎて、記憶が一瞬全部とんだ。

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(第45話)わんだふるぷりきゅあ!「ずっとずっと友達」

2024年12月19日 | わんだふるぷりきゅあ!
■(第45話)わんだふるぷりきゅあ!「ずっとずっと友達」

犬飼さんの総まとめ回(おそらく)。
ここに至るまで色々あったけど、終わってみればそこまで変なことにはなっていなかったのかもしれない。

今回、犬飼さんは一人思い悩んでいました。
まず大事な点として、「こむぎの死を予感して悩んでいるのではない」は強調しておきたい。
そのような言及は劇中で出てきていません。

可能性として推察することは可能ですが、劇中人物の視点でいえば「フクちゃんの死を悲しんでいる」が第一でしょう。
犬飼さんとフクちゃんは幼馴染のようなものですから、まずは何よりフクちゃんの死が犬飼さんにとっては重要です。
こむぎは現時点で元気なんですから、幼馴染の死をほったらかして、こむぎのことを気にするのは奇妙です。犬飼さんのキャラとしても納得しがたい。

その上で、悲しんでいるお鶴さんが、友人たちの寄り添いで立ち直ろうと前を向いていることを犬飼さんは知ります。
フクちゃんの死が覆るわけではない。友人が直接何かをできるのでもない。
それでも共にいてくれるだけで、何某かの力になる。

犬飼さんは気づく。親しくなれば、相手にとって救いになる。
だからトラメとも遊ぶ。

今までも彼女は他者と仲良くしたがっていました。
こむぎも、悟くんも、猫屋敷さんも、それで救われた。
犬飼さん自身は「救ってやろう」と大上段に構えて親しくしていたのではなく、「一緒だとワンダフルだから」というそれだけでしょう。

ですが今回、自覚した。親しくなれば、相手にとって救いになる。

犬飼さんに対する批評として「何で仲良くしようとするのか分からない」といったものを見かけましたが、それへの直接のアンサー。
行動そのものは以前と変わらなくても、自覚して行っているかは大きな違い。故に、犬飼さんの成長としても上手く着地しています。

(付け加えると「獣医の娘なのに今まで死を知らなかったのか」についても、「フクちゃんの死を悲しんでいる(こむぎの死の予感ではない)」のなら解決します。死を知っていても、実際に亡くなったら悲しい)

振り返ってみれば、犬飼さんは内面がよく分からなかった。
何か仕掛けがあると思い続けていましたが、「無自覚に行ってきたことを自覚する」という流れだったっぽい。

「私が仲良くしてあげれば、あなたは救われるよ」はかなり傲慢とも言える思想ですから、最初から言語化するのはまずい。
なのでここに至るまでに、こむぎ達が犬飼さんに救われた描写を見せる。犬飼さんも恩着せがましく狙って仲良くしていたわけでもない。無自覚にやってきた体裁で、いろはが他者と仲良くしたがるのは当然であると、見せ続ける必要があったのかもしれない。

こむぎは以前「絶滅」のことを「友達がいなくなる」と表現していました。
一般的な意味でいえばかなり不自然な表現ですが、今回の話とは整合が取れています。
プリキュア能力を「こむぎと共に走れる」「トラメと仲良くできる」に置き換えたのも、序盤への回帰的に上手い。

強いて言えば、犬飼さんが主役に見える展開なのが気がかりですが、ザクロを猫組が沈めるのであれば、幹部の枝払いをサブキュアがやっていく展開なのかもしれない。
ガオウ様をきちんとこむぎが解決するなら、それほど違和感はないと思う。

作戦会議の場面で、悟くんも猫屋敷さんも「ペットが傍にいればそれだけで救われる」を回答にしています。
ラストシーンの「こむぎ達がいるだけで救われる」はペットモチーフとしても真っ当な決着だと思います。何か具体的な役に立つから救われるのではなく、ただ居てくれるだけで救われる。綺麗に着地したと思う。

…のだけど、ノイズとミスリードが凄まじい。
最初に書いたように、犬飼さんの悩みは「こむぎの死の予感」ではない。
もしそれを悩んでいたのだとすると、幼馴染のフクちゃんの死がダシにされているし、お鶴さんや悟くん・猫屋敷さんと繋がりません。トラメにいたっては、「動物だからすぐ死ぬかもしれないけど、今は仲良くしたい」となってしまい、不可解なことになる。

トラメは絶滅(=友達がいなくなること)を悲しんでいる。
いろははフクちゃんの死を悲しんでいる。

いろはは、こむぎや悟くんたちの存在に救われた。
トラメも、友達がいれば救われるのではないか。

この方が綺麗に収まると思う。こむぎの寿命は直接の関係はない。

とはいえ制作サイドは、ミスリードされても構わない。どころか意図的にそうさせようとしている気配すら感じます。
もちろん私が間違ってる可能性もありますが、どうにも落ち着かない。

それもこれも原因の一つは、「死」の描写を避けてるせいだと思う。私らが見れば「ああ、フクちゃんは亡くなったんだな」と分かりますが、直接的な「死」の表現はない。「お墓」ではなく「供養塔」と表現するなど、普段なら分かりやすさを重視するのに、子供には難しい表現を使っています。犬飼さんの悩みもぼかされている。
分かる人だけ分かれの方針も悪いとまでは思いませんが、犬飼さんの総決算で彼女のキャラクターに大きく関わる部分が、ミスリードによって激変してしまうのは切ないものがある(繰り返しますが、私が間違ってる可能性も大いにある)。

【特ワと普ワ】
物議を醸した「特別なワンダフル」と「普通のワンダフル」について。

ひとまず今の理解としては、普通のワンダフルとは「自然の摂理に従った別れを許容する関係」かなと思ってます。
フクちゃんは自分より先に死ぬ。お鶴さんや犬飼父母も、先に死ぬ。
悲しいことだけど、寿命による順番です。自然の摂理として受け入れる。

一方で特別なワンダフルは「摂理を捻じ曲げてでも一緒にいたい関係」。
美しいとも言えるし、醜いとも言える。死んでも反魂だか暗黒蘇生術だかで復活を試みるような感じ。
スバルとガオウはおそらくはこれで、執着のあまりオオカミ一族(普通のワンダフル)を絶滅させてしまうような悲劇を招いたのではないかなと。

「明日喧嘩するとしても今日仲良くしないのは寂しい」(普通のワンダフル。いずれ起きる喧嘩を受け入れている)や、「離れたくない」(特別なワンダフル)などの描写と合致。映画のムジナの行動も説明できる。

この解釈ならどうにか、特ワ普ワも許容できる…と思いたい。

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(第44話)わんだふるぷりきゅあ!「たくさんの幸せ」

2024年12月08日 | わんだふるぷりきゅあ!
■(第44話)わんだふるぷりきゅあ!「たくさんの幸せ」

放送開始前から噂されていたペットとの死別回。率直に言うなら、嫌いなタイプのお話でした。
以下、勢い任せで書くので、不快な方はご遠慮ください。
また明らかに来週と併せての前後編のようなので、前半だけでだと不当な感想も含まれていると思います。ご了承ください。

【鉄板、鉄板、超鉄板】
今回の話の問題点として、ざっと3つある。

(1) プリキュアが絡んでいない
(2) 死ぬために急に出てきたキャラクターである
(3) こむぎの死(またはその匂わせ)を期待されている

犬飼さんは幼いころからフクちゃんと交流があり、彼女の視点では無関係のモブではない。幼馴染といってもいい。
ですが今まで特に強調して描かれてもおらず、死んで感動してもらうために生まれたキャラです。

もちろんドキプリのマシュマロ等、死ぬためのゲストキャラは多数いる。

それ自体はおかしくはないのですが、マシュマロ達は直接にプリキュアと関わりがあり、そのエピソードではメインです。
フクちゃんは事情が異なる。あくまで「知り合いの飼い犬」です。そして「こむぎの死の予感」がメイン(ネットの反応や来週の展開から)。
ドキプリ映画でいうなら、マシュマロが近所の仲良しの犬で、メインの話題が「六花たちもこうやって切り捨てる未来が来る」だったとしたら、リアクションに悩む。
(マシュマロは「幸せの王子」のツバメであり、同じくツバメの六花たちの犠牲も示唆されているのですが、映画中ではそこがメインではない)

関係性のみならず、ストーリー的にもプリキュアは直接関与していません(※後述)
ティラノを倒すことはできず、フクちゃんの異常にも、トラメの譲歩にも気づいていない。
これは意図してやっている作劇だとも思うのですが、プリキュアが蚊帳の外にいるお話なわけで、通常なら批判されるポイントだと思います。
例えばこれが「お弁当の配達に間に合わない!」とかのエピソードだったら、「プリキュアは何やってんの?」となるのでは。

・皆で食堂で和気あいあい
・敵が出たので中座して戦いに。
・その間に配達の注文が入り、店員さんが出発(プリキュアは認識していない)
・大変だ!道に穴が開いている!このままじゃ約束の時間に間に合わないぞ!(プリキュアは認識していない)
・敵幹部が戦闘放棄して、道路復旧(プリキュアは認識していない)

シュールなギャグ回では。

ところが「動物の死」という鉄板中の鉄板の感動ネタにより、構成の問題点は塗りつぶされ、神回・名作・踏み込んだ意欲回になってしまう。
じゃあもう動物が毎回死んでればいいじゃん、今までのコンテンツ作りなんだったの?…は逆ギレしすぎですが、まぁモヤモヤはする。

そして一連の行き着く先は、こむぎの死です。
露骨に「死んでくれ」と思ってる人はそうはいないでしょうけど、「死ぬかな?死ぬのかな?」と『衝撃の展開』を期待してる向きは感じます。
死なずに終わったらそれはそれで「まぁそこまでは無理だよね」とか「死なないで良かった」とか、死を中心に語られるように思う。

念のため触れておくと、わんぷりさんは「いつか来る別れ」を想定しているように思えます。
ユキ転入回での「明日喧嘩するとしても、今日仲良くしないのは悲しい」や、映画のこむぎの台詞や展開、鏡石の逸話に示唆される将来起きる仲違い等、関係性の終わりは繰り返し出てきます。死別もその一つでしょう。
プリキュアシリーズ全体としても、「死」(避けられぬ終わり)は根底のひとつなので、ペットの死を扱うのはおかしくはない。

ただ最大の注目が「(寿命で)死ぬかどうか」の主人公って、どうなんだろう。

【プリキュアらしからぬ…?】
放送終了直後すぐに、ネットニュースで「ペットの死を描き反響」と掲載されました。手ぐすね引いて待っていた提灯記事、気持ち悪い。

まず、「死」はこれまでに何度も扱われています。
犬に限っても前述のドキプリのマシュマロや、ハピネスチャージのデビット。
それ以外なら、せつな、コロン、月影父、黄瀬父、シャロン、オアシス、和実祖母、カイゼリン父、等々とっさに思いつくだけでも多数ある。
したがって「普段は呑気なプリキュアが、異例中の異例で神回を放送した」ような評価は釈然としない。

また、今後この回がわんぷりを代表する回として無条件に言われかねないのも気になります。
同種の事例としては、はぐプリの若宮アンリ変身回がある。

はぐプリを紹介しようとすると、「男子プリキュアが初登場」が真っ先に挙がる。
アンリは大事なストーリーを持つ重要なキャラクターではありますが、1年やってきた放送の看板がレギュラー陣が直接関係しないそれなの?
私がはぐプリが好きなだけに、非常にもどかしい。

今回も同様です。
プリキュア特集的な番組を思い浮かべてみよう。わんぷりの紹介シーンでは「特別なワンダフル」の後に「ペットの死にも向き合った」のナレーションと共に、フクちゃんのシーンがいかにも映りそう。そこがわんぷりの顔なの?この1年は、実質初登場の犬の死に後塵を期すの?

来週どのような展開になるかに大きく依存するので、かなりの勇み足の言いがかりにはなりますが、上記のままだと主人公こむぎの立つ瀬がない。
序盤の犬飼さんとの絆云々は忘れ去られ、「死を予感されるキャラ」として記憶されてしまう。だってわんぷりの代表シーンが「特別なワンダフル」と「ペットの死」なんだから。
(しかも「特別なワンダフル」と「ペットの死」は非常に相性が悪い。こむぎが普通のワンダフルであることが明言された後に、ペットの死のシーンを流されたら、どんな反応すればいいか分からない)

【お気持ちのまとめ】
そういったわけで、「ペットが死んだから神回」とは受け取りたくないし、そのような広まり方もして欲しくないので、一感想として書き連ねてみた。
もし「動物が死んでるのにケチ付けるのか」のような気持ちが沸いたなら、それこそが書いてきた懸念点です。
動物が死ねば他の問題点は全部チャラで批判も許されず、無条件に神回になってしまうのはどうなんだろうか。

【蛇足】
『関係性のみならず、ストーリー的にもプリキュアは直接関与していません』について。

ストーリー面では、例えばこういうやり方はできる。

・ティラノとの戦闘中、焦って駆けているお鶴さんを遠目に発見。状況を察する。
・猫組がティラノを引き受け、犬組がお鶴さんを助けに行く。
・犬組の前に現れて邪魔するトラメ。
・いつになく強い調子で警告するフレンディ。トラメもフクちゃんの事態に気づく
・トラメ、犬組とフクちゃん達を見逃す
・猫組、大苦戦しながらもティラノを浄化

これだとストーリー的にプリキュアが関わってくる。

必ずしもこっちの方が良いとは思わない。放送されたものの方が構成がシンプルだし、トラメの決断が重い。
それに意図的にプリキュアの貢献度を下げているようにも見える作劇なので、例えば「プリキュアといえど命には関与できない」などの意味もあるのかもしれない。
(またもう一つの問題の、プリキュアと遠い関係性であることは、何も解決していない)

ただ「ストーリーへのプリキュアの関与」とはどういうことを言ってるのかのイメージ説明として、書いておきます。

【蛇足2】
今回の話により、ニコガーデンが仮に死後の世界だとすると、物凄く面倒なことになる。

フクちゃんそのものがそのままニコガーデンで生活する場合、今回の件が茶番になりかねず、ひいてはわんぷり全体のテイストが揺らぐ。

フクちゃんそのものではなく、犬の魂の集合体のようなものがキラリンドッグを形作る…のようなパターンの場合、プリキュアシリーズで否定し続けている同質化・同一化に抵触してしまう。

どちらに転んでもまずい。
今までにも死後の世界らしきものは描かれている(マシュマロや先代プリキュア等)ので、それ自体は今更ですが、今作はニコガーデンとの行き来ができるため他作とは影響度合いが全く違います。どうにか上手い着地をしてくれることを願います。

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(第43話)わんだふるぷりきゅあ!「つむがれる思い」

2024年12月01日 | わんだふるぷりきゅあ!
■(第43話)わんだふるぷりきゅあ!「つむがれる思い」

猫屋敷さんの最後の総まとめ回…かしら。

当初は挙動不審者、中盤は鬱陶しいカプ厨と、人間性すら危ぶまれた猫屋敷さんですが、前回に続いて健やかなる成長をアピールなされました。なんとクラスに友達がいる。そして人望もある。

先日の演劇回でも「ずっと衣装に目をつけてた」と言われました。彼女のスキルは高く評価されていたようです。
いやよく考えたら、その割に今の今まで特には親しくしてなかったともとれるけど。

何にせよ、彼女は級友の中心となってマフラーの編み方を教えることに。
どさくさ紛れでされた「マフラーを作ってくれ」とかいう男子からのとんでもないリクエストは、スルーしたようです。
私の古臭い感覚だと、女子に「手編みのマフラーくれ」と頼むのは、告白とほぼ同義に思える…。猫屋敷さん、そういうのには疎いのか何なのか。

しかも級友に飽き足らず、迷い込んできたザクロさんにも編み物ネタで接近した。
そして恋バナを振ってみた。見違えるほどの成長ぶり。あの人格すら疑われた他人様の恋路への介入が、こんな形で活かされるとは。

更には戦闘で、切られても切られてもネットを修復して応戦。
「切れた縁が元に戻る」はニコ様が度々口にしている重要概念のようですから、テーマ的にもばっちりです。
猫屋敷さんが仕事をなさってる。最後のまとめ回を、きっちり綺麗に完走なされた。

そういったわけでとても良い回でした。
ほぼ何の意味もない愉快なカットも盛りだくさんで、見ていてシンプルに飽きない。リリアンさんの真面目なパンダビームとかも、地味に愉快。

一方で、犬組がほぼ全く機能していません。
古文書の解読に勤しむ悟くん&ニコ様。ザクロと距離を詰める猫たち。それに比べて犬飼さんは、彼氏への手編みのマフラーに夢中になってただけです。

ただ、じゃあ何をやるのが正解だったのかと問うてみても、特にはない。
余計なことを考えないのなら、犬飼さんは十分に、彼女の持ってるものをフルに活かしています。

こむぎも同様で、ユキに毛糸を転がしたりと、できることはやってるし、それでお話の細かな楽しさを支えている。
なくても話の大筋には関係ありませんが、そういう無駄なお遊びがあるかないかは、受ける印象がかなり変わる。

そういったわけで、犬組に関してはもう構造的な問題で、1話ごとの脚本でどうこうなるものじゃなさそう。。
1年も終わりつつある今となっては、主人公:猫屋敷まゆにしていれば、今言われている問題の大半が消え去ったんじゃなかろうかと思ってみる。

【終わりに向けて】
現状を少し整理する。記憶違いもありそうですが、とりあえずこういう認識で居る。

(A)鏡石の逸話によれば、動物が話せるようになり、その後諍いが起きた
(B)トラメ達によれば、人間のせいでオオカミが滅びた。その際に何か裏切りのようなことが起きている
(C)狐崎さんの劇は創作なのでどこまで参考にしてよいか不明ですが、その中ではオオカミが村人とは違う人たちにやられている
(D)古文書によれば、スバルとオオカミが仲良くしていたら、村人がスバルを助けようとしてオオカミを攻撃した

情報が一致しません。
事情を知ってると思ってたニコ様も、実は把握していないらしい。

それと合わせて今作のテーマ。

①言葉にしないと想いは伝わらない
②言葉を話せなくても想いは伝わる
③言葉を話せるせいで、無用な誤解を招く
④言葉を話せるだけでは、想いは伝わらない

告白回等に意味を持たせようとすると①と思われます。
ですが、実際のペットは喋れないのだから、②を完全否定するのは考えづらい。

オオカミの絶滅との関係も不明です。
序盤では「鏡石の力で話せるようになったせいで、周囲が流したオオカミの悪い噂に騙された」のような③も絡めるのかと思ったのですが、いまいちはっきりしないまま。

例年ならば参考となる秋映画では、④の流れの「こむぎ(ムジナ)の熱い思いは、飼い主には直接には届かない」が描かれていました。
ここが主軸なら、今のこむぎの緩やかな放置のされっぷりは、意味を持ってくるかもしれない。

ただいずれにせよ、①~④がオオカミとどう関係しているのか分かりません。

ガオウの正体も謎のまま。
昔のオオカミの名前がガオウだと判明しましたが、そのガオウが今のガオウと同一人格かは不明。
可能性として、現ガオウ=スバルもありえそう。(A)~(D)、①~④を組み込もうとすると、その方が自然とすら思える。
仮に現ガオウ=スバルなのだとしたら、今回の猫屋敷さんからされた「矛盾している」の指摘も説明が付きます。今と昔とでは別人のガオウなんだから、方針がずれるのは当然となる。

こむぎは以前に「絶滅」のことを「友達がいなくなる」と理解していました。
この理解はかなり独特で、現ガオウ=オオカミのガオウだとすると、ちょっと意味が通らなくなる(ガオウ自身もオオカミならば、絶滅は自分の死も意味するため、「友達がいなくなる」は奇妙)。現ガオウ=スバルであれば、「友達がいなくなる」は合致します。
他にもザクロさんの「慕っていた相手が、実は別人で人間だった」はかなり大きな一石を投じそう。

例年と比べて(途中で展開を変えたと明言している昨年は除くとして)、物語の結末に関わる諸々が、いまだに不明確なまま。
ここから怒涛の展開になるのだと、期待したいです。

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