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「愛崎えみるの家庭事情」:HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察

2020年09月20日 | ハグプリ最終回考察
プリキュアシリーズ全体を見渡しても、かなり注目された愛崎家について考えてみる。


(「HUGっと!プリキュア」41話より)

人物の内面に言及する考察は、個人的には苦手で不得手です。「ホラー映画が好きな人は、殺人衝動がある」みたいな考察は不毛で下衆だと思うので。
ただ、愛崎家の件は少し気になるので整理してみた。できる範囲で気を付けはしましたが、私の主観や価値観がかなり入っているので、不快に思われたらすみません。あと、描写が各話に分散しているので見返せていません。記憶違いがあったらごめんなさい。

【祖父】

愛崎家のおじいさまは、固定観念に染まった人物のように受け止められているかと思う。ですが実際には違うように見えます。

第一に愛崎父母への対応です。頭の固い圧政者だったら、子夫婦の「狼藉」を許さないです。
俳呑(ハイドン)と都のどちらが実子か分かりませんが、ハイドンだとしたら命名の時点で突き抜けています(芸名や改名だとしても、それを許している)。
都だとしたらハイドンとの結婚を許しています。古い価値観に染まっているなら「婿養子にあの男を迎えるのか」がかなり疑問。(そもそも「結婚を許す」「婿養子」の発想が古いです)

自宅の改装をはじめ、一連から見えるのは「自分の価値観に全く合わなくても、子がやることを全否定はしない」人物像です。

えみるのギターに反対しているのも、劇中人物の視点では当然です。
たとえばライブイベントへの出演(41話)。祖父から見れば、小学生の孫がなぜか中学生とつるんで、何者かも分からない成人男性や、新興事務所の人とイベントに行くわけです。しかもライブ出演を知った経緯は、関係が険悪なクライアス社からの情報です。脅迫や犯罪すら警戒しそう。
挙句には謎の体調不良で声まで出なくなっています。この条件下では止めない方が異常だ。

なので祖父を頑迷な人物かのように評するのは、ちょっと申し訳ない。

【父母】

貴族を連想する服装や家、なぜか歌うように会話する。かなりエキセントリックで、家庭崩壊すらしているように見えます。ですがこれも、やや違うように思う。

前述したライブの際、父母はちゃんと「娘がライブに出演する」ことを知っていました。
えみるが話したのかもしれない。常識的に考えて、出演条件に「保護者の承諾」もいりそうです。
ただ何にせよ、彼らはちゃんと娘の行動を把握しています。(プリキュアの件は知りませんが、それは仕方ない)

先ほどは「なぜか中学生とつるんで」等書きましたが、おそらく父母は裏をとったと思われます。
幸か不幸か、同行者は名の知れた女優やフィギュア選手。素性はすぐに分かるし息子の同級生です。ハリーやパップルのことも調べれば評判は分かるでしょう。彼らとの接点も「娘(えみる)の友人(ことり)の姉(はな)つながり」なので、納得できなくはない。

これらの背景を踏まえると、ハイドンらはちゃんと「まとも」に思えます。
彼らの趣味が変わっているからといって、家庭崩壊や育児放棄を連想するのは、それこそが偏見でしょう。

【兄(1)】

リトル祖父として「古い価値観」の持ち主のようにも言われましたが、ちょっと擁護したい。
まず19話でのアンリ君の制服の注意。本来、論点がふたつある。

①なぜ、決められた服を着なければいけないのか。
②なぜ、男が女の服を着てはいけないのか。

19話での発端は①です。ルールに反していることに対しての「女の子のような恰好」なのですから、ここでいう「男は男らしく」は「男たるもの女々しい格好をするな」のような話ではなく、「男子用がこれだから」です。

別の例でいうと「学年ごとにワッペンの色が違う」とかと同じ。
サンクルミエール学園では、1年生は黄色、3年生は緑です。もし1年生が緑をつけていたら、「1年生は1年生らしく黄色をつけなさい」「3年生みたい。おかしいよね」と言われるはず。これは「1年生は目下として分をわきまえ黄色にせよ」ではなく、単なる区分けとして黄色が割当たっているからです。

これに偏見や価値観(1年生は目下だから黄色…?)を持ち込むのは、持ち込むその人こそが偏見の持ち主に思えます。
実際、アンリ君は結構固定観念に縛られており、クライアスからスカウトも受けています。「さそわれるならプリキュアだと思っていた」(33話)のに、実のところクライアス寄りだったのです。

野乃さんも「アンリくんはいつも否定から入る」と評しています。「だけどきちんと向き合えば気持ちを抱きしめてくれる」と続きますが、初めから全てを許容するキャラクターではありません。
この制服の一件も含め、「正人=固定観念、アンリ=自由」のような単純な構図ではないと思う。(だからこそ、吹っ切った際にプリキュアになるという最大級の演出がされている。なお性同一性障害のような話でもないし、「男がプリキュアになった!」の視点でみるのも違う)

19話ではその後に「女の子がヒーローはおかしい」「男なのにドレスを着ている」と続きます。
が、どちらも売り言葉に買い言葉の側面が強い。前者は「女ならヒロインだろ?」という(主婦じゃなくて主夫だろと類似の)揚げ足とりが発端にも思えるし、彼から見れば えみるは小学生の妹ですから「守られる側」と感じるのは必然です。えみるが弟だったとしても同じことを言いそうだ。

後者はこれまでの経緯があっての話でしょう。その後アンリ君自身も「お姫様ポジション」という表現を使い、それを受けた野乃さんも「お姫様=守られるもの」という前提の返しをしています。正人ばかりを固定観念の持ち主として扱うのはやっぱり申し訳ない。
(ついにでいえばこの「アンリ君」「野乃さん」という呼称もジェンダー問題の観点では引っかかる)

尤も、あえて「お姫様」の表現を使ったのは、「ヒーロー」に対するフォローだったのかもしれません。

・「ヒーローはおかしい」とは「女性を指す場合にはヒロインだ」ではなく、「ヒーロー=守るもの」「ヒロイン=守られるもの」を前提とした「女の子は守られるものだからおかしい」の意だ
・「お姫様ポジションはおかしい」とは「男性を指す場合には王子様だ」ではなく、「王子=守るもの」「姫=守られるもの」を前提とした「男は守るものだからおかしい」の意だ

かなり苦しい気もしますが、制作意図としては「ヒーロー」の言葉を使いたかったんだろうと思います。後述しますが一連のやりとりはジェンダー問題というより、プリキュアコンテンツの成立背景を下敷きにしているようにも見えますので。

【兄(2)】

えみるに対する「女の子がギターなんて」(15話)も話題になりました。
これも表面的にはジェンダー問題に見えますが、もっとややこしい話だと思います。

まずこの発言は
・「女(の子)がギターはおかしい」
・「(女の)子がギターはおかしい」
どちらでしょうか。

えみるはジャンル分けするならロックに片足を突っ込んでいるようですから、「子供がロックなんて」はそれほど違和感がないです。
もちろん子供がロックをやってもいい。いいのですが、ロックって音楽の種類であると同時に生き様とかも指すのでは?音楽と全く関係ない分野でも「ロックな生き方だ」等は言われます。

ではロック(な生き方)とは何かといえば、とりあえずは品行方正なロックはいまいちピンときません。ということは子供のえみるにさせたがらないのは、抑圧や束縛云々ではなく普通では。
(制作サイドもこれを警戒したのか、えみる自身は「ロックがやりたい」ではなく「ギターをやりたい」と表現している)

こう感じてしまうのは、「女がギターはおかしい」の概念が、そもそもないからだと思います。直前のシリーズの立神あおいさんや、スイートの黒川さんのように、ギター弾いてる子は普通にいる。同業他番組でも、アイドルやらバンドやらは珍しくない。「女がギターなんて」と言われても「差別だ」の前に「なんで?」が先に立ちます。
たとえるなら「素足でギターをやるなんておかしい」と言われたら、「差別」ではなく「何かそういうお約束の作法とか背景があるんだろうか?」「あ、活発に動くから怪我しやすいとか?」と混乱するはず。

おそらくこの「女の子なんて」の背景には、元祖の「女の子だって暴れたい」があるんだと思います。
「女だって暴れたい」でも「子供だって暴れたい」でもない。「女の子だって暴れたい」。
「女」でも「子」でもない、「女の子」特有の「男の子は手がかかる。女の子は暴れない」のような偏見を射抜いた、ピンポイントな素晴らしいフレーズです。これが正に刺さったからこそ、今のプリキュアシリーズがある。

ただ見事に刺さったフレーズだっただけに、15年後に別のジャンルに適用すると、色々とずれが出てしまったんだと思う。
何せ「ギター」「ロック」と具体化されてしまうと、やっぱり「現実的には子供には厳しいよな…」(女の子だからではなく、男の子でも)と悩んでしまう。
「女の子だって暴れたい」を「女の子だって真剣を使った本格武道をやりたい」と言われたら、その気持ちは悪ではないけど男女を問わず難しいよな、と思う感じというか。

野乃さんの反発もジェンダー問題の観点ではなく、もっと広い意味だったんじゃなかろうか。
先ほどから「子供がロックをやるのはどうなんだろう」の観点で書いていますが、それでも子がやりたいのなら環境を整えるのも親の務めです。実際、ハイドンらは見守っています。
「暴れる」のだって男女を問わず危険といえば危険ですから、止めるのが正ともいえる。そこで「危険だから」と引き止めず、安全対策をして後押ししようよという話に思えます。

【えみる】

さて、えみる本人です。
「ギターが好き」な理由として、彼女は「ギュイーンとソウルがシャウトするのです!」とおっしゃっている。では何をシャウトしたかったんだろう?
「ギターを禁止された抑圧への抵抗」ではない。「抑圧されたからギター」ではなく、「何かをシャウトしようとしてギターを選んだら、禁止された」の順番です。
では一体何をシャウトとしたかったのか?

おそらくですが「特には何もない」のだと思います。
下敷きとなったのが「女の子だって暴れたい」だとしたら、女の子が暴れたいのは抑圧やら親への反発やらではなく、元気がありあまってるからです。
えみるも同様で、鬱屈した想いがあってギターに行き着いたのではなく、たまたま手に取ったのがギターだったんでしょう。「ギターが好き=抑圧されていたに違いない」は、それこそ偏見です。

それを踏まえた上でですが、えみるは抑圧されたというより、むしろ自由すぎたので自分を見失ったように見えます。

ハイドンらは自分達の趣味が世間とずれているのは自覚しており、子供には極力「普通」の教育を意識したんじゃなかろうか。もし彼らが自分らの価値観をそのまま伝えたり、あるいは逆にネグレクトしていたら、えみるはお姫様のような趣味嗜好に育つ気がします。親や住居がそうなんだから、素直に育てばそうなる。

しかし実際にはそうなっていません。ハイドンたちは「バランスのよい」教育をしたのでしょう。
ですが子供にとっては、これはこれで結構きつい。親とのギャップが明白で、だけどそれは悪いことではなくて。あまりに自由で多様だと、判断力や知識に限界のある子供の身では、何をして良いか分からなくなります。
(これは現実の子育てや職場でも直面する問題。何も分からぬ相手を一方的に色に染めるのはまずいが、かといって多様性を意識しすぎるとフリーズしてしまう)

えみるは、あれこれと未来を思い悩み、他人の手助けに奔走しています。ある意味、自分のやりたいことではなく、他者のやりたいことに依存しているとも。
彼女のシャウトは「やりたいことがあるのに抑圧されてできない」のではなく、「やりたいことが分からない」ことへの叫びだったんじゃないかな。
言い替えると、差別や偏見のような解決を目指せるタイプの制約ではなく、成長や多様性のような不可避の制約です。
以下、書きたいことが諸々あるのですが、長くなったので記事を分けます。

参考:
●HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察(一覧)

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「停止した時の果て」:HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察

2020年09月13日 | ハグプリ最終回考察
劇中で何度も語られる「時間が止まる」。そもそもこれは何を引き起こすのかを考えてみる。

【世界の終わり方】

仮に今この瞬間に時間が止まり、1億年後(※)に再開したとしても私たちはそれに気づけません。
時間が止まると意識も止まるので、その間のことを認識できず、どれだけ長大な時間が流れようと無関係。
これと似たことは、全身麻酔や卒倒や熟睡、あるいは何かに極度に集中している時などにも起きますが、それの比ではない強烈な停止です。

※時間が止まっているので「1億年」といった概念は成立しないのですが、イメージとして以下多用します。

そのため、実のところ野乃さんの戦いは意味がなかったとも言えます。

ジョージ:「さあ時間を止めよう」
野乃さん:「させない!」


(「HUGっと!プリキュア」48話より)

と突撃した後、実は時間停止が発動、それから1兆年ほど経過してから何らかの理由で再開していたのだとしても、野乃さんにはそれを認識できません。
止まる前と完全に連続した意識で突撃を続けてジョージを殴り倒し、「やった!防げた!」と誤解してしまいます。

では時間停止は解けるんでしょうか。量子論的には確率がゼロにならない以上は、必ずいつかは起きるでしょう。
それならばどれだけ時間停止していても、1京年や1垓年が経過しても、止まっている本人には一瞬ですから上記の状況が起きてしまいます。

ジョージの視点でも同様です。
彼の時間停止は「自分も止まる」のか「自分は動ける」のか定かではありませんが、「自分も止まる」の場合、「さあ時間を止めよう」⇒実際に時間停止⇒1穣年後に時間再開⇒「おや、止まらないぞ」となり、野乃さんに殴り倒される。

「自分は動ける」の場合、停止した野乃さんをしみじみと眺めること1溝年、何らかの事情でいつかは再開する(技術的限界か他者の介入か気まぐれかは分かりませんが)日が来るでしょう。
「させない!」と突撃して停止した野乃さん(しかし停止に気づかない)の時間が再開したところに、いきなりジョージが「やっぱりやめたよ」と言い出し、目を白黒させる彼女を置いてどこかに去る。

どのようなケースでも、野乃さんの立場でもジョージの立場でも、微妙に何かがすっきりしません。時間を止めるという発想そのものが狂気の末の行為なので、もはや常人に理解できる範囲を超えています。
「実は時間停止は成功していた」の可能性もかなりある気がする。

【轟音ではなくすすり泣きと共に】

この問題はハグプリ世界というより、私たちの人生に関わります。
「意識が機能しない状態」の典型にして究極の例は「死」です。

「死んだらどうなるか」は分かりませんが、「あの世に行く」「生まれ変わる」等々と並び「無になる」は割と主流の考えだと思う。
無になってしまえば時間も何もありませんから、死んでからの時間経過は全く関係なくなります。

ここで少し話がずれますが、「沼男」問題を考えてみたい。(参考:wiki
もしも自分と全く同じ存在が出現したとして、私たちの意識はどうなるのか。
「それは別人だ」「他人からは違いを区別できないが、主観として別人だ」等々議論はあるにしても、ここでは「意識が連続し、主観としても同一性が保たれる」としてみます。
絶望的なまでに長大な時間があればいつかは起きる可能性があるので。

例えば、机に放置された水がいきなり沸騰し、直後にいきなり凍結することも(外部からの熱供給が一切ないとしても)確率としてはあり得ます。
それが日常的に起きないのは、あくまで「確率が桁外れに極度に低いから」に過ぎず、圧倒的な時間があるなら、いつかは起きます。まぁ「水」の場合、水が水として存在できる有限時間内では到底起きない極低確率なので「起きない」と言うべきでしょうけれど。

現代物理によれば1垓年後には銀河がブラックホールに飲み込まれ、1正年後には漂流していた天体を構成する素粒子も消滅。10の100乗年後にはブラックホールも蒸発し、「世界」は終焉を迎えます。が、終焉といっても「世界」はそこにあり続けますから、「その後」(※)は存在します。
「その後」に起きるのが、宇宙の再創造なのかループなのか別宇宙との統合なのか、あるいはそれらは起きないのかは分かりませんが、とにかく何かが起きるはずです。10の100乗の100乗の100乗とかの果ての果てには。
※粒子が消滅しているのに、「時間」の概念が成立するのかは別として。

幾度とない宇宙の再創造だか別宇宙との統合だかの永劫の先には、いつかは「沼男」を満たす状況も出現するでしょう。確率がゼロにはならない以上は、いつかは起きてしまう。
そして10の100乗の100乗の100乗の100乗の100乗、宇宙が誕生してブラックホールが消滅するまでの期間を数え切れないほど繰り返す絶望の時の長さも、死んで意識がなければ一瞬です。
つまりは「死んだ」と思った次の瞬間には、別の人生を歩んでいる可能性がある。その間に横たわる無限を超えるほどの時間経過を認識できずに。

直感的な可能性としては、「別の人生」のようなまとまった安定した形よりも、「一瞬だけ意識が接続されるような何か」が起きる確率の方が高そうに思えます。
したがって「死んだ」の後には、「なんだか分からないが一瞬だけ意識が繋がる状態」が飛び飛びで出現し(一つ一つは1那由多年とかの間隔があっても、当事者は気づかない)、自己を保てるかも定かではないノイズのような状態を経過して、安定した意識に繋がる…ように思えます。
なお、過去の記憶を保持している必要はない。1年前や1日前、それどころか今のこの一瞬一瞬ですら、私たちは次々と忘却を繰り返しているのに、1年前や1日前と同じ自分だと認識できますから、この長大な「生まれ変わり」の過程で記憶を欠落しても、「沼男」のように「全く同じ」世界が出現しなくても、自己の同一性は保てるはずです。

【シュレディンガーのえみる】

もう一つ別の観点で考えてみる。

「シュレディンガーの猫」という有名な思考実験があります。猫を箱に閉じ込めて、毒ガスがでるかどうかのルーレットをする狂った実験です。(参考:wiki
箱の外にいる観測者には、箱を開けるまで猫が死んだかどうか分からない。だから箱を開けるまでは、「死んだ猫」と「生きてる猫」が重ね合わせの状態で存在するとか何とか。(こんな変な解釈をしなくてもこの実験は説明できるそうですが)

この奇妙な現象を説明する考え方の一つとして、「死んだ猫」と「生きてる猫」の二つに分けるのではなく、「死んだ猫を自分が観測した世界」と「生きてる猫を自分が観測した世界」のどちらに自分がいるのかを確認しただけだ、というのがあります。
箱を開けた途端に「死んだ猫」の世界が作られるとか、開ける前は世界が分岐していたとかそんなのではなく、開ける前から結果は決まっていて、ただ単に自分がどんな世界にいたかを確認するだけ。

SF的にいうなら「死んだ猫」世界と「生きてる猫」世界のパラレルワールドがあり、自分はそのどちらかにいる。箱を開けたことで、「死んだ猫」世界にいたんだと知る。
箱を開けたので「死んだ猫」世界に移動したのではなく、最初から「死んだ猫」世界にいたのだけど、今までそれを確認する手段がなかっただけ。
(但しここでいう「パラレルワールド」は情報のやり取りができない正真正銘の「異世界」であり、行き来が可能なSF的な「パラレルワールド」とは違います。情報のやり取りができないことが定義の一部なので、フィクションであってもここはクリアできない)

ここまでは良いとして、そこから派生する「量子自殺」と呼ばれる実験が厄介です。(参考:「不自然な宇宙 宇宙はひとつだけなのか?」
毒が出るかどうか分からない謎箱ではなく、弾が出るかどうか分からない謎拳銃を作り、それを自分の頭に当てる。そして撃つ。ばーん。これでランダムに観測者が死亡する状況が作れる。猫に飽き足らず、自分まで殺しだした。物理学者、怖い。
そしてこれをやられると非常に困ったことになる。

先ほどの猫と同様に、「弾が出ず、自分が生き延びる世界」と「弾が出て自分が死んだ世界」のどちらかの世界にいたことを確認するはずですが、「死んだ世界」は確認できません。観測者たる自分が死んでしまっているので。
そのため、この実験をやってる当事者の視点では必ず「弾が出なかった世界」に行き着いてしまいます。「弾が出た世界」にいた自分は死ぬので、観測できない。
横で見ている第三者の視点では、ランダムに弾が出たりでなかったりするのですが、当事者の視点ではなぜか毎回確率に勝利し、生き延びてしまいます。

この状況は謎拳銃に限らず、普通の病死や老衰でも起きえるように思えます。
「ガンで死んだ自分を観測した世界」と「奇跡的にガンが治った自分を観測した世界」でいえば、前者は死んでしまうので観測できず。必ず後者に行き着く。ということは主観的には死ねないんじゃなかろうか。
確率がゼロにならない限り、超低確率でも生き延びる世界が観測され続ける(というか死んだ世界は観測できない)ので、主観では常に「奇跡が起きて助かった」が続いてしまいかねません。

ただし「助かった」といっても、上記は「意識があれば成立する」ので、それこそ死んだ方がマシに思えるような悲惨な状況で意識が保たれ続ける恐れもあります。
これが適用されるのは「自分自身」だけですから、周囲の人たちは確率にしたがって普通に死んでいきます。そしてそれぞれ分岐世界で、各自自分だけは驚異的な低確率を潜り抜け、なぜか孤独に生存し続けてしまう。
パラレルワールドを現実世界で想定すると、何かとてもろくでもない世界観になりかねない。


これらが合っているかどうかは分かりませんが、もし正しいならいずれにせよ「死ぬ前に何を考えていたか」はその後に進む未来に影響を与えそう(「死んだら火炎地獄行きだ」と信じていたなら「灼熱の状態」に親和性があり、そこに連続しそうに思える)なので、精々明るく前向きに生きたいです。
プリキュアさんのせいで「時間」を考え「宇宙」に興味が沸き、「生命」に話が進んでる気がする。「スタプリ」「ヒープリ」に綺麗に誘導されてるような。

参考:
●HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察(一覧)

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「春野はるかの未来への道」:HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察

2020年09月06日 | ハグプリ最終回考察
前回のブンビーさんの記事で触れたように、劇中時間がいつなのかが非常に厄介なのでまとめてみる。

【ピカピカの新入生】

36話にて、何故か「魔法つかい」「アラモード」組は大人の姿で現れます。
私の妄想では「彼女たちは2033年から来ていたからだ」と思い込んでいますが、普通に考えてそんな設定を意図しての演出ではないでしょう。おそらくは「それぞれ最終話で大人になっているので、子供が混乱をきたさないため」と思われます。かえって混乱する気もしますが。

同じことはゴープリ組にも言えるのですが、彼女たちはおそらく現役です。
根拠は下記。


(「HUGっと!プリキュア」36話より)

(1) 制服を着用している。
(2) ドレスアップキーを持っている。

制服については「ノーブル学園には同窓会時には制服を着用する」といった謎伝統があり、たまたま余興で着ていただけ、という可能性もなくはない。なんかあの学園、そういうのありそうだし。

キーについても「返却した後、キーを再び手にするエピソードがある。描かれていないだけ」の可能性がある。もしくは「キーなしで技を撃てるようになった」とか「あれは実はミーティアハミングではない(映画で技名を叫んでいるのはただの悪ノリ)」とかもありえる。
なので絶対の断言はできないのですが…。

「ゴープリ」は何故かこの問題を割と注意深く扱っている節があります。
たとえば秋映画でのナイトパンプキン戦は、本編の決戦後の物語です。なのでキーを持っていない。
察するにフルCGでキーを使った戦闘を組み込むのが難しく、「キーを使わない」(結果的に弱体化している)ことに理由付けしたのかなと思う。
(ゴープリは色々と裏事情が公開されているので、私が知らないだけで他の理由があるかもしれませんが)

その後を描いた、小説「レフィの冒険」でも同様にパフュームやキー抜きで戦線に出向いています。
そこまで気を遣って描写されているのだから、先ほどの(1)(2)の状況証拠も踏まえると、「はるはるらは現役」と考えてよいと思う。

※なお36話37話は、オールスターズメモリーズよりも(少なくとも野乃さんらの主観では)前。36話では、他のプリキュアの存在を確信していないので。

【踊る先輩】

ここから微妙にキナ臭い問題が派生します。桃園さんです。

小説版「フレッシュプリキュア」によれば、桃園さんらもラビリンスとの決戦後に変身玩具一式を返却しています。再び手にしたのは1年後の中3の冬。
ところが「春のカーニバル」にて「せつなはラビリンスに帰っている」という会話が出てきます。ということは「春カニ」時点の桃園さんらは、素直に考えるなら中学3年生以上です。

はるはる達は「春カニ」時点では、まだディスダーク戦の序盤と推察されます。トワ様がいないのは「たまたま不在だっただけ」の可能性がありますが、「はるはるが歌に緊張している」描写がある。学習能力の高さがキャラ特性にもテーマにも関わっている娘さんですから、「歌が未熟」ならばまだ序盤でしょう。

これらから「フレプリ本編はゴープリより少なくとも1年前の出来事」と推察されます。
どうでもよさそうでいて、地味に重い。

他のシリーズと比べてみる。
桃園さんは「DX1」で明らかに「ダンスが未熟」として描かれていたので、「DX1」時点ではまだラビリンス戦の途中でしょう。
この時点で「MH」「SS」「GoGo」の3組は、出てくるのが復活怪人かつ謎生物たちとお別れしていたかのような描写があるので、素直に考えれば決戦後です。
ただプリキュア世界の四季は狂っているので(夢原さんの四季2回問題)、「本編終了後」というのが1年前なのか1週間前なのかは不明。本編終了前の可能性すらある。
(なお「四季と太陽の位置は無視する」前提だと、「DX1」の夕方にパッション復活イベントがあり、同日その後すぐに「DX2」「DX3」「NS1」冒頭が行われた…とかいう地獄の過密スケジュールも多分ありえる。いやあちこち矛盾しそうだけど(矛盾してくれないと桃園さんが壊れる…))

また「春カニ」では「ハピネス」チームに対し「幻影帝国を倒した」とアナウンスもされていますが、これも同様にいつなのかは不明瞭です。「ミラージュは倒したがレッドとの決着がついていない時期」の可能性もあるにはある。

「フレプリ」と同じく、小説版「スマイルプリキュア」「スイートプリキュア」にも「中学3年生になってから久しぶりに変身した」描写があります。ただ「フレプリ」と違い「決戦後に変身不能になった」描写がないため、「中学2年生で『春カニ』⇒中学3年生の小説版」でもおかしくはない。

そういったわけで、いまいち時系列が確定しない他シリーズに対し、「フレプリの後にゴープリ」の確度の高さが飛び抜けています。

【同級生は誰なのか】

ここから「ではゴープリの劇中時間は何年なのか」の問題に派生します。

素直に考えるならハグプリと同じ2018年です。が、「36話ではハグプリかゴープリのどちらかが時間移動していた」とするなら(この件に限らず、36話は時間が色々とおかしい)、「フレプリ2018年」「ゴープリ2033年」でも矛盾は引き起こさない。あくまで制約は「フレプリの後にゴープリ」だけですので、間が10年以上開いていてもおかしくはない。
「春カニ」や36話の桃園さんは、実は28歳なんです。ただの驚異的な若作り。どこかのカットで制服を着用なされていた気もしますが、そういう趣味なんです。

もしそうなら「えみるが未来不変に気づきやすくなる」「2033年のオールスターズに、15周年の面々を出しやすくなる」等のメリットがあります。

特に前者は強烈です。仮にゴープリが2033年の出来事だったとすると、2018年現在、はるはるは産まれていません。
何らかのきっかけで、えみるがこのことに気づいたなら、凄まじい衝撃を受けるはず。

人間的な主観として「産まれると予見された赤ん坊が、本当に産まれた」なら、未来不変をかなり確信できます。
例えば「地震が起きる」と予言され、実際に地震が起きたとしても、何となく「現象が変わらなかっただけで、未来は変えられる(地震に備えられたとか)」気もします。しかし赤ん坊が確かに産まれたとなると、運命的な制約を感じるのでは。
当時産まれていなかった春野はるかが後に誕生し、そしてプリンセスに憧れてノーブル学園を目指し、プリキュアになったなら「未来は不変」が自然に思えます。
「実例」が見つかってしまったなら、2030年に産まれた「はぐたん」が、後にキュアトゥモローになるのも確信できてしまいます。産まれていなかった春野はるかが、現に本当に産まれて、そのまんまプリキュアになったんだから。事情は全く同じだ。

都合の良いことに、えみるには「ゴープリ組はまだ産まれていない」を知る手段があります。天ノ川さんがいないことに気づけばよい。
「有名モデル」を名乗っていたのに、どの媒体にも彼女の名前がない。ただのホラ吹きでなければ、何かが引っかかります。
気になったのなら、調べる方法もある。海藤グループに娘がいるのかはおそらくすぐに分かりますし、ノーブル学園の在校生を確認すればいい。

ついでに言えば、えみる自身がノーブル学園を受験する可能性もあります。あの学校は著名なお嬢様校(女子校ではないですが)なので、愛崎祖父が(多少の歩みよりをした形で)進学先として推薦してきても変ではない。
げんなりしながらも、どこか聞き覚えのある校名に反応し「知り合いがいる」と口を滑らしたなら、孫を説得してもらうために祖父はコンタクトを試みるでしょう。そして「いない」と判明する。

これは、とてもとても怖い問題だと思う。あくまで「ゴープリはフレプリより後」しか根拠はなく、「ゴープリは2033年の物語」と判断する必要は何もない。書いておいて何ですが、私も全く妥当性を感じない。
だけれど仮にそうだった時の影響が巨大すぎるので、可能性が存在することに何ともぞわぞわします。

【蛇足】

あるいは逆に「フレプリ2012年」「ゴープリ2018年」のような可能性もある。

21話にて、はぐたんの力(と思われる)により黒白先輩が召喚されます。
ですが、はぐたんはどうやって彼女たちを呼んだんでしょうか。
はぐたんの力は「時間移動」ですから、実はあの黒白先輩は瞬間移動ではなく、時間移動してやってきてるかもしれない。

※時間移動ができるなら瞬間移動も可能なので、拘る意味はないのですけれど。(参考:アイザック・アシモフ「死せる過去」)

もし「フレプリ2012年」かつ「MHも同時代」だとすると、あの黒白先輩は過去から召喚されています。
あの時マシェリは玩具を欲しがっていましたから、「小6の彼女が5,6歳ごろに憧れていた存在」として召喚した、というのは多少の意味を持たせられる気がする。
まぁそこから何の発展性も見つけられなかったので、「だから何」としか言いようがないのが残念ですが…。

参考:
●HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察(一覧)

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「ブンビーさんの就職活動」:HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察

2020年08月30日 | ハグプリ最終回考察
色々と大問題の36話には、社会人の星・ブンビーさんも登場します。
彼曰く「ナイトメアもびっくりな超ブラック企業に引き抜かれていた」そうです。


(「HUGっと!プリキュア」36話より)

ブンビーさんは、はっきり言って超絶優秀です。
ナイトメアとエターナル(臨時雇いを含めるならデザート王国も)を渡り歩き、浄化もされずに無事に生き延びています。しかも戦った相手は、よりにもよって超攻撃的な夢原チーム。会話どころか名前すら認識してもらえず、爆殺がデフォルトだった恐るべき時代…。

中間管理職や転職経験もある即戦力、おまけにナイトメアやエターナルの社風はクライアスのそれに通じるところがありますから、スカウトにも力を入れていたクライアス社が雇うのも当然です。
ブンビーさん自身は「超ブラック」としか語っていませんが、いきなりトラウム付きになっていたところを見るに、結構期待されていたんじゃなかろうか。

と、ここまでは良いとして、ブンビーさんが雇われていたことにより、課題が2つ浮上します。

【ある日どこかで】

この時のブンビーさんは、一体いつのブンビーさんなんだろう?

ブンビーさんはナイトメア⇒エターナル(エターナル中にデザート王国)⇒起業と職場を変えています。

・夢原さんがGoGoコス。素直に考えればエターナル戦が始まった後。但しこの夢原さんとブンビーさんが、同時代の人物であるかの保証がない(後述)
・ブンビーさんの服装はエターナル風ですが、よくある作業服なのでこれだけでは何とも言えず(お古を持参した可能性もある)
・プリキュア5との戦いを思い出として語っている
・「エターナル」の名前を出していない
・自分が社長をやっている場合、「引き抜かれた」という表現を使うのか?

どうでもいいようでいて、この問題はかなり厄介な事態を引き起こします。

まずこのブンビーさんは2030年や2043年から来ている可能性がある。「トラウムの部署に配属された」のですから、2018年と考えるよりむしろ自然に思えます。
ということは、うっかり「エターナル戦の直後だ」のように決めつけてしまうと、夢原さんたちの戦いが2030年とか2043年とかになってしまいます。
(36話は時間が狂っている(ようにしか見えない)ので、野乃さん(2018年)との時間のずれはどうとでも説明できる)

また「エターナル戦の20年後」(ブンビーさんは未来から来ているが、夢原さんは確かに2018年のその人)だとしても、「未来の情報を持っている」かなりのキーパーソンになります。私の妄想では、未来えみるはトラウムと行動を共にしているはずなので、「トラウムの部署に配属」は物凄く妄想を掻き立てます。

「ハグプリ以外のシリーズの劇中時間は何年なのか」は色々と考えるところがあるので、別記事で改めて書いてみます。

【時の門】

もう1点。ブンビーさんと同じ経緯で、クライアス社が声をかけた元幹部が他にもいたんじゃなかろうか。
ありそうなのは下記の基準を満たす人です。

(1) クライアスに賛同してくれそうな思想や属性もち
(2) 戦闘能力を保持している
(3) 物理的に接触可能な場所にいる

(1)の条件だとサウラーたちは除外されます。当人の属性的にも、ラビリンスの思想的にも、いまいち噛み合いません。

マジョリーナやビブリーは、(2)の条件で落ちます。まぁアンリ君のような民間人もスカウトしていますから絶対の条件ではなさそうですが、「新卒」ではなく「中途採用」ですから、求めるのは即戦力でしょう。

(3)でいえば、眷属やミラージュ様は文字通り天文学的な距離にいますから、スカウトしたくても厳しい。

そうすると候補になりそうなのは霧生さんやレジーナ様です。

【時間旅行士へのささやかな贈り物】


まず霧生さんたち。ダークフォールの思想は時間停止にかなり近いし、戦闘能力もあり、おそらくは夕凪町に滞在していますから条件を満たします。
ですが当然ながら、彼女たちは誘いを断るでしょうし、その流れで戦闘に突入してもおかしくありません。

そこまでは問題ないとして、その戦闘に美翔さんたちも参加していると、すごく面倒だ。

クライアス社員:
「我々の目的は時間を止めることだ」

美翔さん:
「時間を止めるですって!?時計の郷を狙っているのね!」

クライアス社員:
「時計の郷?お前たちは何を言って…」

美翔さん:
「惚けないで!町一番の古時計からつながっている時計の郷にある砂時計を壊すと(略)」

こんな会話をやりかねない。

クライアスが「時計の郷の存在を知っていたか」は重要です。
「知っていたが、あえて狙わなかった」「知っていたが、技術的に狙えなかった」「知らなかった」のいずれなのかにより、ジョージの持つ世界観がかなり変わる。
迂闊なことを口走られると、本当に話が物凄くややこしくなるので、美翔さんにはちょっと黙っててもらいたい。

参考:「停止する美翔舞」

【フラッシュフォワード】


レジーナも戦闘力は問題なし、住まいも大貝町です。思想についても、明確に「浄化」されたのではないので、クライアスが接触してもおかしくはないと思います。
レジーナとしては「面白そう」という理由で乗り気になりそうな気はする。そして「面白くない」と気づき、すぐに投げ出しそう。

それはいいとして、問題は映画「マナ結婚」です。
マナさんたちは未来を視てしまっています。テーマや性格、思考を踏まえるに、彼女たちは「未来は不変」と認識しそうですから、「未来からの敵」は相応の緊張をもたらすはず。

「その未来とはいつなのか」の情報がありませんから、積極的に何かをしたりはしないでしょうけれど、(オールスターズメモリーズなどで)ハグプリチームと出会った際に、「私たちも未来を視たことがある」と伝える動機にはなりそうです。
えみるが「マナ結婚」の情報を持っていたかどうかは、彼女がトラウム研究室に行けるかどうかをかなり大きく左右しますので、「クライアスがレジーナをスカウトしようとしたか」は地味に気になります。

参考:
「相田マナの結婚」
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「パラレルワールドへの疑念」(テーマ面):HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察

2020年08月23日 | ハグプリ最終回考察
パラレルワールドを念頭にした検討の4回目。平行世界の検討は、一旦これで一区切り。

【輝く未来を抱きしめて】

劇中冒頭で野乃さんは元気よくおっしゃられている。

『なんでもなれる!なんでもできる!』


(「HUGっと!プリキュア」OP冒頭より)

その他、ジョージとのやり取りを初め「未来は変えられる」とも述べている。
これらを言葉通りに受け取ると「歴史は改変可能」です。未来は変えられる。そしてタイムパラドクスを避けようとすると「分岐世界」となる。

ですがテーマとしてみた場合、文字通りの「未来は変えられる」ではないように思います。

たとえばアンリ君の事例。

「過去に戻って怪我を防ぐ」ではない。
「根性で治癒して復帰」でもない。
「プリキュアになったことで足が治った」のでもない。

言葉通りの意味では「なんでもできる」は実現していません。

クローバーとの事例もそうです。「過去に戻って約束を守った」のではない。
ジョージの体験した悲劇を食い止めたのでもない。
ミデンの会社倒産も阻止していないし、過去に戻ってやり直しはしていない。
前髪のカットも、ついぞ最終回まで成功しないままだった。

では「なんでもできる」は嘘かというとそうではなく、「失敗や挫折をしてもそれで終わりではない。最初に描いた経緯と違っても、絶望に閉ざされはしない」の意味と思われます。

公式でも「子供向けだからこそ、挫折をないものとはしたくなかった」と語られています。
悲しいことですが、挫折はある。だから挫折を何が何でも防ぐのに執着したり、挫折したら終わりと考えるのではなく、「挫折しても立ち上がれる」「何度でも奇跡を起こせる」が現実的で前向きです。
どんな挫折が待っていても、なんでもなれるし、なんでもできる。

また「変わる」といえばもう一点、薬師寺さんの事例のように「なりたい姿」が変わる描写もあります。
これもそのまま見れば「未来は変わる」なのですが、「輝く未来」の観点では変わっていません。
薬師寺さんは女優に絶望したから、渋々医者を目指したのではない。彼女の「輝く未来」は変わっておらず、その手段としての職業が医者だったというだけ。

「ハグプリ」は「お仕事」がテーマだったこともあり、「職業に貴賤はない」はかなり意識されていたとのことです。
どの職業を選んだとしても、「だから悪い」「だから絶望」ではない。職業が変わったとしても、輝く未来は変わらないと信じたい。

故に、テーマ面から考えると「未来不変」。
頑張れば挫折はなくせる(歴史改変)や、挫折したままの別世界がある(分岐世界)ではテーマが成立しないように思います。
これまでのプリキュアシリーズを踏まえても、私としてはそう考えたい。

【似て異なる世界】

それでもなお「パラレルワールド」を前提とするなら、考えられるのは「分岐ではなく、単純な異世界」説です。
「はぐたんが未来からやってきたので分岐した」とかそういった「別の可能性の世界」ではなく、何となく似ているけれど無関係な異世界。本質的にはトランプ王国やパルミエ王国と同種の「異世界」であれば、上記の問題はクリアできます。

『アンリ君の怪我が治らなかったように、ジョージの「大事な人」も生き返ったりはしない。
 でもジョージは前に進めるし、挫折から立ち上がれる。なんでもできる、なんでもなれる』

この場合、野乃さん達は「未来を守った」とか「破滅を回避した」のではない。
そもそもこの世界とあの世界は別世界ですから、あの世界の「未来」はこの世界の「未来」とは全くの無関係。
あっちが破綻したからといって、こっちが破綻するとは限らない。野乃さんらが頑張ろうと頑張るまいと、破滅なんて起きない(かもしれない。あっちの世界とは全く無関係に、別の理由で破滅が待っているのかもしれない)。
あくまで異世界からの侵略者・クライアスを撃退したというだけのことです。

これはこれで矛盾はしません。が、個人的には何か微妙です。散々「未来」と言っていたのに、実は全くの無関係では肩透かし。
それに「未来には挫折なんかないかもしれない」は、漠然と受け身に感じます。それならばまだ「挫折を防ごう」の方が前向きに思えるし、「挫折は起きるが必ず立ち上がれる」の方がパワフルに感じます。

【変わらぬ二つの世界】

上記の改良で、可能性としてもうひとつ。
「分岐したが未来は不変」説でも説明はできます。

『はぐたんがやってきたことで、世界がふたつに分かれた。
 この二つの世界はそれぞれ「未来不変」。
 分岐したその瞬間には異なる未来になるが、定まった未来は変えられない』

この世界観の場合、テーマとの不整合は回避できます。

あちらの世界の「ジョージ最愛の人」は亡くなられたままですが、ジョージは立ち上がれる。
こちらの世界でも何らかの挫折や破滅は起きるでしょうけれど、野乃さんたちはきっと立ち上がれる。

問題なく「未来不変・単一世界」と同じテーマ展開にできる。
できますが、じゃあ何で分岐を取り入れたのかが怪しくなります。

確かに「分岐した後」は不変でも、また分岐が起きたら未来が異なってしまう(世界がある)。
だったら、あっちの世界の過去にはぐたんを何度も送り込めば、「最愛の人」が生存できる世界も分岐するんじゃなかろうか。
ジョージの戦略が「時間停止」から「大量分岐」に変わり、更なる不毛な戦いが始まってしまいそうです。非常にまずい。

結局は「分岐」する時点で「未来が変わる」のだから、未来不変を前提にできなくなってくると思う。
新たに説明できることや解消できる問題もないのに、あえて複雑な設定を持ち込む必要はないはず。というか自分で書いておきながら、この項が指してる世界観はつかみづらすぎる。

【まとめ】

以上、ストーリー面・キャラクター面・テーマ面からパラレルワールド説を考えてみた。
いずれも大問題で、最初に書いた通り平行世界や歴史改変説は厳しいと思う。

逆にいえばこの3点をクリアできれば可能性が出てくるはず。
「前髪」の件のようにうまく説明できることもあるので、引き続き平行世界等で成り立つかは折に触れて考えてはいきたい。

参考:
●HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察(一覧)

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「前髪のパラレル」:HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察

2020年08月16日 | ハグプリ最終回考察
パラレルワールドの検討の第3回。否定面から2回書いたので、今度は肯定面から。

【パラレル王国】

パラレルワールド(歴史改変世界や、分岐世界)を想定した方が上手く説明できることもあります。

まず軽い内容でいくと、ジョージが語った「剣をとって戦った」や「王国」がそのまんまの意味で受け取れる。
トランプ王国のような異世界じみたパラレルならば、文字通り「剣を持った」野乃さん(仮)が王国で戦っていたんでしょう。

尤もジョージのあの語り口はいかにも寓話風ですから、言葉通りの「剣」「王国」にこだわる意味はあまりないはず。
「ペンは剣より強し」と言われて「ミサイルには負けるのか」みたいな会話をしてても不毛です。

【蠢く前髪】

大きなところだと野乃さんの失敗前髪に意味を持たせられます。

第1話にて野乃さんは前髪のカットに失敗。憧れのイケてるお姉さん姿になれなかった。その後の2030年でも失敗した前髪のままでいます。

一方で、パラレルワールドの野乃さん(仮)の前髪は、野乃さんがやりたかったと思われる「イケてるお姉さん」風になっており、両者はデザインが明確に違う。
このことから「野乃さんのあの失敗前髪は、世界の分岐を象徴している」と言える。視覚にも非常に分かりやすく、シンプルに納得できます。


(「HUGっと!プリキュア 」第46話より)

未来不変説の場合、野乃さんは2030年のあと、何らかのきっかけで以前の憧れ「イケてるお姉さん」の前髪にした、となります。
これ自体は矛盾はないし、おかしくもない。出産・育児と慌ただしく、髪を切る機会もないままそこそこ伸びたので、この機会に「イケてるお姉さん」を改めてやってみたとしても変ではないです。

ちなみに漫画版によれば、野乃さんはあの前髪を気に入って続けているのではなく、毎度毎度、律儀に失敗し続け、結果的にあの髪型を維持していたようです。
それならば「じゃあこの機会にイケてるお姉さんに」と考えても、何ら不自然ではない。「不自然ではない」だけで、何かを綺麗に説明できるでもないので説としては面白さはないですが。

一応は「毎回失敗していたのは、変わらぬ未来を象徴していたからだ」ともいえるのですが、ぶっちゃけ「アニメコンテンツの都合上、髪型は変えられない」の制約と「それに説明を付けたお遊び」を殊更に自説に取り上げるのは、我田引水に思えます。それならば「世界の分岐の象徴」の方が自然で明快でしょう。

とはいえ問題もあるにはある。

【失敗のもたらすもの】

まず「世界の分岐を綺麗に象徴している」だけで謎の説明にはなっていない点。
「前髪を失敗した」のは世界設定の謎解きのためではなく、テーマ「挫折や失敗をしても立ち上がれる」の意味合いが強いかと思います。
野乃さんとしては失敗でも、輝木さんは「イケてんじゃん」と好意的だった。野乃さんが描いた「イケてるお姉さん」ライフとは違ったのだろうけど、それはそれとして未来を歩めた。失敗してもそれで終わりではなく、前に進める。

この時点で「前髪」はギミックとして成立していますから、「分岐の象徴」という意味合いを付加しても「上乗せ」にはなっても「新たな要素」にはなっていない。

ふたつめ。「前髪を失敗したから分岐した」のではない。「分岐したから失敗した」が正です。
ということは分岐により未来が変わる証左です。しかも視覚的に分かりやすく。
では「何でジョージは気づかなかったのか」が苦しくなってくる。「視覚的に分かりやすい」が長所の解釈なのに、「何でジョージには分からなかったのか」でジレンマに陥ってしまいます。
まぁ劇中人物と視聴者視点は違うと言えばそれまでですが…。

もう一点。野乃さんは失敗前髪により何かが変わったのではないこと。
野乃さん自身は「転校してから性格が変わった」とか「はぐたんや前髪の件がなければ孤立していた」のではないです。

私の印象として、パラレル説では「野乃はな(仮)は孤独に戦っていた」前提の物が多いように見えるのですが、例えばはぐたんがいなかったら薬師寺さんは野乃さんをいじめていたのかというと、そうじゃないはず。
はぐたんが来ても来なくても、前髪を失敗しても成功しても、野乃さんは転入先でいじめられたり孤立したりはせず、普通に友人を作っていたと思われます。(輝木さんとは距離がありそうですが)

例えばこれが「ハートキャッチ」の花咲さんだったら、髪型を(来海さんに言われて)変えたことにより、それまでの自分の生き方とはチェンジしています。
しかし野乃さんはそうではない。バタフライ効果的に未来に影響は与えたかもしれないけど、前髪を失敗したことで野乃はなという人物が内向的から外向的に変わったとかではないです。

つまりは「失敗前髪は分岐の象徴」の解釈は、アイコンとして分かりやすいが、謎解きやストーリーにつながらない。
綺麗に説明でき過ぎていて、そこから膨らまないとも。


【前髪の世界線】


後半、反論じみた書き方にはなってしまったけど、全体としては「失敗前髪」は「パラレルワールド」を想定した方が、綺麗だとは思います。

アニメージュ2019年2月号の川村敏江さんのインタビューで下記の言及があります。

『(46話の女性は)キャラ表は作っていませんが、転校前の「髪が長かった頃のはな」の成長後の姿になります。今のはなとは、別の世界線のはなということでしょうね』

この回答自体は「未来不変」でも説明はできます。
成長後の姿を「今の野乃はな」ではなく「転校前」をベースに描いた。今のはなの延長線上ではない(イメチェンしている)のだから「別の世界線」。未来不変の前提でも齟齬はない。
(この後に続く、はぐたんへの言及も同様)

とはいえ、普通に読んでそのまま受け止めるなら、川村さんとしては平行世界を念頭にデザインされたと考えるのが自然でしょう。(「世界線」という語は誤用の方がメジャーなので、真意が若干ややこしい)
したがって前髪の失敗については、パラレルワールドを想定した方が分かりやすい。

以上、私としては「未来不変」説を支持していますが、「平行世界」説の長所にも触れてみた。

参考:
●HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察(一覧)

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「パラレルワールドへの疑念」(人物面):HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察

2020年08月09日 | ハグプリ最終回考察
前回に続き、「平行世界」「歴史改変」の観点から考えてみる。

【目の前に広がる世界】

私が疑問を抱いた発端は、「2030年に愛崎えみるがトラウム研究室を訪問している」こと。
本来これは、かなり怖い行動です。


(「HUGっと!プリキュア」49話より)

重要な前提として「劇中人物である愛崎えみるには、この世界の設定は知りえない」があります。
仮に製作者様や東映アニメ公式が「この世界の未来は不変である(あるいは平行世界や歴史改変)」と断言したとしても、劇中人物のえみるには知る術がありません。
そのため「えみるは平行世界だと認識していたが、実際には歴史改変世界」といった齟齬も起きえます。

では、えみるは彼女が知りえる情報から、どのように判断するのか。

えみるにとって一番の論拠はルールーのはずです。
彼女が残した最後の言葉は「未来で待っています」。41話でもルールーは「未来で待つ」と発言しており、彼女は意識的にこのフレーズを選んでいると思われます。
これを素直に受け取るなら、平行世界説は(えみるの認識からは)真っ先に消える。

もし平行世界ならルールーが待つのは「未来」ではないのだから、最後の言葉は「離れていても私たちはいつも一緒です」とか「いつか会いに来てください」になるはず。
「ルールーが優しい嘘をついた」可能性は否定したい。彼女の「アンドロイドなので事実そのままを話す」「えみるを子ども扱いして嘘も方便に走らない」特徴を尊重したいです。

そうすると、えみるは「未来不変」か「歴史改変」かで悩む。
悩んでしまうのは、後者だとすると迂闊な行動をすると未来が変わってしまい、ルールーと再会できない可能性があるから。

この状況だと研究室には行けません。「研究室にいく」のが正史で、行かなかったせいで未来が変わる(そしてルールーに会えなくなる)可能性もあるのですが、「ルールーやトラウムから指示されていない」という強烈な制限があるため、様子見に走るのが自然に思えます。

具体的に考えてみよう。
たとえばカエル列車に乗り込む前に、未来トラウムと一緒に現トラウムに会いに行き、設計図を渡す。ルールーの旅立ちを、新しく作ったルールーと一緒に見送るのも可能は可能です。しかし普通の認識ではこれは「ルールー2号機」でしょう。

見送りをしたその次の日に研究室にいったとしても同様。1か月後でも1年後でも10年後でも本質的に同じです。2号機ではなく正しくあのルールーと認識するには、何らかのきっかけがいるんです。そのきっかけが分からない以上は、えみるは身動きがとれません。

言い換えると、「歴史改変」がえみるの認識であったとしても、研究室を訪問する際には「ここまでは歴史は変わっていない」と判断しての行動のはず。変わってしまっていたとしたら、もはやルールーには会えません。

訪問した後も同様です。少なくとも2043年までは未来を変えないようにしないと、ルールーに再会できない。
つまり「歴史改変」と「未来不変」のどちらの認識だったとしても、えみるは「未来を変えない」ように振る舞います。違いは「歴史が変わるかもしれない」という恐怖を抑え込み、薄氷を踏む強迫観念と戦い続けるのかどうかくらい。
行動が変わらないのだから、両者を区別する意味も(今後の展開を考察する際には)ないはず。

よって「未来不変」。
(えみるは「歴史改変」を警戒している可能性もあるが、「未来を変えない」ように振る舞うので、結果的に同じ未来をなぞる。「実はえみるは既に失敗している」の可能性もありますが、話が無為にややこしくなる)

上記の思考過程には「ハグプリ世界の真相は何か」は関係していません。
最初に述べたように、劇中人物のえみるには公式資料を読むことが出来ないので、平行世界が正であってもそのように認識することが出来ないんです。
登場人物の認識と、世界設定に齟齬がある演出はたまにありますが、通常は(その誤解がギミックとして使われていないなら)避けるかと思います。話が非常にややこしくなるので。

【収束するえみる】

それでも前向きに「平行世界」を想定してみる。
解決策はみっつ。

まず「えみるが平行世界だと認識できる」道があればよいです。
が、私はギブアップしました。ルールーが「未来で待つ」と言っている以上、平行世界の認識に辿り着くのは厳しい。

ふたつめ。先ほど書いたとおり「えみるは勘違いしていた」。
本当は平行世界なのに、「未来不変」と誤解して研究室に行き、別人であるルールー2号機との再会を喜んだ。

これ自体は矛盾はないとはいえ、「話がややこしくなる」をさておいたとしても、えみる派としてはやはり許容しがたいです。
実際、最終回の研究室訪問シーンは、えみルー派からは賛否両論だったのも、平行世界はもちろん歴史改変だったとしても「あれはルールーではない」からでしょう。これでは二人のラストシーンが茶番になってしまう。

直接的な言葉がないため、あのシーンは色々と解釈はできます。
仮に「平行世界」だとしても、えみるが涙したのは「もはや会えない親友との別れを実感したから」で、いわば「亡き友の忘れ形見との出会い」のような見方もできる。「事故死した大親友の娘を引き取り、親友の面影に涙した」とか「子供時代の思い出を我が子に話し、今は亡き友を思い出して泣いた」とかでも、変な描写ではないでしょう。これはこれで感動的な話です。
「平行世界」だとしても、あのシーンそのものは全否定はされない。

ですがルールーの言葉「未来で待つ」と整合性がとれません。彼女は確かに「待つ」といったのだから、待っているはず。えみるの認識では「未来不変」なので、上記のような「平行世界」を念頭に置いた感動的な再会ではなく、ただの誤解になってしまう。これではあまりに報われないし、なんでそんな描写にしなきゃいけないのか不可解です。

前回も書きましたが、「平行世界でないと矛盾する⇒よってあれはルールー2号機⇒2号機との再会でお茶を濁すのは酷い」のような批判を抱え込むよりも、単一世界でも矛盾はしないのだから、そのまんま「未来は不変」とする方が単純明快じゃないかしら。

【可能性があるのです!】

最後にみっつめ。「えみるはそこまで深読みしなかった。だから自然になんとなく平行世界だと認識したし、無警戒に研究室に行った」。
アホの子みたいですけれど、普通ならばこの展開もありえる。

ところが、えみるは「異常なまでに未来を思い悩む」キャラクターです。奴は考える。
考えたなら「未来不変でも、矛盾やパラドクスはない」ことに気づけるはず。しかも未来不変を検証する手段まである。
そこまで行き着いたなら、「野乃はなの出産」という特徴的なタイミングに研究室訪問に至れます。

ルールーは「嘘をつかない」
えみるは「深読みする」

双方のキャラ特性が妙に噛み合ってしまった結果、人物面からの考察では「未来は不変」(もしくは改変可能だが未来は変わっていないので区別がつかない)が自然に思えます。
2030年に「再会」したルールーは、正しくルールーその人であり、2043年にクライアスとして2018年に戻り、えみると「再会」するんだ。

【蛇足】

いっそ「えみるとルールーは同一人物」説とかどうだろう。
2043年の戦いで瀕死の重傷を負ったえみるが、2030年に送られて、ルールーの素地になったとか何とか。
「未来から瀕死の自分が送り込まれてくる」なんて強烈なきっかけがあれば、2030年にえみるが問題なく研究室に行けます。
「未来で待つ」の言葉も完璧に満たせるし、ルールーがロボットではなくアンドロイドだとか、二人が一瞬で惹かれあったとか、プリハートを共有できた理由も説明できます。まぁ小手先のテクニックに走った感があるので、あまり楽しい推察ではないですけど。


参考:
●HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察(一覧)

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「パラレルワールドへの疑念」(物語面):HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察

2020年08月02日 | ハグプリ最終回考察
私としては「未来は不変・単一世界」説を採用しています。
ですが、検証や発展のためには他の論を元に考えるのも大事なので、「未来は変更可能・パラレルワールド」(以下、平行世界)や「未来は変更可能・単一世界」(以下、歴史改変)についても考えてみる。
この2説でも説明できるのであれば、あえて(おそらくは両者よりもマイナーな)「未来不変」説を採用する必要性が消えます。

先にお断りすると、私の結論は「この二つでは説明不能。故に未来は不変」です。
なのでこの2説の否定や反論のような内容になってしまいますが、はなから全否定しようとしてのことではなく、敵意もないことは強調させて欲しい。
(長くなったので、否定面3回、肯定面1回くらいに分けて書きます)

【平行世界】


(「HUGっと!プリキュア」48話より)

平行世界の概要はこのような感じ。

「はぐたんが過去に戻ったことにより、世界が二つに分岐した」
「二つの世界は双子の関係にあるが、別の世界ではあるので、こちらの世界の結果があちらの世界には影響しない」
「あちらの世界にも『野乃はな』に該当する人物はいるが、こちらの野乃はなとは別人である」
「また、あちらの『野乃はな』は死亡しており、彼女を救おうとしてジョージの苦難が始まった」

これはストーリー上、大きな問題があります。ジョージの言動や認識と食い違ってしまう。

平行世界だった場合、こちらの世界の未来が、あちらの世界と異なったものになるのは当然です。だから「分岐」「平行」と呼んでいる。
ということはジョージが「未来が変わった!?」と驚くのは奇妙です。分岐するのだから、変わらない方がおかしい。

これの解決手段としてふたつ考えられます。

①ジョージは平行世界だと知らなかった。
単に「過去に戻った」と認識していたなら、確かに「未来が変わる」ことに驚愕できます。
ただこれはあまりに間が抜けた話に思えます。「未来を変えられるのか」というジョージの動機の根幹にかかわることが、ただの勘違いで良いのか。
また仮にそうなら、野乃さんらは未来の可能性とか何とかではなく、「この世界は平行世界だよ」と示せばそれで解決してしまいます。平行世界が生まれる=未来は改変可能なので、ジョージは喜び勇んで元の世界の野乃さんを救いに戻るでしょう。

②分岐したこの世界の未来もジョージは観測して知っていた。
自分が元いた世界だけでなく、こちらの世界の未来も見た。だから知っていたし、そこから変わったことに驚いた。
納得できなくもないですが、やはり問題が残ります。この世界は分岐するのだから、その分岐がまた起きればどうとでも未来は変わります。観測した未来とは別の世界線に乗ったんだな、で解決。驚く要素がない。

可能性がありそうなのは①。勘違いでも間が抜けていても、それ自体は矛盾はしない。
ですが後述の「歴史改変」と同様の問題に派生してしまいます。

【歴史改変】

歴史改変説は「2018年の野乃はならの活躍により、未来の破綻は回避された。これによりクライアスが存在した歴史は消滅し、新しい歴史を歩みだした」といったもの。古典王道なタイムトラベルものです。

この世界観だった場合も、やはりジョージの言動と食い違う。
歴史は改変可能なのですから、ジョージが何度も(未来の)野乃はなを救うべくトライすれば、いつかは変えることができるはず。しかし現にできていません。

いわゆる「歴史の復元力」により「野乃はなの死だけは変更できなかった」とするのは無理がある。
ご都合主義すぎる、といった問題以前に、ジョージの認識と違ってしまいます。

この種の特異点的な変更不可の定番は「交通事故は防いだが、その後の火事で死亡した」とか「15時10分に交差点でバスに轢かれる。だから邪魔をして、交差点に行く時間を15時20分にした。ところがバスもまたアクシデントで運行が遅れており、やはりそのバスに轢かれてしまった」でしょう。嗚呼、未来はどうやっても変わらないのか。
しかしこれらは厳密には「未来を変更」しています。死亡という結果が変わらないだけで、そこに至る過程は変わりまくっている。

このような現象を見て「未来は変えられない」とは認識しないはずです。特にトラウムは「なるほど。野乃はなだけが特別なのだな」と分析するだろうし、「歴史は変更可能」が基本認識になるはず。

この問題の解決策はシンプルです。「クライアスは時間旅行技術を持っていなかった」とすればいい。

ジョージの語る「何度やっても変えられなかった」とは、「タイムトラベルして何度もやり直した」ような壮大な話ではなく、「何度も説得したけどダメだった」といった類のもの。
これなら「未来は変更不可」と語っても問題ないです。タイムトラベルすれば歴史の改変が可能とか、そんな超常の話には踏み込んでいなかった。

先ほどの「平行世界説」の①も同様です。クライアスは時間旅行をしていなかったとすれば、はぐたんの奇跡パワーによる初のタイムトラベルにより、勘違いの生まれる余地がある。

…ですが、言うまでもなく多数の問題に派生します。
(以下は平行世界を念頭に書きますが、歴史改変でも基本は同様)

・タイムトラベルしてやり直したのではないなら「未来は変えられない」と絶望するほどのことだろうか。嘆き方がオーバーすぎます。
・改変可能と気づいた後も、戦略を変更していない。はぐたんを使えば平行世界に分岐できるなら、自分が元いた世界でも同じことを試みるはず。例えば悲劇の1日前に戻って分岐すればよい。
・時間旅行の算段がなかったのなら、元の世界の時間停止は間に合わない(既に悲劇が起きてしまっている)。クライアスの基本戦略が崩壊する。

素直に考えるなら「無理がある」かと思います。

【平行世界その2】

平行世界説の別パターンとして「はぐたんのタイムトラベルとは関係なく、元々パラレルワールドが存在した」と考えることもできます。
「はぐたんが25年前にタイムトラベルしたから平行世界が生まれた」のではなく、「元から存在する平行世界の内、25年前に相当する平行世界に移動した」説。

第1話にてハリーは「こっちの世界では」という言い回しをしています。これをそのまま受け取るなら「異世界」、つまりは「平行世界」だと彼は認識しているように見え、この説を裏付けます。
ですが同時に「未来」とも発言しています。まぁ「未来を守って欲しい」という表現は、時間移動と全く関係ない話でも普通に行われるので、これを以て「過去に移動した」とは決めつけられないのですが。

ハグプリを全話見返したわけではないので確信はないのですが、おそらく「ハリーのいた未来では」のような表現も何度か出てきたように思います。これは「ハリーのいた平行世界の未来では」と読み替えても通じます(もちろん普通の意味での「単一世界の未来」でもおかしくはない)。
他に、「お前らの未来も閉ざされてしまう」のような表現もあったような気がします。これも平行世界を念頭に置いた発言とも受け取れます(先と同様に単一世界でも違和感はないですが)。

ということは、野乃さんらも含めて「平行世界」と認識していたのでしょうか。
もしそうだとすると、先に述べた問題に直面してしまいます。クライアスは何故、未来は変えられないと信じ込んでいたのか。
野乃さんらは適切に世界観を理解していたが、クライアスは理解していなかった、とすることもできますが、どんどん話が複雑になっていく。

視聴者的にも「普通に未来から来た」と受け取った人が多数派でしょう。
「たまたま25年後に相当する平行世界から来たので、タイムトラベルしたように見えるだけ」なんて解釈はかなり回りくどい。これだけ「未来」をキーフレーズとして使っていたのに、「実は未来ではない」はなかなかの肩透かしです。

ついでに言うなら、「平行世界」からの移動ならば、なぜ約25年の開きのある世界が繋がっているんでしょうか。
はぐたんが助けを求めたとすれば、普通に考えれば自分と同年代の平行世界(もう一人の自分がいる)か、母親がいる2030年でしょう。「母は昔プリキュアだったらしい。だからその頃の母に助けを求めよう」も「ありえない」とまでは言いませんが、かなり変だ。特に「2030年」に戻って分岐していれば、ジョージの悲願である野乃はな救出も果たせたかもしれず、選択ミスが拭えません。偶然と言ってしまえば、それまでですが。

やっぱりこれも「無理がある」ように思えます。

【鶏か卵か】

面倒くさいことになってしまう理由は明白です。平行世界にせよ歴史改変にせよ、元々そういったギミックがあってのストーリーではなく、タイムパラドクスを避けるために後から導入されたものだからです。
「未来からイレギュラーがやってきた。『当然』未来は変わるだろう。このままでは矛盾してしまうから、平行世界(あるいは歴史改変)」が出発点であって、パルミエ王国やトランプ王国のように初めから異なる世界として描かれている=だから平行世界(あるいは歴史改変)ではない。因果が逆転しています。
そのため、敵の主張「未来は変えられない(変えたいけれど無念なことに)」等との齟齬が出てしまい、妙に回りくどい説明が必要になってしまう。

ですがこれまで検討してきたように「未来は不変」だとしても、矛盾なく説明できます。
「未来は不変」、だからジョージも「未来は変えられない」と嘆いた。これが最もシンプルなのだから、わざわざ平行世界等を持ち出す必然性がない、というのが私の今の結論です。

参考:
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「明日は何色」:HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察

2020年07月26日 | ハグプリ最終回考察
ふと「キュアトゥモローは主役ではない」可能性に気づいた。

【謎のセンター】

無意識に「2043年の戦いの中心はトゥモロー」と決めつけていましたが、よく考えてみればそんな保証はありません。ハリーは明らかにトゥモローを中心に語っているとはいえ、彼はトゥモロー推しですから割り引いて考えよう。


(「HUGっと!プリキュア」40話より)

このシーンからトゥモローさんは4人チームと推測されます。プリハートも4個なので、まぁ疑う必要はないと思う。

さてよく見ると、立ち位置が変だ。
我々の知る4人編成プリキュアを例に見ても、主人公格は真ん中に立っています。トゥモローさんは向かって左端にいる。

デザインも一人だけ派手です。残り三人の統一性から浮いている。
素直に見れば、主人公は右から2番目の子ではなかろうか。トゥモローさんをカットして3人だけにするとかなり収まりが良いです。

つまりトゥモローは追加戦士枠なんじゃないかしら。

私らの知る限りピンクキュアの追加戦士はいませんが、トゥモローは白キュアと言えなくもない。「白紙の未来」の象徴と思えば、むしろ白キュアの方がしっくりくる。

【追記】
キュアサマーの登場により「ピンク以外のメインプリキュア」の前例ができました。
2043年シリーズの主役キュアがピンク以外でもおかしくはなく、それならばピンクのトゥモローが追加戦士枠もありえそう。
【追記終】

仮に追加戦士だとすると、これまでの考察が多少揺れます。たとえば「ジョージがラスボス」は、トゥモローさんが主人公だからこそ。追加戦士だといまいち盛り上がりに欠ける…と思ったけど、キュアエースの前例があったか。

トゥモローさんの全滅イベントの時期も変わってきます。
追加戦士なら参入は夏ごろでしょうから、全滅は秋以降と思われます。それなら過去に戻るハグプリ編は、秋映画かもしれない。
「追加戦士メインの過去の掘り下げ」はアラモードやスイートで前例があるし、逆にテレビ本編ではやりづらい。本編では「ハリーの裏切りで無事に脱出」だけを描く形にすれば、過去作を知らない人も受け入れやすく、映画のスペシャル性や盛り上がりもでそう。

トラウムらの「4人のプリキュアと戦っていた」発言等々と若干矛盾する気もしますが、それほど変な乖離ではないと思う。

2043年シリーズのストーリーの自由度も上がります。
いざ始まったらトゥモローもクライアスも全くでてこず、微妙に肩透かし…と思わせて、追加戦士でトゥモロー登場。全滅イベントのあと「実は敵はクライアス」と判明する、みたいな展開。悪くないんじゃないかしら。

【謎の追加戦士】

上記と全くの別視点で。

えみるによりプリハートが5個に増えたので、帰還後は1個余ります。これが追加戦士用だとしたら、ハグプリ編はやはり夏と思われます。ハグプリ編のあと、最終的にトゥモローさんは5人チームになる。

ただそれだと構成がかなりバタバタしそう。
5人目が初の追加戦士だと、夏休み商戦に間に合いません。かといって4人目も追加戦士だとすると、加入していきなり全滅です。役に立たない子だ…。

補正すると「4人目の追加が7月、5人目の追加が10月(秋映画のあと)」。これなら秋映画にハグプリ編をできる。
過去事例としてスイートがこれに近い。ミューズの正式追加は、ストーリー上は映画のあとです。
ただしミューズの初登場自体はもっと早い。「謎の戦士」として4月から出ています。10月ごろにいきなり追加されても、視聴者がついていけませんし。

ところがミューズさんの場合と違い、(プリハートがないので)5人目を先行して出すのはできず。であれば「ほぼレギュラークラスの存在感のある脇キャラ」をプリキュアにするのが手っ取り早そう。具体的にはゴープリの七瀬さんのような娘さん。

ストーリーパターンは色々ありえますが、たとえば10月頃に全滅。帰還を祈る七瀬さん(仮)の元に2043年えみるが現れプリハートを渡す。変身を遂げた彼女の力でハグプリ編やそこからの帰還が果たされる、とか。
七瀬さん(仮)とトゥモローが抱き合う横で、再会を果たすルールーとえみる。ルールーの言葉「未来で待つ」が成就した瞬間。

私としては「5人目の追加戦士は、妄執の果てに単独変身できるようになったえみる(37歳)」であって欲しいのですが、ストーリーとしては上述の方がまとまる気はする。

【謎の3人】

「ハグプリ編が春映画」の可能性もあるのかしら。オールスターズものなのでなくはない。
また今現在、コロナで放送タイミングや映画時期が影響を受けていますから、可能性はありそう。

ただ上記いずれにせよ、このままではトゥモローチームの他3人の出番がありません。
テレビ本編で1話2話程度ハグプリ編をやる感じなら許容できても、映画でそれは厳しい。

打開策としては「ハグプリ編の描写を短めにする」か、「ハグプリ編に出演させる」。
後者は「亡霊のごとくハグプリの戦いをサポートする」とかのイメージです。ハグプリをよくよく見返したら、「防いでいない攻撃が勝手に横にそれた」とか「不思議な偶然でなぜか解決していた」ようなシーンがあるかもしれない。それ、未来から魂だけとんできたトゥモローチームのアシストです。43年の映画でネタ明かしされるんだ。

参考:
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「2033年プリキュア30周年」:HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察

2020年07月19日 | ハグプリ最終回考察
私の妄想の前提となっている「2033年のプリキュア」について書いてみる。

※勝手に「ハグプリ36話の朝日奈さんらは、2033年から来ていた」説を唱えています。 参考(左記の記事では33年ではなく30年と記載しています)

【プリキュア30周年】

これまでの記念シリーズを見るに、プリキュアさんは「最初の視聴者の年齢」を意識した展開をされています。
初期シリーズを5歳ごろに見たとして、

(1)プリキュア10周年「ハピネスチャージ」15歳前後
プリキュアたちと同じ年齢になったが、憧れていたあの世界は空想に過ぎず、現実の不幸の前に子供時代の宝物は砕かれた。

(2)プリキュア15周年「HUGっと」20歳前後
これまで様々なことを頑張って成長してきた。しかしいよいよ社会に出る段になり、そんな努力が無に帰すような理不尽に直面する。

※「〇〇周年」のカウントの仕方が微妙に違うのはご愛嬌

これに則ると、2033年の30周年シリーズでは、35歳前後を意識したテーマが扱われると思われます。ではそれは何か。

10数年後も先の社会情勢は分からないですが、大枠は今と変わらないとして、その年代が抱える問題は「決まってしまったことへの行き詰まり感」かなと思う。
「これから何かを頑張る」とか「これから不幸が訪れる」とかではなく、「決定したこと」への漠然とした不安。
「もっと違うことをしたかった」とか「こんなはずじゃなかった」ではなく、「望んだことなのだけど、何故か湧き上がる」不安。
結婚した、子供が生まれた、転職した、昇進した、家庭に入った、家を買った等々へのマイホームブルーやマリッジブルーのようなイメージです。今の選択に後悔はないのに、他の選択肢が消えたことに対する閉塞感は、実際のメンタルヘルスなどでも強調して取り扱われる問題です。

プリキュアの物語でいえば、「なんでも得意で好きだったけど、特に野球が好きだったので野球部に入り、他を辞めた」とか。
「プリキュアになったし、プリキュアとして世界を守るのは大好きなのだけど、結果的に他の時間がなくなった」とか。

テーマとして成立するかを見るために、プリキュアたちが勝てるかどうかを考えてみます。
15年の総決算たるミデンに対し、1~15年シリーズのプリキュアさんらは、それぞれの番組テーマを元に次々と解答を示しました。では、上記のようなテーマを背景に、30周年でもミデンのような敵が現れたとして(以下、新ミデンと呼称)、1~15年シリーズのプリキュアは勝てるのか?

おそらく無理に思えます。

例えばスイートチーム。「何もない」と嘆くミデンに対しては、「『ない』ではない。それは『悲しい』だ。そして『悲しい』は私たちも知っている。だから私たちは分かり合える」と示せた。でもマリッジブルーに対しては「結婚おめでとう」としか言いようがないです。当人も「基本的に幸せ」なのは分かっているし、結婚を失敗とか不幸とかとは思っていない。「私たちもそうだった」では救いにならない。

例えばアラモードチーム。「大好きを諦めるな」とスパルタでミデンを叱咤しましたが、新ミデンは「仕事が辛くて嫌だ」とかそういうわけではない。
例えばハートキャッチ。「何もない自分のために、事情は分からねど奮闘してくれている人がいる」のは救いになりますが、新ミデンは「育児が大変だから助けて欲しいとか、そういう状況ではない」ので、事情が分からないままそのまま素通りしてしまいます。
ドキドキチームは善戦しそうですが、彼女たちの主眼は「選ばれなかった方」に向いているので、いまいち綺麗には刺さらない。

一方、16年~30年のプリキュアだとどうか。
分かっているのは「スタプリ」と「ヒープリ」だけですが、この2つは「新ミデンには通用するが、ミデンには勝てない」ように見えます。

スタプリ:
「星座」などという固定観念から脱却しよう。もっと自由に星をつなげて好きな絵を描けばいい。
これから転じて「選択肢は狭まってはいない」という回答。
子供が産まれたからといって「親」という役割に固定されるのではない。
「主婦」の定義は現代では曖昧だ。ある時は仕事を中心に、ある時は家庭を中心に、精神面でも実際のタスク面でも状況状況で変わるのが常。
「仕事とはこういうものだ」のような固定観念は捨てよう。

ヒープリ:
(如何せん全容がまだ見えないですが、「特別なたった一人のヒーローが解決するのではなく、無力に見える名もなき存在が、経験を繰り返すことで強くなる」のような話だと仮定します)
選択は終着点ではない。同じように見える日々の家事も、繰り返すたびに成長や改善がある。更にこの経験が次のステージに生きてくる。
一人暮らしの独身時代の経験をもとに理想の家を買ったように、今の生活を踏まえて次の住居を考えられる。
今のこの選択は、次の選択のためのものだ。選択肢は狭まってはいない。

いずれも突破口になりうると思う。
逆にこの2シリーズはミデンには無力です。固定観念を捨てるも何も、そもそも何もないんだからどうしようもない。次に活かしたくても、その「次」がないから泣いてるんだ。

1~15年シリーズはミデンに勝てるが、新ミデンには勝てない。
16年~30年シリーズは新ミデンには勝てるが、ミデンに勝てない。
色分けができているので、テーマとして有りではないかしら。

【トラウムの戦い】

以上を念頭に、トラウムの2033年における対オールスターズ戦を見てみる。
2044年の戦いが終わった後、彼は2033年を経由し、2018年に戻り36話の戦いを起こし、そして消滅する…と私は決めつけています。創作設定の嵐で何が何やらですが。

「選択したことに対する漠然とした不安や後悔」は、破滅が待つ未来(2018年)に向かうトラウムの心境に合致します。
彼自身が望んだことであり、別の道を選びなおしたいのでもない。しかし決まってしまったこと、引き返せないことへの不安。そしてスタプリの「固定観念からの脱却(自分は破滅の袋小路に突き進んでいるのではない)」、ヒープリの「これまでの経験が次に生きる(18年の自分の戦いがそれ以降の歴史へと続く)」に勇気づけられ、2018年の最後の戦いに赴いたと。

意外とちゃんとまとまったかもしれない。謎だったトラウムの行動に、少し説明がついた気がする。

参考:
●HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察(一覧)

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