穴にハマったアリスたち

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「明日、ママがいない」の擁護に対する反論

2014年01月24日 | 王様の耳はロバの耳
Twitterの方で何度か書いたのですが、文字制限の都合で思うようにまとめられなかったので、こっちでも書いてみる。

岡村隆史「明日ママ」批判に苦言!放送中止なら「テレビの未来はない」
[引用]
  「このドラマがアカンとするなら、昔の『高校教師』なんて再放送もできへんで。教育委員会とかから文句言われる。生徒と(教師が)恋になるなんて、そんなありませんって。女子高の人たちが猛抗議したりやね。『家なき子』やで。タイトルでアカンってなるで」と過去のドラマを例に出した。

 「何もできへんようになる。(中止の)前例作ったら、抗議したらええっていう輩がおるから。ちょっと見て気に食わんとなったら、中止になって。池上(彰)さんのニュースばっかりになる。もうバラエティーもないわ。もうテレビは終わった。あとはクイズ、パプニング映像や。そんなばっかりになってくるよ」と“テレビマン”として警鐘を鳴らした。

(中略)

 一方「あくまでフィクション」「問題提起になっている」「子役の演技が素晴らしい」なども声もあり、賛否両論が広がっている。
[引用終]

非常にズレてる。

この件の最大の問題は「偏見をもって、特定集団を指す単語を作ったこと」だと私は思う。
平たく言えばレッテルを生み出したこと。
勘違いしてはいけないのは、「社会的に見て酷い状況が描写がされていること」が問題ではないはずです。

従って、「高校教師」や「家なき子」を引き合いに出すのは間違っている。
例えば「高校教師と女子高生の恋愛」を指す固有の単語は存在しません。
強いて言えば「ロリコン」でしょうけれど、意味として広いため、「高校教師と女子高生の恋愛」そのものには当てはまらない。
「家なき子」も同様です。ドラマの影響で「貧乏な子」や「家がない子」を、「家なき子」と呼んだ人もいるかもしれませんが、元々同名小説がある上に、「家」が「なき」「子」という言葉そのまんまで、新しい用語ではありません。

ところが本ドラマの「ポスト」は、まさしくそのものズバリ「赤ちゃんポストや施設に捨てられた親のいない子供」を指してしまう。

しかも「赤ちゃんポスト=捨て子」としているのが非常に悪い。

「赤ちゃんポスト」を現実に設置している慈恵病院に対しては、「捨て子を助長している」との批判があります。
それに対し、「いいや捨て子の助長ではない。様々な事情で育てることができず、子殺しをせざるを得ないような人たちの救済が目的だ」というのが病院の言い分です。
この思想や有効性への賛否はありますが、病院としては「赤ちゃんポスト=悪意のある捨て子(あるいは、捨て子の助長)」は絶対に許すことのできない『偏見』なんです。
(参考:医療法人聖粒会 慈恵病院 こうのとりのゆりかご

「偏見をもって」「特定集団を指す単語を作る」、これこそまさにレッテルであり、差別でしょう。

例をあげると、

 アニメが好きな人=犯罪予備軍や社会不適合者という設定で、彼らを「オタク」と呼ぶ
 自民党支持者=過激な軍国主義者という設定で、彼らを「ネトウヨ」と呼ぶ
 同性愛者=精力旺盛で変態的な嗜好の持ち主という設定で、彼らを「ゲイ」と呼ぶ

こういった連想と同一です。
あるいは「福島県から引っ越してきた白血病患者が、周囲からの迫害を受ける中、自分のことを『フクシマ』と呼び奮い立たせる」とかでもいいです。
繰り返しますが、「反社会的な犯罪を描くこと」や「病気で悲惨な人を描くこと」が問題なのではない。レッテルが問題なんです。

実際に、「犯罪をするオタク」や「福島県出身で放射能被害の影響を受けた人」もいるでしょう。
しかしレッテルを張ることの正当化にはならないんです。
全く無関係な人たちも大勢いるのですから。

上に挙げた例は、レッテルとして既に存在しており、場合によっては批判もされています。
しかし、これらと比べても、「ポスト」の件は非常に性質が悪い。
該当者が少ない上に、当人たちには全く責任がない。そして、わざわざ新しく用語として広められてしまった。

こう考えれば、「あくまでフィクション」「問題提起になっている」「子役の演技が素晴らしい」といった擁護は見当違いだと分かるかと思います。

フィクションかどうかは関係ありません。
舞台が江戸時代だろうとファンタジー世界だろうと、「捨てられた子」=「ポスト」という呼び方が問題なんです。

問題提起かどうかは関係ありません。
確かに過酷な境遇の子供もいるでしょうけれど、わざわざレッテルを作り出す必要はありません。

子役の演技が素晴らしかろうと、ドラマが感動的であろうと、最後に救いがあろうと関係ありません。
「捨てられた子」=「ポスト」の概念を作ってしまったことが問題なんですから。

もしも、単に「子供がひどい目にあう」だけなら、ここまで反発はされなかったと思うのです。
「ポスト」や「ペット」といった、まさしくその偏見に苦しんでいる境遇の人に対し、そのものずばりのレッテルを張ってしまっては、抗議されるのも当然でしょう。
引用記事では「抗議に屈したらテレビは終わる」とありますが、真摯に応えなければそれこそ終わりなんじゃなかろうか。


…というかグダグダ書きましたが、「身体特徴や出自など、本人に責任のない事柄に由来した、否定的なあだ名は止めよう」という基本的な常識の話なんですけどね。。

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