穴にハマったアリスたち

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(第6話)トロピカル~ジュ!プリキュア「今はじまる!その名は、トロピカる部!」感想

2021年04月04日 | トロピカル~ジュ!プリキュア
■(第6話)トロピカル~ジュ!プリキュア「今はじまる!その名は、トロピカる部!」感想


(「トロピカル~ジュ!プリキュア」第6話より)

部室を手に入れた夏海さん、活動内容を考える運びになりました。具体的には何もない。

●案1「とりあえず何でもやる」

即座に却下されました。時間は有限です。それに夏海さん自身がそうだったように、「何でもやる」は迷って「何もできない」に陥ってしまう。
何気に「あとまわし」と対になる大事な部分に踏み込んできた感。

●案2「計画を立ててやる」

綿密に予定を作り、何をやるかを可視化しました。フリーハンドで書いたとは信じ固い精密さで。
しかも杓子定規に決めるのではなく、「この日は母の誕生日」「じゃあサプライズで料理しよう」等の柔軟さも組み込みました。

しかしながらこれも却下。ダメなのか。「あとまわし」へのカウンターは「計画」ではないらしい。
「夏海さんやローラは、実現までのプロセスを妙に丁寧に語る」等からキーかと思ったのだけど。

●案3「好きなことをやる」

計画に縛られるのがダメなら、各自が今一番やりたいことをやろう。読書、コスメ、ゲーム、女王さまレッスン。

だけどこれも却下。理由は納得できる。
多人数でやるのに向かない、学校の場にそぐわない、個人の事情に依存しすぎる、etc。
なんてこった、「やりたいことをやる」も違うのか。

どん詰まり。
頭を抱えていると卒業生を名乗る謎のお姉さんたちと遭遇。先日処分したペンギン像を探しているらしい。中にタイムカプセル的なのを仕込んでいたそうで。
それはトロピカってる!と夏海さんらも探索に協力。まぁ処分したのは彼女らですし。事態は一刻を争う!

この過程を通じ、部活内容が決まりました。

●確定「今一番大事なことをやる」

「あとまわし」と「今一番大事なことをやる」は表裏一体。「宿題」と「遊び」のどちらを先にやるのが「あとまわし」で「大事なこと」なのか。
と思っていたのですが、今回かなり丁寧に描写してくれた。

卒業生のやったことは中学時代でないと意味がない。また、卒業後のつながりをもたらしてくれる。
こういった「タイミングが限定され」「先々に活きること」が大事なのか。
漠然と全部やるのではなく、事前に計画するのでもなく、やりたいことをやるのでもない。
将来を見据えた上で、優先順位や機会損失や適切さや妥当性を、適時判断して行動せよ。

納得感ある。確かにそれは大事だ。めちゃくちゃハードル高いけど。
リアルでいえば(初代を現役で見ていた子供たちの今の年齢である)20代後半とか、顕著に突き刺さる。結婚、転職、昇進その他さまざまなことが、それを目指す・目指さないの判断も含めて、今この時の行動にかかってる。
私自身、育児とかで痛感します。今この瞬間でないと意味がなく、やったかどうかが将来に影響を及ぼすことが多々ある。

劇中でいえば、あとまわしの魔女様が既にやらかしています。
第1話でプリキュアを叩いていれば勝てたものを…。あとまわしにしたばっかりに、わらわら新しいのが湧いて出て態勢を整えられてしまった。

前回の話を見て「コラボするならスマプリがテーマ的に近いのか」と思いましたが、今回のを見ると「フレッシュ」な気がする。
人生山あり谷あり。されどたどり着く先はひとつ。
この「フレッシュ」のテーマ(およびその回答「終わった後もやり直せる」)に対し、「辿る道のりにより経験が違う。その経験の差が、ゴールの後を変える」と補強できそう。
定年退職しての老後は避けられなくても、そこまでに得た知識や趣味や人脈等の如何によって、老後の第二の人生が変わるような感じ。

そう思うとローラがメロンパンをムシャムシャ食べてるのもそれっぽい。
海の中にはパンはない。
故に地上にいる今の内に堪能する。
意味もなくムシャムシャしているのではないのです。今ここでしか得られない体験が、彼女の統治する王国にて役立つかもしれない。
現女王様はそこまで見越して彼女を地上に派遣し、ローラはローラでやるべきことを心得ていたりするのかしら。人魚王国、あなどれない。やる気のない連中に蹂躙されてる割に、先々を見越した代替わり政策をやってるじゃないか。

【蛇足】

メロンパンといえばSplashStar。昨今では違うような気もしますが、何はともあれSplashStarです。
あと劇中の重要アイテムとして「海」も登場する。多分、歴代の中で最も「パン」と「海」に関係があるのが美翔さんたちのはず。
小難しいことを色々とさておくならば、美翔さんたちにもチャンスはある…んだろうか。
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感想:シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇

2021年04月04日 | 映画・コンサート・展示会・テーマパーク
劇中設定や制作者インタビュー等は追えていないので、ただ見ただけの感想をそのまま書きます。パンフレットも買えてないので、表記や綴りが違ったら申し訳ない。

【それがない世界】

色々あって相応に成長したトウジたち。否が応でも自分を重ねます。
スクリーンの中のシンジくん達は以前と同じ姿のまま。だけど序からは14年、テレビ放送からは26年。大人になった私たちと、子供のままのシンジくん。
語られる言葉は身に染みます。ニアサーだの何だのとは桁が違うものの、まぁ私らも色々あった。14年前や26年前から変わらぬシンジくんを、当時と同じ目線では見られない。

想像存在のマイナス宇宙は、私らにとっての「エヴァンゲリオン」そのもの。
現実世界の我々から見た「エヴァンゲリオン」という作品世界。シンジくんのいる世界から見たマイナス宇宙。構造は同じ。

映画を見終わったあと、外にでて妙な現実感を味わいました。何と言うか全てがCGっぽく見える。「嘘臭い」のではなく「変にリアル」。
考えてみれば「現実みたいなCG」を見続けたら「CGみたいな現実」を感じる。劇中でくどいくらいに演出される「なんかリアルな看板や張り紙や音楽」は、現実世界には当たり前に溢れている。誰かが置いたからそこにある看板や文字。今までスルーしていたそれらが、映画中で散々見続けたせいか、妙にリアルに見えた。

この構造が、マイナス宇宙で「エヴァンゲリオン」をなくし、(劇中の)現実世界に戻ってきたシンジくんの状況に妙に合致してるように思う。
確かに時間を戻したりはしていない。が、なるほど確かに「エヴァのない世界」だ。シンジくんがマイナス宇宙で結末を見たように、私らは映画館で結末を見た。
この瞬間、「エヴァンゲリオンが完結した」のを強烈に実感しました。今までの「エヴァがある世界」ではない。もう、「エヴァはない」。

正直いって完結するとは思ってなかったのに、ストーリーのみならずコンテンツとしても終えるとは。
何かもうこうなると、フィギュアとかのグッズも霧消するように思う。それはもう過去だ。まぁそうは言いつつ色々と展開は続くだろうし、それはそれで良いのだけれど、「この映画以前」には戻れない。私たちは「エヴァのない世界」に進んでしまった。

【人生の振り返り】

私自身がリアルに子供を授かって日々思うことのひとつとして、「子を通じて人生を再体験」しているように思う。
「自分が果たせなかった夢を託す」とかそんなことではなく、自分が子供だったときの舞台裏を見ているような感じ。また、「改めて自分も義務教育の過程を繰り返してみよう」のような感覚。

ゲンドウがシンジくんを避けたのは、彼の感覚としては分からないでもない。彼にとっては孤独が幸せだったのだから、息子に孤独を与えるのは分かる。一方で自分にとって救いだったユイの代理たるレイをあてがったのも分かる。色々と矛盾やら描写の整合性はさておいて。

「ユイがシンジの中にいた」も、遺伝子的にはそりゃそうだとか、ストーリー的に何かが封印されてたとか、定番の「家族のぬくもり」的な何かとかはそれはそれとして、「ゲンドウの追体験」の観点から理解した。シンジくんはやがて、ゲンドウにとってのユイにあたる誰かと巡り会う。その人はユイとは全く違うタイプかもしれないし、シンジに自分を重ねるのでもない。でもシンジが体験するそれを通じ、自分の過去とも出会う。
子供がやってる教科書を見て「ああそういえばあったな」と思ったり、「また新しく勉強するか」と追体験する感覚です。

そしてこれも「エヴァ」の映画そのものにも言えるように思う。
新しい発見があって感動した云々というより、これまでの四半世紀を振り返って嚙み締めたかのような感想だった。

【蛇足】

うちのメインのひとつは「プリキュア」なので、ちょっとその観点でも書いてみる。

「プリキュア」シリーズは「所詮は架空の物語に過ぎず、現実の不幸には無力だ」に苦しんでいて、その突破口として「私たちもプリキュアだ」の解決に至っています。
例を挙げるなら「スマイルプリキュア」(の公式続編の小説版)はストレート。「この世界はメルヘンだ」と開き直り「君もプリキュアだったけど、それを忘れてしまっている。子供時代のあのキラキラした想いを思い出して」と励ましてくれる。15周年記念シリーズである「HUGっと!プリキュア」でも、私たちの記憶にある「プリキュア」シリーズの思い出(つまりはこの15年の私たちの人生)が、これからの苦難に立ち向かう支えとして描かれています。

この解法は「エヴァ」とは真逆だ。どちらが良い悪い、上等下等ではなく、アプローチが逆。「現実に帰ってこよう」と「現実はメルヘンだ」。それなのにどちらも現実に向き合うきっかけになるのは、不思議で面白いと思う。
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