■(第27話)ひろがるスカイ!プリキュア「ミラーパッドでワクワクレッスン!?」感想
前回に引き続き、今回も必然性のない筋トレを拝めた。
プリキュアさんは是非無意味に体を鍛えていて欲しい。
(「ひろがるスカイ!プリキュア」第27話より)
と思っていたら、トレーニング回だった。
そして色々と不可解だった。
少し前のソラさんだったなら、今回の状況には歓喜していたように思う。だって、色んな方法でトレーニングできるんですよ!
それが何と花火を優先していらっしゃいます。何という柔らかなソラ。
幅と余裕が出てきて人間としては「良いこと」だとは思いますが、ソラさんにはもう少し尖っていていただきたいのも本音。「こっちに引っ越します」ぐらいの勢いで、トレーニングモードに入り浸っていて欲しい。
さて何より不可解なのは、エルちゃんが単独行動していて、誰もそれを気にしていないことです。
今回のお話の導入は、エルちゃんが同じ部屋にいても成り立ちます。外に飛び出る描写が不要になるので、屋内で操作されてた方が自然とすら言える。
わざわざ手間をかけたのだから、何か意味があると思いたい。
「ひろプリは新社会人を背景にしている」説に則るなら、「自分はこうだと決めつけずに、周囲の人の良いところを真似て色々挑戦しよう」かと思われます。
逆に言えば、自分の得意なことばかりをやっていると視野が狭まる。
冒頭のシーン。
ソラさんは筋トレ、ましろさんはネイル、ツバサくんは読書、あげはさんは保育で使う振り付けと、ご自身の興味に没頭している。好きで興味があるから、他が目に入らなくなる。だからエルちゃんがお留守になった。
そこまではトレーニングでのシャッフルとも通じますから良いとして、何故誰も気にしていないんだろう?
普通に考えれば、ソラさん達のモチベーションは「花火を見る」ではなく「エルちゃんが危ない」です。
社会人でいうなら「家族で楽しむために急いで帰ろう」と「子供の世話のために急いで帰ろう」の違いのようなものかもしれない。
後者だと義務や悲壮感が出てしまう。だから「楽しみのため」に帰る展開にした。
大事な点として、実は両方ともやろうとしていることは同じです。
「花火を見る」際には「エルちゃんの世話」も当然する。「花火を見るために帰ろう」も「世話をするために帰ろう」も行動に違いは出ません。
これは育児あるあるというか、「育児行為そのものを楽しみにしてよいか」問題は育児界隈の最大の闇だとも思う。
「花火を楽しむとは何事か。育児を真面目にやれ」に類することはよく聞く。育児は辛くて苦しいことだの思い込みが先行して、「一緒に花火を楽しむ」を育児とみなさない風潮が実際にある。
プリキュアファンなら、「プリキュアイベント(例えば、現在開催中の池袋のイベントを想像してください)」で例えるとイメージしやすいかもしれない。
(1) プリキュアに全く興味がなく、子の世話のために付き添いで参加する親
(2) 自らもプリキュアのファンで、子と一緒に楽しむために参加する親
この人たちが、不意の残業で仕事が増えたとします。早く終わらせないとプリキュアイベントに行けない。
(1)は「子の世話のために早く帰らねば」を思うでしょう。(2)もそういう思いはあるにしても、「プリキュアイベントに行きたいから早く帰ろう」も前面に出てくるはず。
では(2)の親は育児放棄しているのかといえば違います。プリキュアイベントに行くことには、子供の世話も含まれている(世話というか「子供と一緒に楽しむ」こともセットなので、意識するまでもなく世話をする)。
こういう観点でいえばソラさんたちの「花火を見るために帰ろう」も、納得できる余地は出てくると思う。
ただ、リアルが災害級の猛暑かつ目を離すと事故で死ぬ1歳児というリアルな恐怖があるので、とんでもなく分かりにくい。
しかもこの窮地を招いたのが本人たちのミスとなればなおさらです。
先ほどのプリキュアイベントの例でも、「12時に帰宅してプリキュアイベントに子連れで行くことになっていたので、配偶者は12時になったら赤ちゃんを置いて外出した(不自然な状況設定ですが)。ところが帰宅時間が13時になりそうだ」であれば、イベントに行きたいなんて発想は消し飛んで、早く帰らないとヤバい!どうか無事でいて!しか浮かばないです。もちろんソラさん達の状況はこれだ。
前述のとおり「イベントに行く」には「子の世話」も含みます。やることが同じなら、不安に駆られるより楽しい意識で取り組む方が良い結果にはなりそうですから、おかしくない…のだけどネタがリアルなだけに、ソラさんたちの行動はやっぱり違和感はある。
言うなれば、「私たちが負けたら世界が滅びてしまう…!」と思い詰めて戦うのではなく、「チョコが売り切れちゃうから早く倒そう」と同系統の発想にも思えます。こういう描写だったら好ましく感じる人が多いはず。
本質的には同じ考え方だと思うのですけど、「1歳児を放置」はあまりに身近な恐怖なので、かなり際どい(というかアウトと感じる人が多くても無理ない)状況設定だったなと思う。
せめて「エルちゃんが危ない!」→焦りからミス連発。トレーニングをクリアできない→「楽しいことを考えよう」なら、まだ多少は受け入れやすかったのかも。
前回に引き続き、今回も必然性のない筋トレを拝めた。
プリキュアさんは是非無意味に体を鍛えていて欲しい。
(「ひろがるスカイ!プリキュア」第27話より)
と思っていたら、トレーニング回だった。
そして色々と不可解だった。
少し前のソラさんだったなら、今回の状況には歓喜していたように思う。だって、色んな方法でトレーニングできるんですよ!
それが何と花火を優先していらっしゃいます。何という柔らかなソラ。
幅と余裕が出てきて人間としては「良いこと」だとは思いますが、ソラさんにはもう少し尖っていていただきたいのも本音。「こっちに引っ越します」ぐらいの勢いで、トレーニングモードに入り浸っていて欲しい。
さて何より不可解なのは、エルちゃんが単独行動していて、誰もそれを気にしていないことです。
今回のお話の導入は、エルちゃんが同じ部屋にいても成り立ちます。外に飛び出る描写が不要になるので、屋内で操作されてた方が自然とすら言える。
わざわざ手間をかけたのだから、何か意味があると思いたい。
「ひろプリは新社会人を背景にしている」説に則るなら、「自分はこうだと決めつけずに、周囲の人の良いところを真似て色々挑戦しよう」かと思われます。
逆に言えば、自分の得意なことばかりをやっていると視野が狭まる。
冒頭のシーン。
ソラさんは筋トレ、ましろさんはネイル、ツバサくんは読書、あげはさんは保育で使う振り付けと、ご自身の興味に没頭している。好きで興味があるから、他が目に入らなくなる。だからエルちゃんがお留守になった。
そこまではトレーニングでのシャッフルとも通じますから良いとして、何故誰も気にしていないんだろう?
普通に考えれば、ソラさん達のモチベーションは「花火を見る」ではなく「エルちゃんが危ない」です。
社会人でいうなら「家族で楽しむために急いで帰ろう」と「子供の世話のために急いで帰ろう」の違いのようなものかもしれない。
後者だと義務や悲壮感が出てしまう。だから「楽しみのため」に帰る展開にした。
大事な点として、実は両方ともやろうとしていることは同じです。
「花火を見る」際には「エルちゃんの世話」も当然する。「花火を見るために帰ろう」も「世話をするために帰ろう」も行動に違いは出ません。
これは育児あるあるというか、「育児行為そのものを楽しみにしてよいか」問題は育児界隈の最大の闇だとも思う。
「花火を楽しむとは何事か。育児を真面目にやれ」に類することはよく聞く。育児は辛くて苦しいことだの思い込みが先行して、「一緒に花火を楽しむ」を育児とみなさない風潮が実際にある。
プリキュアファンなら、「プリキュアイベント(例えば、現在開催中の池袋のイベントを想像してください)」で例えるとイメージしやすいかもしれない。
(1) プリキュアに全く興味がなく、子の世話のために付き添いで参加する親
(2) 自らもプリキュアのファンで、子と一緒に楽しむために参加する親
この人たちが、不意の残業で仕事が増えたとします。早く終わらせないとプリキュアイベントに行けない。
(1)は「子の世話のために早く帰らねば」を思うでしょう。(2)もそういう思いはあるにしても、「プリキュアイベントに行きたいから早く帰ろう」も前面に出てくるはず。
では(2)の親は育児放棄しているのかといえば違います。プリキュアイベントに行くことには、子供の世話も含まれている(世話というか「子供と一緒に楽しむ」こともセットなので、意識するまでもなく世話をする)。
こういう観点でいえばソラさんたちの「花火を見るために帰ろう」も、納得できる余地は出てくると思う。
ただ、リアルが災害級の猛暑かつ目を離すと事故で死ぬ1歳児というリアルな恐怖があるので、とんでもなく分かりにくい。
しかもこの窮地を招いたのが本人たちのミスとなればなおさらです。
先ほどのプリキュアイベントの例でも、「12時に帰宅してプリキュアイベントに子連れで行くことになっていたので、配偶者は12時になったら赤ちゃんを置いて外出した(不自然な状況設定ですが)。ところが帰宅時間が13時になりそうだ」であれば、イベントに行きたいなんて発想は消し飛んで、早く帰らないとヤバい!どうか無事でいて!しか浮かばないです。もちろんソラさん達の状況はこれだ。
前述のとおり「イベントに行く」には「子の世話」も含みます。やることが同じなら、不安に駆られるより楽しい意識で取り組む方が良い結果にはなりそうですから、おかしくない…のだけどネタがリアルなだけに、ソラさんたちの行動はやっぱり違和感はある。
言うなれば、「私たちが負けたら世界が滅びてしまう…!」と思い詰めて戦うのではなく、「チョコが売り切れちゃうから早く倒そう」と同系統の発想にも思えます。こういう描写だったら好ましく感じる人が多いはず。
本質的には同じ考え方だと思うのですけど、「1歳児を放置」はあまりに身近な恐怖なので、かなり際どい(というかアウトと感じる人が多くても無理ない)状況設定だったなと思う。
せめて「エルちゃんが危ない!」→焦りからミス連発。トレーニングをクリアできない→「楽しいことを考えよう」なら、まだ多少は受け入れやすかったのかも。