27日(木)、成田市役所に《聖火リレートーチ》を観に行って来ました。千葉県では【オリンピック聖火リレー】は7月1日から3日まで、「パラリンピック」は8月18日に実施される予定です。それに先立って《聖火リレートーチ》の巡回展示が行なわれています。4月1日(木)に県庁をスタートし、6月25日(金)まで約3ヶ月間かけて県内の37市16町1村で1日ずつ展示されます。鏡を使用して上からの形が観られる様になっていました。
トーチのアルミの素材の約30%は「東日本大震災」の復興仮設住宅のアルミ建築廃材を再利用しています。また、千葉県ではトーチを飾る展示台に千葉県産の杉材を使っているそうです。この杉材は、「東京2020大会」のサーフィン会場である「釣ヶ崎海岸サーフィンビーチ」の施設整備にも使われるとの事です。
尚、千葉県では「新型コロナウイルス」の感染状況を踏まえ、【オリンピック聖火リレー】の全区間における「聖火ランナー」の走行は中止になりました。各日、「セレブレーション会場」において無観客で「点火セレモニー」のみを実施するそうです。「東京2020大会」の開催については安心と安全の確保が出来ないのであれば、中止もやむを得ないのではと思っています。開催するなら無観客で・・・。もし可能なのであれば、希望する殆どの日本人がワクチンの接種を終えている10月頃に出来れば嬉しいです。
展示台は千葉県産の杉材 / 左:オリンピックの「桜ゴールド」 / 右:パラリンピックの「桜ピンク」
5月26日(水)は「スーパームーン」での《 皆既月食 》だったので期待をしていました。この日は「月の出」の前に月食が始まり、月が欠けたまま昇る「月出帯食」でした。でも、あいにくの曇り空で千葉県では全く見えませんでした。皆既食が終了後に雲が薄くなって来て、辛うじて「部分食」がぼんやりと見えました。
前回の《 皆既月食 》については2018年1月31日のブログを見て下さい。
皆既食が終了後の「部分食」の月 21時4分頃 / 21時18分頃 / 21時20分頃
2月3日(水)、「ダイヤモンド富士」を撮りにいつもの場所に行きましたが、あいにく「富士山」の方向だけが厚い雲に蔽われていました。仕方がなので日没後、雲が薄い方向の写真を撮りました。「ダイヤモンド富士」になるタイミングは3日程あるのですが、私のスケジュールと天候が合わないので今回は撮るのを諦める事にしました。
富士山の裾が少し見えます<16時55分頃> / 薄雲に陽が当たって幻想的<17時40分頃>
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2月16日(火)、前日の雨が止んで快晴だったので、「富士山」と日没の写真を撮りに行きました。「日の出」や「日の入り」前後の40分位、空の色が変化する時間帯を撮影用語で「マジックアワー」と言うそうです。日没直後のオレンジ色の空も好きですが、太陽が深く沈んでオレンジ色が濃くなってからの青とのグラデーションが好きです。少し離れた空に月齢4.3日の月が見えました。
日没直後のオレンジ色の空<17時25分頃> -遠くに「スカイツリー」が見えました-
オレンジ色から青へのグラデーション<17時40分頃> / 月齢4.3日の月<17時45分頃>
用事で成田駅に行った序でに「成田山新勝寺」に初詣に行って来ました。分散参拝が呼び掛けられていた為か、参拝者は少なかった様な気がします。表参道では成田市御案内人の「市川海老蔵」さんによる、感染症拡大防止対策を呼び掛けるアナウンスが放送設備や消毒・検温スポット等で流れていました。メッセージは、【 COCOA、ソーシャルディスタンス、マスクの着用 】 【 飛沫の防止 】 【 三つの密の回避、消毒、手洗いとうがい 】 の3種類ありました。
快晴の良い天気だったので、久しぶりに「成田山公園」を散歩しようと思いました。でも、買い物もあったし、風が強くて寒かったので、早々に帰って来ました。
ところで、今年の「節分」は2月2日になります。これは地球の「公転」と「暦」のズレが影響しています。1年はぴったり365日ではないので、うるう年が設けられています。でも、ズレが蓄積されると「二十四節気」の一つである「立春」が変わる事があります。「立春」の前日である「節分」が2日になるのは1897年以来124年ぶりになるそうです。因みに1984年は4日でした。次に2日になるのは2025年です。しばらくは4年に1回、うるう年の翌年の節分が2日になるとの事。
尚、今回の「成田山節分会」はコロナ禍に配慮し、「特設舞台」での著名人による「豆まき」と「西翼殿」での福豆や福御守(剣守)の配布は中止になりました。「年男」による大本堂での「豆まき」のみ行ないます。「国土安穏・万民豊楽・五穀豊穣・転禍為福・疫病退散」の祈りを込め、厳かに執り行なわれます。
「五色幕」が風ではためいていました
明けまして おめでとうございます
本年もよろしく お願いいたします
新しい年が良い年でありますよう お祈り申し上げます
昨年は「コロナ禍」の1年でした。1日も早く新型コロナウイルス感染症が収束し、普通の生活が送れる様に願っています。
1月1日(金)の朝は雲1つない晴天でした。少し寒かったのですが、近くの公園まで「初日の出」を見に行って来ました。いつも来ていた親子の人達がいなかったので私一人でした。
帰ろうとした時、西の方の空には沈む1時間半位前の月(月齢17.5日)が見えました。朝の月も良いものですね。枯れた草の根元でガサガサ音がしたので見たら、「ツグミ」が虫を探しているところでした。
「日の出」の直前<7時3分頃> / いよいよ「初日の出」が・・・<7時4分頃>
帰る前、少し離れて公園を入れて撮ってみました<7時14分頃>
月齢17.5日の月<7時10分頃> / ツグミ
最近、《妖怪アマビエ》を色々な所で見かける様になりました。先日、成田山表参道にある「なごみの米屋」さんに行ったら、「ぴーなっつ最中」で御馴染みの「ぴーちゃん」が【終息祈願】の「アマビエ」になっていました。また、我孫子駅の「New Days」では春日部市の「三州製菓」さんの「アマビエ印刷煎餅」が売っていました。しばらく飾ってから食べました。白砂糖でコーティングされ、程よい堅さで美味しかったです。一日も早く「新型コロナウイルス感染症」が収束(出来れば終息)して欲しいものです。
話は変わりますが、我家の玄関のアプローチに「カマキリ」がいました。「カマキリ」を見るのは久しぶりです。20年位前に卵から沢山の「カマキリ」が孵化したのを思い出しました。小さいながらも一人前に「カマキリ」の形をしていて感動したものです。また卵を産んでくれると嬉しいです。実は私は「カマキリ」の三角形の顔が苦手だったのですが、「みなしごハッチ」の「カマキチおじさん」を観てから、少しだけ好きになりました。
「なごみの米屋」さんの「ぴーちゃん」 / 「アマビエ」の煎餅
「カマキリ」は前からの姿と後姿がカッコ良いです
4月8日(水)の満月は、2020年で地球に最も近い《スーパームーン》でした。満月の瞬間は11時35分だそうですが、日本ではまだ月が昇っていない為に見ることが出来ません。私がニュースで知ったのは8日の22時頃でした。その時間は高度が高かったので、普通の満月みたいで大きさは実感出来ませんでした。でも、何時もより明るかった様な気がしました。ベランダで撮りました。
次の日に撮ろうと思いましたが、あいにくの曇で全然見えませんでした。10日は月の出が20時44分との事だったので、取りあえず近くの公園まで20時30分頃に行ってみました。辺りは真っ暗でまだ月は出ていなかったので、一旦帰ってしまいました。21時30分頃に再び行ってみたら、既に月は昇っていました。もう少し待っていれば良かった・・・。
余談ですが、2017年12月3日に美術館から駅までの送迎バスの窓から見たオレンジ色の月がビックリする程大きくて印象に残っています。その時、童謡「月」の歌詞 《盆のような月が~♪》 が思い浮かびました。夕方に昇って来る月は大きく見えるものですが、それにしても大きかったのです。気になって後日調べたら、その日は「スーパームーン」の前日でした。私が思うに、童謡「月」の詩を書いた人が見た月も、もしかしたら「スーパームーン」だったのかもしれません。あくまでも私の勝手な想像ですが・・・。
8日:スーパームーン< 23時10分頃 > / 10日:ベランダにて<22時50分頃>
10日:公園にて<21時30分頃> / 10日:公園にて<21時30分頃>
3月26日(木)は旧暦の3月3日「雛祭り」で「大安」だったので、内孫の《初節句》の祝いを行ないました。生後ほぼ100日だったので、《お食い初め》の祝いも兼ねて行ないました。暖かくて良い天気でした。
《初節句》の「雛飾り」は娘の時に私が制作したものを使いました。娘は置く場所が無いからいらないと置いて行きました。その後も御雛様が可哀相なので毎年飾っていました。息子のお嫁さんに聞いたら、今住んでいる家には置く場所が無いから新しい物でなくても良いと言う事だったので、我家で行なう事にしました。「桜餅」は「なごみの米屋」さんで買いました。
《お食い初め》の「鯛」を探しに近くのスーパーに行ったら、売っていませんでした。仕方がないので、「尾頭付き」であれば「金目鯛」か「メバル」でもと思ったのですが、それすらも在りませんでした。ネットで調べたら、焼いた「鯛」を扱っている事が分かりました。ネットは便利ですね。食器セットは「お宮参り」の時に神社で頂いた物です。《初節句》も兼ねていたので、「赤飯」に替わって「ちらし寿司」にしました。煮物は「黒豆」、漬物は千葉県の名物の「鉄砲漬け」にしました。「歯固め石」は「上野大仏・パゴダ薬師堂」で数年前に頂いたお守りの石を持っていたので、それを使いました。
5日(水)、《ダイヤモンド富士》を見に行きました。西の方に雲が出ていましたが、雲が無くなるのを期待して行ってみました。日没近くなると、幸いにして富士山の所だけ雲が取れて来ました。逆に富士山の所だけ雲で覆われている時もあるのでラッキーでした。日没前後の夕焼けが綺麗でした。
富士山の頂上に太陽がベレー帽の様にちょこんと乗っている写真が撮りたかったので、6日にまた行きました。晴れていましたが、あいにく富士山の所だけ雲で覆われていて撮れませんでした。でも、日没後に少しずつ雲が取れて来て、偶然に「龍雲」が撮れました。「龍雲」の定義はないので、あくまでも私の思い込みですが、何か良い事が起こりそうな気がしました。
日没前<16時58分頃>(太陽は左上に) / 日没後<17時14分頃>
太陽は右下に下がって行きました<17時6分頃~17時10分頃>
6日の日没後<17時14分頃>(龍が富士山によじ登っている様に見えました)
4日(土)、《成田山新勝寺》に参拝に行って来ました。いつもは混雑を避けて15日過ぎに行くのですが、今年は思い切って松の内に行って来ました。混んではいましたが3時過ぎだったので、並んで参拝する程ではありませんでした。本堂の前の「大しめ縄」は稲穂をつるしたような形が特徴で、幅6.6m、高さ1.5m、重さ200kgを超えるそうです。1700年に貫首になった中興第一世「照範大僧正」が五穀豊穣を祈願して考案した事から〔照範じめ〕と呼ばれています。
話は変わりますが、平安時代中期の「平将門の乱」の際、939年に「宇多天皇」の孫である「寛朝大僧正」は「朱雀天皇」から密勅を受けて東国へ遣わされました。翌年に調伏する為に不動護摩の儀式を行ないました。これを起源として《成田山新勝寺》は開祖を「寛朝大僧正」、開基を940年としています。その後、寺は寂れて開基から1700年までの760年間の記録は残っていません。中興第一世「照範大僧正」の頃から「出開帳」や歌舞伎役者「市川團十郎」が成田不動に帰依して〔成田屋〕の屋号を名乗り、不動明王が登場する芝居を打った事なども相まって庶民の信仰を集め、成田参詣が盛んになりました。現在の貫首の「橋本照稔大僧正」(92歳)は中興第一世「照範大僧正」から数えて中興第二十一世となります。
5日(日)、欲張って《大鷲神社》にも参拝して来ました。「酉の市」の賑やかさが嘘のように静かでした。拝殿の前には「茅の輪」(ちのわ)がありました。〔茅の輪くぐり〕は1年間の厄を落とし、新しい年に幸あれと願うものだそうです。作法が決まっているみたいでした。書かれていた説明によると、◆まず「茅の輪」の正面でお辞儀をする⇒◆「茅の輪」をまたいで左回りで正面に戻る⇒◆「茅の輪」をまたいで右回りで正面に戻る⇒◆「茅の輪」をまたいで左回りで正面に戻る⇒◆最後にお辞儀をしてから「茅の輪」をまたいで参拝する。ちょうど8の字を書く様な感じになります。
「大本堂」の前の「大しめ縄」 <照範じめ>
「仁王門」の階段は上りのみの一方通行 / 「大鷲神社」の拝殿前の「茅の輪」
明けまして おめでとうございます
本年もよろしく お願いいたします
新しい年が良い年でありますよう お祈り申し上げます
1月1日(水)、近くの公園まで《初日の出》を観に行きました。あいにく厚い雲で蔽われていましたが、雲が取れる事を期待して行ってみました。でも、雲は最後まで取れず、太陽はぜんぜん見えませんでした。時々雲の切れ間から光が漏れて来ました。そして偶然、「天使の梯子」(薄明光線)が観られました。
今年も昨年の親子4人が観に来ていました。太陽が昇る時刻になったら、ぼんやりと光っていた様な気がしました。親子はその方向に向かって拝んでから帰って行きました。私は少し残って観ていました。
少し光が見える様な気が<7時10分頃> / 雲間から光が漏れていました<7時19分頃>
天使の梯子<7時28分頃> / 太陽はかなり上の方に<7時30分頃>
6日(水)、ダイヤモンド富士を見に行きました。本当は7日がベストな日だったのですが、数日曇りで天気が悪いとの事だったので、この日に行きました。太陽の光が強すぎて撮影は失敗してしまいました。
この日の月は旧暦の10月10日に当たり、「十日夜の月」(とおかんやのつき)と言うそうです。農作物に感謝をする日とされています。全ての月齢に呼び名がある訳ではありませんが、風情のある素敵な呼び名が色々とあるみたいです。因みに旧暦の8月15日の「十五夜」は9月13日(金)、旧暦の9月13日の「十三夜」は10月11日(金)でした。
太陽がちょうど頂上にあった時に光が強すぎて、撮影に失敗してしまいました
太陽は富士山の裾の方に沈んで行きました / 十日夜の月
先月で朝ドラの《なつぞら》が終わりました。前半は戦災孤児である主人公の「なつ」が逞しく生きていく様を、後半はアニメーション草創期にアニメーターを目指して行く様を描いていました。後半の「奥原なつ」は「奥山玲子」さんを、夫の「坂場一久」は「高畑勳」さんをモデル・参考にしていたそうです。他に「宮崎駿」さん達をモデルとしたとされている登場人物もいました。また、「奥山玲子」さんの実際の夫の「小田部羊一」さんがアニメーションの時代考証をしていました。
私は特に後半を感慨深く観ていました。実は父が1966年頃にアニメーションの制作会社に勤務していて、背景画を描いていました。月~土の夕方の10分間、ロバくん(声:愛川欽也)が出て来る物語でした。徹夜の仕事も度々あり、ドラマでもそんな場面がありましたが、机に座ったまま仮眠していたそうです。過労死しないか心配でした。でも、2年程で放送が終わり、会社も無くなってしまいました。
特別な思いで観ていた時に、「京都アニメーション」の放火殺人事件がありました。一瞬にして多くの尊い命と才能が失われてしまいました。悲しく残念な事件でした。犠牲者たちの冥福をお祈りいたします。この事件で「京都アニメーション」を知る事になりました。作品を観る事が供養になるのではと思い、まずは【響け! ユーフォニアム】を観てみたいと思います。
事件現場の中央のらせん階段の映像を見て、ふと昔の事を思い出しました。私が小学校低学年の頃まで父が「街頭紙芝居」の絵を描いていました。描いた絵は紙芝居の貸元の方が取りに来るのですが、仕上がっていない時は母が次の日に届けに行きました。その時に私も度々付いて行きました。3~4社程と仕事を請け負っていましたが、私は金町駅と堀切駅に良く行ったのを覚えています。どちらだったか忘れましたが、1階の中央にらせん階段があって、ニスの入った大きな缶がたくさん置いてありました。上に張ったロープに仕上げのニスを塗った絵がぶら下がっていました。印象的な光景だったので、鮮明に覚えていました。
私2歳・弟1歳位と両親 <おまけの画像> / 父が紙芝居を描いているところ
6月の満月を「ストロベリームーン」と言うそうです。アメリカの先住民が由来で、季節を把握するために各月の満月に名前を付けていて、イチゴの収穫時期であった6月の満月を「ストロベリームーン」と呼んでいたと言われています。ヨーロッパでは「ハニー(蜂蜜)ムーン」と呼んだりする事もあるそうです。どちらもキュートな名前ですね。ところで、「ハニームーン」と「ジューンブライド」って関係があるのでしょうか?
イチゴの収穫時期を表わすものなので、別に月がイチゴの様に真っ赤に見えると言う訳ではありません。でも、今の時期は空気中の水蒸気が多い事と、塵などの影響で高度が低い月は、少しピンク色っぽく見える事もあるそうです。その事を知ったのが今日の22時頃でした。すぐにベランダに出て撮りましたが、高度が高かった為か普通の月と変わりませんでした。
実は昨日の夕方、たまたま散歩の時に見かけた月がとても綺麗だったので、近所の公園で撮影していました。まさか「ストロベリームーン」の前日だったとは知らずに・・・。気のせいか少しピンク色っぽく見えます。
ぜんぜん関係ありませんが、今日の夕方に買い物の途中に見た雲の形が面白かったので、家に帰ってから日が落ちる前に急いで撮りました。その時は「ストロベリームーン」の事をまだ知らなかったので、残念ながら高度が低い月は撮れませんでした。
17日:満月<22時30分頃 > / 16日:ほぼ満月の月<18時30分頃>
17日の空<17時30分頃> -面白い雲が見えました-
今日から「令和」、大安です。新しい時代の幕開けで2度目の元旦が来たみたいな感じです。改元後の最初の日の出を見ようと早起きしましたが、あいにくの雨でした。諦めて2度寝しました。気を取り直して、昼食後に改元後の参拝と御朱印を戴きに行きました。「令和」の時代が平和で災害の無い時代になる事を祈っています。
最初に《埴生神社》に行きました。「埴生神社」は創建年代は不詳ですが、この辺りは埴生郡(はぶごおり)と言われ、土師器(はじき)を作って集落を構えていたそうです。その土師部(はしべ)一族が祖神、氏神である「埴山姫之命」(はにやまひめのみこと)を祀り、祭祀を執り行ったのが始まりと伝えられています。7月の海の日の前の土・日には「朝顔ほおづき市」が行なわれます。5月の月替わり朱印は、鯉のぼりと菖蒲となっています(右下)。1日・15日のみ金色の文字になっているそうです。この日は混んでいたので、御朱印帳への記帳ではなく、紙での手渡しとなっていました。
次に歩いて《成田山新勝寺》に行きました。成田山の御朱印は6種類あります。最初に「平和大塔」に行き、梵字の御朱印を戴きました。行列が出来ていて約30分待ちでした。中に入ると≪スタンプラリーではありません。必ず御本尊を詣でて下さい≫と言う意味の事が書かれていました。納得です。昨年の「祇園祭」の時以来久しぶりに2階の「明王殿」を参拝しました。「大本堂」にも行きました。度々立ち寄って参拝もしていましたが、御朱印を戴いたのは今回が2回目です。文字は書く人によって書体がぜんぜん違う事が分かりました(前回の時は行書でした)。令和元年12月末日までは右上に【奉祝 天皇陛下御即位】の特別朱印が入ります。
埴生神社 / 成田山新勝寺・大本堂
埴生神社の御朱印<鯉のぼりと菖蒲の印> / 平和大塔の御朱印 / 大本堂の御朱印