昨夜は秋雨前線の影響で激しい雨が降りました。朝には小降りになって来たものの台風が近付いていたので、行くのを躊躇していました。でも、ちょうど講義が始まる13時30分頃は雨が止んでいたので、思い切って聴きに行きました。終わる15時10分頃にまた降り始めて来ました。夜遅くには大型台風24号が通過し、暴風雨の為に家が軋んで一時的な停電もありました。本当にタイミングが良かったと思います。
『金印真贋論争を決着する!』 と題して明治大学教授・「石川日出志(ひでし)」氏に講義をして頂きました。国宝の金印【漢委奴国王】は、今からおよそ2000年前の弥生時代に漢の皇帝から与えられ、江戸時代に見つかったとされています。その真贋についての検証をして頂きました。私は本物と疑っていなかったので、真贋論争が沸き起こっている事は初耳でした。
◆まず贋作とする意見は、古代文学研究の「三浦佑之(すけゆき)」氏が『金印偽造事件』で、江戸時代に偽造されたと記述しています。発見時の記録に曖昧な点が多い事、江戸時代の技術なら充分贋作が作れる事などの状況証拠により、福岡藩の儒学者「亀井南冥」が篆刻家「高芙蓉」・有職故実研究家「藤貞幹」と共に偽造した疑いが濃厚と推理しています。因みに「三浦佑之」氏は「三浦しをん」氏のお父様です。
◆もう一人は金工技術史研究の「鈴木勉」氏が『金印・誕生時空論』で、印面の篆刻技法から江戸時代に制作された可能性が高いとしています。
◆一方、「石川日出志」氏や考古学研究の立場からは、多角的に検証した結果、本物であると主張しています。
──スライドを使いながら、「石川日出志」氏が熱く語った検証は以下の通りです──
(1) 尺度(大きさ)の問題
偽造は可能なので、真贋の判断は出来ない
(2) 金属組成
金印は純度95%と確認されています。漢時代の他の金印も95%以上
江戸時代に高純度の金の製品を秘密で作るのは、厳重に管理されていたので不可能
小判を鋳潰しても純度が56~85%なので、偽造は不可能
(3) 鈕(ちゅう・つまみの事)の形
駱駝(らくだ)形から蛇(へび)形に再加工されている。下部に駱駝の足と体毛の痕跡がある
漢帝国では出先機関の国の方面により「鈕」の形を決めていた。東方は駱駝
当初、「倭奴国」は漢の東方と認識していたが、後に南方と認識され蛇形に変更
これらの経緯を含めて特殊な形の蛇形を偽造する事は不可能
(4) 【漢委奴国王】の字形
金印の文字は時代と共に微妙に字形の変遷を遂げて来た
膨大な量の字形の資料を検証した結果、漢の時代の物と確定
これらの事を江戸時代に行なう事は不可能
(5) 紐(ひも)を通す為の鈕孔(ちゅうこう)
印台側が窪んでいる→この窪みも時期により変遷があり、漢の時代の物と確定
実物を見た事が無い江戸時代に再現は不可能
<参考>この頃の印は物資などを紐で封じる際、「封泥」に押して文字が浮き出る様にする為、
文字の部分が凹んでいます
以上をもって「石川日出志」氏は金印は本物であると断定しました
まだ真贋論争は決着していないそうですが、どう決着するのでしょうか?
金印真贋論争を決着する! / 「三浦佑之」氏は『金印偽造事件』で贋作と断定してはいない
さんずいの特徴 / 王の部分の特徴 / 封泥
印台側の窪み / 「石川日出志」氏に熱く語って頂きました