サヨコの独り言

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《 龍角寺古墳群とその時代 》 -展示と考古学講座-

2019年12月05日 | 展覧会

今年は〔龍角寺〕が創建されてから1310年。〔龍角寺古墳群と岩屋古墳〕(114基)と合わせて「国史跡指定」されてから10周年になります。因みに「岩屋古墳」の単独での指定は1941年でした。記念事業の一環として企画展《龍角寺古墳群とその時代》が「風土記の丘資料館」2階の第2展示室で行なわれました。それに関連した「考古学講座」が10月27日(日)と12月1日(日)にありました。

今から1400年ほど前、「房総のむら」のある印旛沼の東岸一帯は「印波」(いんば)と呼ばれ、非常に栄えていました。この地の豪族は全国最大級の「方墳」(ほうふん)である「岩屋古墳」(105号古墳)を築きました。一辺が78m、二重周溝と外堤を含めると東西108m、南北96m、高さは13.2mになります。そして、都でも珍しかった瓦葺きの「龍角寺」を建て、その力を示しました。尚、「岩屋古墳」は石室は2基ありますが、江戸時代から入り口が開いていた為に副葬品は出ていません。

「前方後円墳」から「方墳」・「円墳」への変革期に、この地では最後で最大級の「前方後円墳」である「浅間山古墳」(111号古墳)が造営されました。古墳からは「銀製の冠」・「金銅製の透かし彫り冠飾」・「金銅製馬具」・「鉄製馬具」・「挂甲」(古代の鎧)・「鉄鏃」(鉄の矢じり)・「耳環」・「須恵器」などが多量に出土されましたが、「埴輪」は出ていません。古墳の全長は約78m、周溝を含めると約93mになります。他の地域の古墳の副葬品と共に比較展示してありました。

「浅間山古墳」から出土した「銀製の冠」と「金銅製の冠飾」を復元した物は1階に常設展示してあります。「銀製の冠」は頂部に宝珠文を持つ立飾と帯金で構成される「ティアラ形」になっています。「金銅製の冠飾」は連珠文と忍冬唐草文の透かし彫り文様のある立飾りで、冠帽の正面に付けたものと考えられています。また、「浅間山古墳」の石室の復元模型は常設展示してあって入る事が出来ます。

「101号古墳」は方形部分が短い帆立貝形の「前方後円墳」です。埋葬施設は全部で5基あって何回も埋葬が行われたとみられていますが、石室はありませんでした。全長は30.5mと大きくありませんが、埴輪や副葬品などが多量に出土しました。現地には発掘調査の成果を基にし、本物より少し小さく作られた強化プラスチック製の埴輪を配置して復元してあります。

「龍角寺」や「文字瓦」などについては8月26日のブログを見て下さい。
   
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10月27日 【第3回考古学講座】 《座談会 龍角寺古墳群とその時代》
  講演 : ◆「岩屋古墳の調査の頃」・・・・・・・大塚初重氏(明治大学名誉教授)<講演時92歳> 
       ◆「龍角寺古墳群の歴史的背景」・・・・吉村武彦氏(明治大学名誉教授)
       ◆「龍角寺岩屋古墳の横穴式石室」・・・土生田純之氏(専修大学教授)
       ◆「龍角寺の創建」・・・・・・・・・・山路直充氏(市川考古博物館学芸員・副主事)
  

※講演後、「大塚初重」氏を除く3氏で座談会がありました。個性的な先生方の話は楽しかったです。

12月1日 【第4回考古学講座】 《飛鳥時代の金工品からみる東関東と大和、東北》 
  講師 :    横須賀倫達氏(文化庁文化財調査官) 
 
復元した銀製の冠(上)、金銅製の冠飾(下) / 佐久市の「東一本柳古墳」から出土の毛彫馬具(中)


「浅間山古墳」石室復元模型 / 101号古墳から出土した埴輪(常設)


「大塚初重」先生 / (左から)「山路直充」先生、「土生田純之」先生、「吉村武彦」先生

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