さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

最近平穏な日々が続くのは、僕自身が不感症気味なのでは? と不安に思うこともあります。

2020-06-04 23:48:59 | 気分や思い
さっちゃんの最近の暮らしぶりですが、比較的平穏な日々が続いています。
そのせいかどうかはよく分かりませんが、このブログのネタも不足気味。
いろいろと出来事が発生するときは、1日に2つも3つものブログネタがあったりしたものです。
書こうと思っていたことでも、会話(のようなもの)をすぐにメモらなかったために、その詳細を忘れてしまい書けなかったことも多々。

平穏な日々と言っても、もちろん順調とは言い難い日々です。
トイレの失敗は繰り返され、は飲んでくれない、歯磨きにも協力してくれない、着た切り雀で寝込んでしまうこともしょっちゅう。
口臭は酷くなる一方ですし、今後暑くなってくると体臭も心配ですね。
水分も勧めるんですが少ししか飲んでくれません。
食事もどんな時にきちんと食べてくれて、どんな時には食べてくれないのかさっぱり分かりません。

ところで、文頭で「平穏な日々が続いて」いると書きましたが、この原因の半分は僕にあると思っています。
それは何故かと言えば、僕自身が不感症になっているからだと思うのです。
以前だとさっちゃんの行為に過敏に反応して、僕自身の感情を激しく表出していました。
でも、今はそうでもありません。
トイレの失敗に関してだけは、不感症と言うよりは慣れて精神的にもタフになったことは確かです。
でも、薬やら歯磨きやら食事やら・・・・、いろんなことが上手くいかなくても「それで死ぬわけじゃなし」と思うことにしました。

今日の夕食の時だって、さっちゃんは箸は上手く使えないし、手掴みで食べるし、ボロボロとこぼすし、指はベタベタだし、・・・・
そんなさっちゃんにひとつひとつ怒ったり、教えてあげたり、手直ししたり、「あ~あ!」とか「ダメダメ」とか大声を出したり、
ほとんどしなくなりました。
静かに見ているだけにしています。
時々、箸を右手に握らせてあげたり、ティッシュで指を拭いてあげたり、こぼれたおかずを拾って僕が食べたりしているだけ。


こんな僕の変化が良いことなのか否か? 今の僕には判断しかねます。
それほど悪くはないと思うのですが、僕の感情がどんどん起伏に乏しくなり、文字通り不感症になってしまうのではとの危惧もあります。
僕のその冷静さが冷ややかに見放してるようにも自分でも感じてしまうのです。
平穏な日々が続くことがいいことなのか否か?
その結論はすぐには出ないでしょうし、その平穏の在り様も変化するかもしれません。

ただ言えることは、さっちゃんは以前と変わらず行動し、感情を抱いているようだと言うこと。
以前だったらもっと僕が感情を爆発させていただろう言動も同じように今もあるんです。
僕も無反応ではないのですが、以前に比べるとその反応は極小になりましたね。

今日もさっちゃんは、僕に文句たらたら、僕に纏わり付き、僕を自分の居場所に連れて行きたがり、
僕に優しい行動をとるかと思えば、突き放すように怒り、素直に従ってくれたと思うと、頑として梃子でも動かず、
たった一日の中ですが、ありとあらゆるさっちゃんの姿を見せつけるんです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2019年10月10日の記録です。青梅丘陵の東半分を歩きました

2020-06-03 23:13:19 | 山登り
去年の10月10日にさっちゃんと歩いた青梅丘陵。
昔、山梨県に住む山仲間と3人で歩いたことがありました。
その時は、出発はこの日と同じ青梅駅、でもゴールは青梅丘陵を最後まで歩き切った軍畑駅でした。
それでも気楽で短いハイキングと思っていたのですが、今のさっちゃんには無理でしょうね。
と言うことで、距離はほぼ半分の石神前駅がゴールです。

青梅駅から青梅丘陵の稜線に至るには車道を使って徐々に上がっていきますから、楽なコースです。


▲9:31。青梅駅の東の踏切を渡って、山へ山へと車道を歩いて行くと、やがてゲートで閉ざされた林道になります。しばらくは車も通れるほど広々とした林道。でも、車はまず入って来ませんね。


▲9:48。第一休憩所で遅い朝食タイム。ここからは空気が澄んでいたら筑波山が見えるそうです。この日は駄目でしたけれど、近くの巨大な塩船観音像は見えていました。


▲10:17。叢雨(むらさめ)橋です。この下を南北に青梅丘陵を越える青梅坂峠があります。かつては主要な道だったそうです。


▲10:50。青梅丘陵の道は木陰の道が多いのですが、ここは南側が開けています。その斜面に植えられているのは桜の木。満開になると綺麗でしょうね。


▲11:00。この辺りから平坦で広い林道が終わって、普通の山道になります。


▲11:02。矢倉台に到着。ここでまた小休止です。


市指定史跡 物見櫓(矢倉台)
青梅地方、かつての杣保(そまのほ)に拠点を置いた豪族三田氏は、代々、市内東青梅の勝沼城に居住していたが、北条氏照の八王子滝山入城による、多摩地方の情勢の変化をうけ、永禄年間(1558~1569)の初め頃、二俣尾の辛垣(からかい)山に城を築いたといわれる。
物見櫓(ものみやぐら 矢倉台)は、この辛垣城(別名 西城)から南東約3キロメートルに位置し、戦略上重要な物見の場所であったという。
「武蔵名勝図会」には「柵跡、ここは二俣尾の城より峰続き、三田氏居城のころ、山に砦を構えて遠見の地なりしゆえ、この地をまた櫓台ともいう」と書かれている。

昭和46年11月3日指定   青梅市教育委員会
 

▲11:17。矢倉台で休憩です。この日は笑顔が多いですね。


▲11:22。小休止後、再び歩き出しました。道も広く平らで、木漏れ日が心地よいですね。


▲11:32。コウヤボウキ(高野箒)だと思います。ハグマ(白熊)の仲間はこれでもキク科なんですね。白熊と書かれていても熊ではなく、チベットなどの高地に棲むヤクの尻尾のことです。このヤクの尻尾の毛は武将の采配、僧侶の払子、旗や槍の装飾、歌舞伎の鏡獅子のかつらなどに昔から用いられていたとのこと。
高野箒と呼ばれるのは、高野山ではこの枝を束ねて箒として使っていたからだそうです。


▲11:46。植林の中の薄暗い山道も多いですね。


▲12:06。コウヤボウキがこの時期たくさん咲いていました。この写真の方が植物全体の特徴が分かりやすいですね。


▲12:23。さっちゃんの右に階段がちらっと見えますが、ここからは青梅丘陵の稜線を離れ、この階段を下って行きます。さっちゃんの右に先端が青く塗られている杭が見えると思いますが、その青い部分に《12》とナンバリングされています。それが目印。もちろん道標もあって、石神前駅と指し示してくれています。


▲12:45。源頭の沢沿いのような山道を下って行きます。道は見えていますが、荒れてましたね。


▲13:18。谷の底に下り着くと、平坦な場所となっていて、林道らしき道が通っています。


▲13:23。その林道をのんびりと下って行きました。


▲13:50。車止めのゲートまで来ました。今日のさっちゃんは笑顔が素敵ですね。


▲13:53。線路を渡ってすぐ、石神社(いしがみやしろ)があります。創建年などは不詳のようです。御神体が丸い石だそうです。


▲14:04。石神前駅のホーム。この日のさっちゃんは最後まで笑顔ですね。

8ヶ月も以前の山行の記録ですから、記憶も超あやふやになっています。
ただ不思議なもので、さっちゃんの笑顔の写真が多く撮られていると、楽しかったこととして思い出されますね。
確か、この時もおしっこのドタバタが2度ほどあったように記憶が微かに残っています。
でも、何とか乗り切ったわけでしょうから、大したことではないと思ってしまうのは何故でしょうね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする