南の島履歴
若かりし頃はこんなことして遊んでた~履歴 です。
*昔なのでホテル名が現在は変わっていたり、航空会社が現存しなかったりしますのであしからず。
*2024年、相棒が写真を追加しました
ハワイ・オアフ島(6日間) 日本航空 1990/1/4~9
シェラトン・プリンセス・カイウラニ泊 (レポあります Ⅰ Ⅱ )
初めての海外旅行。
好きな作家のハワイを紹介した短編小説風なガイドを参考に、レンタカーを借りてオアフ島1周
ポリネシアンセンター
スワップミート
ノースショア・ドールキャナリースクエア・ワイメア渓谷・ポリネシアンカルチャーセンター・ライオン岩など。
タンタラスの丘
ハワイ大学
タンタラスの丘やハワイ大学も。
ハワイ大学構内でソフトクリームを食べたり
ハナウマベイ
ハナウマベイに行って、魚と遊んだ
初めての海外にしては、よく行けたなあと思う。
若かったから出来たような気がする
お正月明けだったので、ワイキキはたくさんの日本人観光客で溢れていた。
ハワイ・マウイ島&オアフ島(8日間)アメリカン航空1991年12月
マウイ島・マウイ・エルドラド オアフ島・アウトリガー・イースト泊
マウイで3日間、オアフ島で3日間過ごした。
オアフ島から国内線でマウイへ。
マウイでは、カアナパリのコンドミニアム(マウイ・エルドラド)に泊まって自炊したりして、ハワイ暮らしを満喫
スーパーで調達してきた食材を使って夕食作り。
スペアリブとサラダ&ビール。
朝食は部屋の前に、バスケットにパンやバナナが置いて頂いてある。
レンタカーで、ラハイナ・パイア・ワイレアなど島内を回った
ラハイナのパイオニア・イン。
1901年に建てられた島で一番古いホテル。
2023年のマウイ島山火事で、残念ながら焼失してしまった。
パイア
ホオキパビーチパーク
ホオキパではウインドサーフィンをやってるのを見ながら、心地よい風に吹かれた
60年代に入ってヒッピーが住み着き始め、ホオキパビーチの名が世界にとどろきだした80年代からは、ドイツ・フランス・オーストラリアなどから続々、サーファー達が波を求めて集まってきた。
理想的な風が吹くことから、「ウインドサーフィンの聖地」と言われている。
ホオキパビーチパークのすぐ横のレストランにてランチ。
レイラニズでサンセットを見ながらディナー。
オアフ島のアウトリガーイースト(コンドミニアム)
サイパン(6日間) 日本アジア航空 1992年7月
サイパングランドホテル泊
レンタカーでドライブ
ハワイよりローカルな雰囲気が新鮮で良かった
ホテルの道路を挟んで向かいにショッピングセンターがあった。
そこにアイコズというカフェがあって、朝食を食べた。
シンプルでおいしい朝食だった
テニアン島ツアーに参加して体験ダイビングをやった。
初めてのダイビングは楽しかった。
ホテルのレストランでディナー。
インドネシア・バリ島(6日間)ガルーダインドネシア航空 1993年6月
シェラトン・ラグーン・ヌサドゥア・ビーチ泊 (ヌサドゥア地区)
出発前日、私が高熱
キャンセルするか迷ったが、当日、行くと決めたら、どんどん熱が下がってくれた
初めてのアジアということで、緊張したのかも
ところが、乗るはずの航空機がトラブルの為、名古屋に飛んで来れなくなる。
名古屋のホテルで一晩待機。
6日間が5日間に減ってショックだった。
初めてのバリ島は刺激があって、とても楽しめた
ホテルはブーゲンビリアが咲き乱れ、庭がとにかくきれいだった
バトラーがいて、頼めばいつでも部屋に珈琲を無料で運んで来てくれた。
とても居心地のいいホテルだった
ガムランの音色は、本当に癒された
自転車も乗ってたようだが、記憶にない
キンタマーニ観光も行った。
グアム島(6日間) コンチネンタル航空 1994年1月
オンワード・アガニア・ビーチ泊
前年の秋、悲しい出来事が我が家を襲う。
癒やしの旅。
忘れられない旅となった。
海岸からポンツーンまで泳いで行って、バンザイしてる相棒。
ディナーのマヒマヒ
インドネシア・バリ島(5日間)ガルーダインドネシア航空 1994年7月
インターコンチネンタルリゾート泊 (ジンバラン地区)
ジンバランは当時はまだリゾートとして開発され始めた頃で、のんびりとしたビーチだった。
その後、このインターコンチのすぐそばで、テロ事件が発生。
神々の島で起きたテロに、本当に驚き、残念な気持ちだった。
ホテルのプライベートビーチでボディボード。
この旅行では、ウブドにも足を運んでみた。
ウブドは田園風景が広がる田舎で、とてものんびりしてて良かった。
ホテルのプールで相棒が体験ダイビングをしたり、カヌーに乗ったりもした。
でも、まだ悲しみが癒えておらず、前回のバリの時とは全く違う自分に悲しみの波が押し寄せた。
ある意味、辛い旅だった。
オーストラリア・ケアンズ(5日間)カンタス航空 1995年3月
ホリディ・イン・ケアンズ泊
着くなり電車に乗って、キュランダに行った
ツアーに付いていたオプショナルツアーで、グレートバリアリーフのグリーン島に行った。
2回目の体験ダイビングをした。
1時間ほどの講習の後、インストラクターの人と潜る。
船酔いしたので、最後に潜らせてもらう
練習時に使っていたマスクはピッタリだったのに、本番のは大きすぎた
何度も水が入ってきて焦ったが 講習で学んだ水抜きをやってなんとかOK
ナポレオンフィシュなどカラフルな魚たちと遊んだ
最初怖かったけど、慣れれば楽しい
動物探検ツアーにも行った。
カモノハシを見に小川に行ったが、私たちは確認できなかったのが残念だ
ワラビーのたくさん居る所に行き、餌をあげた。
アウトドアディナーを楽しんだ
あっという間に過ぎた5日間だった。
ハワイ・オアフ島(5日間)ノースウエスト航空 1995年6月~7月
アウトリガー・プリンス・クヒオ泊
ワイキキであまり泳いだことなかったので海に入ったが、あまり綺麗じゃなかったかな
ワイキキ満喫の旅だった。
私は仕事復帰して、少し元気が出てきた頃だ。
デュークス・カヌー・クラブで、サンセットを見ながらのディナーは最高だった
デュークスでTシャツとキャップを購入。
レンタカーを借りてパールリッジのスワップミートに行ったり、久々にハナウマベイに行った。
ダイヤモンドヘッドも登った
山頂は狭いが、景色は最高だ!
相棒がダイヤモンドヘッド登頂記念Tシャツを買った
帰りにジッピーズに寄って、ジップパック(お弁当)を買って、カピオラニ公園で食べた。
帰国する朝、憧れのロイアル・ハワイアンで朝食を食べた。
ジップパックの方が性に合ってた
サムイ島(タイ)・バンコク(8日間)ノースウエスト航空 1996年9月
バーンサムイ・リゾート マンダリン・バンコク泊
「タイは若いうちに行け!」なんて、CMコピーがあったので、行ってみた。
群馬に来て、初めての海外だった。
バンコクに到着後、1泊。
バンコク市内観光
翌日、バンコクの市内観光を終え、サムイ島へは小さな国内線で行く。
降り立った空港が、広場にほったて小屋みたいなのがあるだけ
ウエルカムバナナがてんこ盛りになっていた
海岸にはレゲエが流れ、リクライニングチェアの下にはワンコ
トップレスの外国人の方もいたり、バックパッカーもいる。
物価が安いので、何カ月も長期滞在する人もいる。
刺激的だが、のんびりした島。
私が真っ黒に日焼けしてたからか? 現地の人に、「あんたタイ人か?」 「ホントに日本人か?」と何度か聞かれる。
私に似たタイ人が居たのかな?
帰国後、上野から浅草に戻って、りょうもう号で伊勢崎に帰ろうとしていたのこと。
浅草駅の駅員さんに日本語で、「次の電車は何分に来ますか?」と聞いたら、
「ネクストトレインは・・・」と英語で話し始めた
私の前世は、もしかしたらタイ人だったのかもしれない
そうそう、サムイ島最後の夜、あるお店で晩御飯を食べたのだが・・・。
日本で一番有名な海外旅行ガイドブックに掲載されていた人気のお店に行ってみると、ひとっこひとり居ない
お店の前に新鮮なはずのお魚がずらりと並んでいたので、お魚料理を色々と注文
唐揚げを口にしたら、中が冷たい。。。
どうやら中まで火が通ってなかったようだ。
相棒は気が付かないで、三口ほど食べたみたい
その晩、相棒は大変なことに
バンコクに戻っても体調は戻らなかったが、歩けるので、なんとか観光など済ませた
大したことなかったんだけど、成田で医務室行き。
翌日から会社も強制的に休まされた
大したことなかったんだけど・・・
ハワイ・オアフ島(8日間) ユナイテッド航空 1997年1月
アイランドコロニー泊 8日間
アイランドコロニーからの朝陽
オアフ島で8日間、ラングラージープを借りてドライブしたり、買い物したりとのんびりした旅だった。
ドール社のパイナップルパビリオンに行った。
ハナウマベイも行った。
南の島履歴Ⅱに続く。