店主敬白(悪魔の囁き)

栄進大飯店の店主さがみやがおくる日々の悪魔の囁き。競馬予想や文学・音楽・仕事のグチやちくりまでいろいろ。

同一犯のしわざか?

2008-02-27 22:10:56 | 珍事件
 去年、とある店で展示してあった商品を食った輩がいた。
 その売り場のバイトの女の子が、他のお客様を接客して商品に背中を向けている間にそいつはやってきて、商品の箱に手をつっこんでセロハンを破いて、中のせんべいを食ったのだという。
 しかも、食ったせんべいの袋(ゴミ)を、他の商品のスキマに突っ込んでおくというたいへん行儀の悪いやつだった。
 そして今年も、同じ季節に同じ商品を展示してあった。
 去年のことを考えたのか、商品の箱にはセロハンを貼ってふたをしてあり、そのセロハンの上に「見本品」のシールが貼られていた。
 2日目、見事にセロハンは破られ、中のせんべいがいくつかなくなっていた。
 鉄壁の守りは、あっけなく崩された。
 けっこう硬くて厚いセロハンのはずなのに…しかも、売り場には去年同様何人かバイトがいる。
 そのバイトちゃんたちのスキをついて?どうやってセロハンを破いた?
 誠に鮮やかな手腕というほかないが、どうしてそんなにまでしてせんべいが食いたいんだ?
 おいらにはわからないことだらけだが、こういう輩は、箱か周囲の壁にでも「見本品を食べないでください」とでかでかと書かない限りはやり続けるのだろうか?

店主の寒い休日

2008-02-27 21:13:17 | Weblog
 休日というものの、いやに一日が早く終わる。
 朝、遅めに起きて食事して、ちょっとメールやネットをチェックしたら、すぐ母と買い物&父の病院に行き、それから帰ってくると夕食のしたくをして、ちょっと読書。夕食後はヌコ1号の注射…これでもう夜の八時である。
 おいらは、時間の有効な使い方がヘタなのだろうか?
 心のどこかに、休みぐらい何もしたくねえよ、という気持がある。
 ぐうたら上等、別にいいじゃん…。
 でもこれではダメなのだ。
「やりたいことは老後にやろう」
 では遅い。だいたいそれまで生きてるかどうか、わかんないし。
「老後」なんてくるかどうか、おいらのようなろくでなしに。

 今日は寒い。
 ますますぐうたらに加速がつきそうな冷たい風が吹く。
 この家は冬場でもほとんど暖房がいらないほどに暖かいのだが、さすがにここんところは貼るタイプのカイロを貼っている。
 とりあえずぐうたらしながらも、本は読んでいる。
 この一週間に読んだ本(マンガと雑誌は別)
池宮彰一郎「本能寺」
伊藤正徳「連合艦隊の栄光・連合艦隊の最後」
鈴木邦男「新右翼」「がんばれ新左翼」
 まあこんなところだ。
 

戦国時代ってそんなに魅力的か?

2008-02-27 12:03:51 | Weblog
 おいらは、日本史の中でどうも戦国時代というのが好きではない。
 殺伐とした時代だからというのもあるが、こんなに女性が目立たない時代というのもつまらないと思うのは、おいらのカンちがいなんだろうか。
 だいたい、美人だけど政略結婚でひどい目にあった、有名人はそんな人が多い気がする。
 殺伐、ドロドロの争い、といえば平家物語の世界も、太平記の世界もそうなんだろうけれど、あまりにそれがむきだしになっているし、それが「立身出世物語」だの「国盗り物語」になっちゃってるからよけいいやだ。
 この時代を書いた作品には、美がないものが多い。
 まあ、実際に美なんてないもんだったろうけどね。

「本能寺」(池宮彰一郎)を読んだ。
 信長の自滅(ってことになるでしょ)までの「常識人」光秀と「天才」信長の間にある、たまらなく果てしなく遠い距離。
 ここに書かれている信長は
「天才ゆえに周囲に理解されない人」
 である。わかったつもりでついていった家臣が、理解者・支援者のつもりだった人が、最後にどうなったか。
 詠んでいるとたまらなく苦しく、果てしなくなる「信長対誰か他の登場人物」の間の距離に、おいらは愕然とする。
 たとえの信長が、その距離を意に介していなかったとしても。
 意に介していなくて、暴走ともいえるほどのスピードで時代を走り続けたから、本能寺の変は起きた・・・のだ。
 しかし、この小説の中の信長は「奇人変人」である。
 池宮氏の「平家」に出てくる、悪評も汚名もすべてかぶって改革を断行しようとした清盛の清清しさなど、かけらもない。
 不気味なほどに自分の世界しか信じていない。
 いくら改革しようと、ばんばん恩賞をくれようと、おいら的には上司には絶対持ちたくないタイプだ。 
 そんなのな信長より、あちこち気をつかい、たいして強くもないような織田軍団の中で、東奔西走する光秀や家康が、かわいくさえなってくるから不思議だ。
 でも、そんなおいらこそ、しょせんは凡人なのだろう。