たまにメールや手紙をくれる大学時代の同級生から、メールが来ました。
同じサークルで四年間一緒に過ごした友人の、今日は五回目の命日。誕生日前だったので、彼は四十歳にならずに逝きました。白血病でした。
誰とでも態度を変えず分け隔てなく接し、そうと見せずに相手を気遣う優しい男でした。でしゃばらないけど存在感があり、人望の厚い人物でした。彼の心そのまま、綺麗な絵を描く男でした。
闘病期間は長かったらしいのですが、僕は遠隔地にいて、妻と娘のことで手一杯だったので、病気のことを知ったのは、彼が亡くなる直前でした。しかも、危ない状態からは回復し、ひと安心と聞いた矢先に飛び込んできた突然の訃報。すぐに特急と新幹線を乗り継いで、京都まで駆け付けたものの、彼は既に物言わぬ姿となっていました。
サークル仲間で待ち合わせて通夜に参列した後、みんなで弔い酒を飲みました。何年ぶりかで会った、昔懐かしい友人達。中には、卒業以来の相手も。年月を経て、かつての世間知らずの大学生達は、今では父となり母となり、お互い、様々な人生を歩み、様々に生きていました。
あれから、もう5年。今度は、また、いつ会えるのか。
会う度に、数が減っていくのは、できれば願い下げにしたいものです。
同じサークルで四年間一緒に過ごした友人の、今日は五回目の命日。誕生日前だったので、彼は四十歳にならずに逝きました。白血病でした。
誰とでも態度を変えず分け隔てなく接し、そうと見せずに相手を気遣う優しい男でした。でしゃばらないけど存在感があり、人望の厚い人物でした。彼の心そのまま、綺麗な絵を描く男でした。
闘病期間は長かったらしいのですが、僕は遠隔地にいて、妻と娘のことで手一杯だったので、病気のことを知ったのは、彼が亡くなる直前でした。しかも、危ない状態からは回復し、ひと安心と聞いた矢先に飛び込んできた突然の訃報。すぐに特急と新幹線を乗り継いで、京都まで駆け付けたものの、彼は既に物言わぬ姿となっていました。
サークル仲間で待ち合わせて通夜に参列した後、みんなで弔い酒を飲みました。何年ぶりかで会った、昔懐かしい友人達。中には、卒業以来の相手も。年月を経て、かつての世間知らずの大学生達は、今では父となり母となり、お互い、様々な人生を歩み、様々に生きていました。
あれから、もう5年。今度は、また、いつ会えるのか。
会う度に、数が減っていくのは、できれば願い下げにしたいものです。