来たことのある初めての場所四国村、入口はなだらかな
流れ坂、屋島に隣接する庵治の石切り場から切り出された花崗岩が使われています。
入場門を入ってすぐを左に曲がると、
ミニかずら橋があります。一度に20人以上は渡らないでください、ですって
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これ、結構スリルがありますよ
小豆島農村歌舞伎舞台。小豆島の地元の人々自身が役者となり農作業の合間の娯楽だったようです。
大阪城残石のノミの跡、当時の苦労が偲ばれます。
旧河野家住宅、愛媛県の南、小田町の深い谷筋の奥まった急斜面に建っていたそう。
畳がなくてムシロを敷いていました。
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円形の砂糖しめ小屋、イタリアの
アルベロベッロを思い出したのは私だけ?
内部中央には三個の石臼(車石)が置かれ、それら石臼に取り付けられた腕木を牛が引いてまわし、回転する石臼の間にサトウキビを差し込んで汁をしぼっていたそうです。
茶堂「遊庵」。このお堂は土佐から伊予へ越す龍王街道と呼ばれる道にありました。
石仏(地蔵菩薩)は流政之氏の作品で、瀬戸内寂聴尼によって開眼され、お堂は「遊庵」と命名されました。
大きな
カンカン石、讃岐に来れば必ず目にします。そして思わず叩いて音を確かめるのです
旧大久野島燈台、三原瀬戸航路の要所を照らす燈台として明治27年5月に点灯されました。英国の技師 R・H・ブラントンの設計。
旧クダコ島燈台退息所、退息所とは職員宿舎の事。クダコ島燈台は愛媛県松山市の沖のクダコ水道にあるそうです。
燈台の無人化にともない退息所が不要になり、当四国村に移築復原されました。薔薇が綺麗でした。
染が滝、明治、大正期の民家の基礎に使われていた石をふんだんに用いて作られた滝。
石仏(地蔵菩薩)同様、流政之氏の作品です。
アーチ橋、なぜか真ん中を歩いてくださいって立て札が
あぁ~、疲れた。。。やっと出口。。。
ちょっと寄り道して
アップルマンゴーパフェを食べてから
金比羅さんへ行きましょう
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