落合順平 作品集

現代小説の部屋。

オヤジ達の白球(62)中華まん

2018-03-16 17:22:00 | 現代小説
オヤジ達の白球(62)中華まん




 祐介がアクセルを踏む足に、すこしだけ力を込める。
雪道にあせりは禁物。ましてここは高台へむかう心臓破りの急坂の途中。

 空転したタイヤは、雪に溝を掘る。
そうなると、雪用のタイヤでも雪にはまることがある。
頂上まであとすこしというところで祐介が「あ・・・」と急ブレーキを踏む。

 ロックされたタイヤが、ガツガツと車体を揺らす。
しかし新品のスノータイヤの効き目は抜群だ。
左右にふられることもなく坂の斜面で、車体をしっかり停止させる。

 祐介の車の前方、およそ10メートル。
ハザードを点灯したまま、立ち往生している車が有る。
後部に見えるのは高齢者マーク。
スノータイヤは履いているらしい。しかし、履き古しているような感がある。
頂上まであとすこしというところで、ついに力尽きたようだ。

 急坂は、いちど停まってしまうと厄介だ。
「押すか・・・」。祐介がドアを開けて坂道へ出る。
坂道には充分な広さがある。そのままパスして追い越していくことは簡単だ。
しかし。苦戦している車をそのまま見捨てていくのは、なぜか後味がわるい。
「押しましょうか?」祐介が運転席のガラスをノックする。

 「あら!。困り果てていたのよ。助かるわぁ~」

 半分ひらいたガラスから、老婦人の笑顔が返って来た。

 「押しますから声をかけたら、ゆっくり、アクセルをあけてください。
 タイヤが空転してしまうと、脱出が難しくなります。
 そうですね。赤ん坊をあやすようにやさしく、アクセルを踏み込んでください」

 押しますよと祐介が、車の背後へ回っていく。
「見捨てるわけにいかないわね。わたしも手伝うわ」陽子が助手席から降りてくる。
2人の手が、車の後部をささえる。
「押しますよ。すこし前へ出たら、アクセルをゆっくり踏み込んでください」
祐介の声にこたえて老婦人がアクセルを踏み込む。

 2人の押す手とアクセルのタイミングが合った瞬間。山を減らしたスノータイヤが
新雪にすこしだけ食いついた。
「おっ、反応が出たぞ。タイヤが雪に食いついた!」動き出せば、あとは早い。
2人が押す手に力をこめる。
ゆるゆる登り始めた老婦人の軽車両が、数分後、坂道の頂へ出る。

 運転席のガラスが全開で開く。

 「ありがとう。助かったわ。
 坂道の途中で停まってしまった瞬間から、わたし、生きた心地がしなかったもの。
 これ。2人で食べて。
 亡くなった主人が大好きだった、中華まんです」

 老婦人がレジ袋に入った中華まんを差し出す。

 「中華まんを買うために、こんな真夜中、わざわざ下のコンビニまで行ったのですか?」

 「亡くなった主人がね、雪が降ると中華まんをサカナにお酒を飲むの。
 そんなことを思いだしたら矢も楯もたまらず、気が付いたら、車に乗っていたのよ。
 あら、あなた。亡くなった主人の若い頃に、よく似ていますねぇ。
 若い頃の主人にうりふたつです。いい男ですねぇ、あなたも。うふふ」

 
 老婦人の車が2本のわだちを残して遠ざかっていく。
祐介の手に老婦人からわたされた中華まん入りのレジ袋が、ぶらさがっている。
時刻は深夜の2時。

 「どうする、これ?」車へ戻った祐介が、中華まん入りのレジ袋を陽子へ見せる。

 「雪見酒用のつまみでしょ。
 熱燗をつけるわ。この雪だもの。朝までふたりでゆっくりのみましょ」


(63)へつづく