落合順平 作品集

現代小説の部屋。

オヤジ達の白球(63)遣らずの雪?

2018-03-18 18:26:50 | 現代小説
オヤジ達の白球(63)遣らずの雪?




 高台の道に、車が走った跡は残っていない。
住民たちは、早い時間からそれぞれの家にこもっているようだ。
点々と連なる外灯の下。白い布団をひろげたような雪道がどこまでもつづいている。

 縁石の部分だけわずかに、こんもり段差がある。
段差の間を慎重に通過しながら祐介の車が、陽子の家の庭へ入っていく。
玄関へ正対する形で停車する。

 「遠慮しないでなるべく近くへ停めて。
 短いブーツを履いているのよ。雪が入ると冷たいの。だから雪は大嫌い」
 
 「5、6歩歩けば玄関だぜ。そのくらいなら我慢できるだろ。
 じゃなぁ。無事に送り届けたぜ。引き留めるなよ。俺はこれで帰る」

 「あら。帰っちゃうの? あなた」

 「この雪だ。古いだけが取り柄の我が家が、つぶれているかもしれねぇ。
 急に心配になってきた。そういうワケだ。いちおう帰る」

 「わかりました。そういうことならひき止めません。
 でもね。ひとつだけあなたの帰り道で、心配なことがあるの」

 「帰り道の心配?。なんだ、おだやかじゃないね。どんな心配だ」
 
 「さっき登って来た急坂。帰るときはけっこうな下りになるの。
 そうねぇ。例えていえば、雪がたっぷりのノーマルヒルのジャンプ台ってところかしら」

 「ノーマルヒルと言えば、70メートル級のジャンプ台だ。
 そいつは凄い。想像しただけで鳥肌が立ってきた。
 急に帰りの道が怖くなってきた。
 この雪はまるでおれたちのための、遣らずの雪かもしれねぇな」

 「遣らずの雨は聞いたことがあるけど、遣らずの雪は、初耳です。
 長らく会っていなかった男が久しぶりに、女のもとへやって来る。
 久方ぶりの逢瀬にも関わらず、男はまたすぐ、出ていく用事をもっている。
 わずかな時間を惜しむ2人。
 そろそろ出なければと男が立ち上がったとき、それに合わせるかのように、
 激しい雨が降り出してくる。
 まるで、まだ行ってほしくないと、引きとめるように。
 こんな風に行かせたくないのに行こうとする人を引きとめる雨が
 遣らずの雨なのよ」

 「さすがはもと文学少女だ。言うことがちがう。
 しょうがねぇな。中華まんをサカナに、熱燗でも呑むとするか」

 「そうこなきゃ!」

 雪は冷たいから大嫌いだと言っていた陽子が、ひょいと助手席から降りていく。
8時間以上も降り続いている雪は、この時点ですでに20㌢を超えて居る。
しかし収まる気配はいっこうに見えてこない。
それどころかむしろ降り方が、しだいに強くなっているような気配がある。

 (どこまで降り積もるのだろう・・・この雪は)

 玄関へ飛び込んだ祐介の足元へ、いきなり、攻撃的な黒い物体があらわれた。
敵意を帯びた牙がいきなり、祐介の靴下へ喰いついた。

 「こら!。ユウスケ。噛んだら駄目だよ。
 そのひとは、あたしの大事なお客さんだからね!」

 キッチンから響いてくる陽子の声に、ユウスケが靴下をくわえたまま振り返る。
しかし。靴下を離すつもりはないようだ。
すこしうるんだおおきな目が、どうしたものかと祐介を見上げる。
牙は肌に達していない。先制攻撃をくわえたが、本気の敵意はないようだ。

 「ユウスケ。俺は敵じゃねぇ。
 おまえが陽子の用心棒だということはよく知っているが、今日は寄ってくれと
 陽子の方から頼まれた。
 遣らずの雪の客人ということで大目にみてくれ。よろしく頼むぜ」

 意味が通じたのだろうか。
靴下を離したユウスケが、陽子の居るキッチンへ向かって駆け出していく。
犬にも『遣らずの雪』の意味が、わかるのだろうか・・・

(64)へつづく