落合順平 作品集

現代小説の部屋。

北へふたり旅(29) 第三話 ベトナム基準⑨

2019-07-05 18:20:51 | 現代小説
北へふたり旅(29) 
 

 パートのトップは、古参のシゲ婆さん。
シゲさんは10年目のベテラン。
立場はなんとなく数人いるパートの頂点。
別にSさんからリーダーとして、指名されているわけではない。
本人が勝手にそう思い込んでいるだけだ。


 「あたしゃこのウチの、野良番頭さ」というのがシゲ婆さんの口癖。


 初めて聞く日本語だ。
どういう意味で言っているのかシゲさんの真意がわからない。
野はたんぼや畑のことをいう。野が複数形になったものに「ら」がついて「野良」。
彼ら、とおなじつかいかた。
ただし、「良」の漢字は当て字。良いという意味は含まない。


 田や畑で耕作することを「野良仕事」という。
野良仕事を唄った童謡に、「待ちぼうけ」がある。


 歌に登場する主人公は、平凡な一人の百姓。
真面目に畑を耕し、手間暇かけて作物を収穫し、生活していた。
ある日、畑の隅の切り株に野うさぎが激突。
思いがけず転がり込んだ獲物を持ち帰り、ごちそうにありつく。


 「こいつはいい。
 待っているだけでごちそうが食べられる!」


 労せずして得たごちそうに百姓は、おおいに満足してしまう。
次の日から鍬を捨てる。
日向で頬づえをつき、うさぎがやってくるのを待つようになる。
切り株にうさぎがぶつからないか、ただひたすらぼーっと
『待ちぼうけ』の日々を過ごす。


 来る日も来る日も『待ちぼうけ』。
ただただ切り株見つめて、ウサギが来るのを『待ちぼうけ』。


 しかし獲物はいっこうにあらわれない。
いつしか手入れをしない畑は荒れ放題。
我に返ったときは、もう手遅れ。畑は荒れ野と化していた。
国中の笑いものになった百姓の末路をうたった童謡、待ちぼうけ・・・


 「いまのあたしの顔は、皺だらけ。
 若い頃はね、こんなじゃなかった。張りがあった。
 百姓仕事ばかりしているうち、ひからびちまった。
 休みもとらず、ひたすら野良に出て、番頭のようにはたらき過ぎたせいさ。
 このまま何の楽しみもなく、ただ歳をとっていくんだ。
 あたしはね」


 シゲ婆さんは番頭を、勘違いしている。
番頭は商家の使用人のうち、店の万事をとりしきる、頭(かしら)をさす。
丁稚(でっち)や手代(てだい)と言うならわかる。
番頭は、商店の使用人の頭(かしら)だ。
手代たちを統率し、主人に代わり店の一切のことを取りしきる。




 本人は下っ端のようにこき使われている、と言っているつもりだろうが、
それなら「野良丁稚」か、「野良手代」と言えばいい。
それなのになぜか勘違いし、番頭をあてはめる。


 「あたしがこの家のNO-2だよ」と威張っていることになる。
だが本人はそのことに、いっこうに気がついていない。
ことあるごと、「あたしゃこのウチの野良番頭さ」を繰り返す。


 そんな野良番頭に、ピンチがやってきた。
それがベトナムからの実習生たちだ。
60歳半ばにしてまさか外国人実習生と、働くようになるとは
夢にも思っていなかった。


 3月にはいり、テプとドンがやってきた。
さらに半年遅れて、3人目のトンがやってきた。
ひとが集まり始めると、勢いがつく。


 いままで誰も来なかったのに、農協経由で30歳代の男性が
「使ってください」と履歴書持参でやってきた。
聞けば大学卒だという。
20代のベトナム実習生が3人。さらに30歳代の日本人男性。
シルバ―世代ばかりだった農場が、いっきに若返った。


 この頃から、シゲ婆ちゃんのトップの座が微妙になってきた。


 
(30)へつづく