落合順平 作品集

現代小説の部屋。

北へふたり旅(30) 第三話 ベトナム基準⑩

2019-07-11 17:20:34 | 現代小説
北へふたり旅(30) 

 
 シゲ婆さんはお節介。よくいえば面倒見がいい。
しかし、ときに度が過ぎる。
傍目で「おや?」と首をかしげるときがある。


 暑さが増してきた朝。
シゲ婆さんが保冷用の水筒を2つもってきた。
テプとドンへ使い古しの水筒を差し出す。


 「孫たちが使っていたもんだ。もう使わないそうだ。
 もったいないから持ってきた。
 すこし傷があるが、使えないわけじゃないさ。
 遠慮しないで使っておくれ。
 必要だよ。これからもっともっと、暑くなるからね」


 たしかに古い。
顔を見合わせたテプとドンが、しぶしぶ水筒を受け取る。
あまりうれしくないプレゼントだ。


 食べ物ももってくる。パンがおおい。
独自のルートから、孫たちのために仕入れているという。
パン工場へ勤めている知人が、格安でもってくる。
従業員はパンが喰い放題という話はよく聞く。
しかし、外部への持ち出しは許可されていないはずだ。
誤魔化してもってくるのだろうか?
種類は指定できないが、ビニール袋いっぱいのパンが500円だという。


 問題がある。
ほとんどが賞味期限ぎりぎりで、ときに1日遅れのものもはいっている。
「だいじょうぶだよ。いたんでいるわけじゃないから」
孫が口にしないものを、ベトナム人なら大丈夫と信じているのだろうか。
平然と差し出す。


 彼らは断れない。
「ありがとう」しぶい顔で受け取る。
「食べちゃいなよ、早く。若いんだからいくらでも食べられるだろう」
シゲ婆ちゃんが目を細める。その場で食べることをすすめる。


 「いえ・・・あとで。家に帰ってから食べます」


 
 先進国の日本とは言え、目の前にあるのは期限切れ寸前の食べ物だ。
なにがあるかわからない。
いや先進国だからこその、落とし穴もある。


 パンの原材料名欄に、イーストフードと書いてある。
パンをつくるためイースト菌をつかう。
書かれてあるイーストフードが、それだと思っているひとがおおい。
しかし。イースト菌とイーストフードはまったくの別物。


 イーストフードは食品添加物のひとつ。生地の改良剤だ。
パンは小麦粉を醗酵させてつくる。
その際。イーストフードをいれると、イースト菌が活発になる。
その結果、短時間で大量のパンをつくることが可能になる。
イースト菌の栄養、それがイーストフードだ。


 イーストフードは、ぜんぶで16種類。
塩化アンモニウム・塩化マグネシウム・炭酸カリウム・硫酸カルシウム、
などなど、化学的につくられた合成添加物が並んでいる。
リン酸水素アンモニウム・リン酸一水素カルシウムなど、
物騒な物質もまじっている。


 イーストフードをつかうと、短時間で大量のパンが生産できる。
見た目もふっくらし、きれいに仕上がる。
それでいて使用する小麦粉はイーストフードを使わないものとくらべ、
7割ほどですむ。


 しかし・・・先進国のパンは危ない。
そのことを、ベトナムから来た彼らは知っている。


 日本には安全神話があふれている。
危険性をひたかくしに隠し、安全ですだけを呪文のようにくりかえし、
普及させてきたものがたくさんある。


 福島の第一原発。天井が崩落した高速のトンネル。
台車に亀裂がはいった新幹線。
みじかな菓子パンや食パンもそのひとつ・・・


 
 
(31)へつづく