落合順平 作品集

現代小説の部屋。

北へふたり旅(32) 第三話 ベトナム基準⑫

2019-07-24 16:30:17 | 現代小説
北へふたり旅(32)




 「ストレスが溜まっているそうですね?」


 10時休み。2人だけの時間。
ビニールハウスの中でSさんへ語りかけた。


 「女房から聞いたのか。
 さいきん何を考えているんだか、自分でもわからないときがある」


 「悩みの原因は、3人目に来たトンですか?」


 「鋭いな。ド・ストライクだ」


 「見ていればわかります。イライラが丸見えですから」


 「実はな。困り果てて派遣先に、チェンジしろと申し入れた」



 「スナックの指名じゃあるまいし、チェンジなんて有りですか?」


 「おまえさんだってわかっているだろう。
 トンは大学を出ているくせに、かんじんの日本語がチンプンカンプンだ。
 日本語を理解できないんじゃ、こっちの意向はつたわらねぇ。
 もうどうにも我慢できないから管理団体へ、変えてくれと言ったのさ」
 
 「可能なんですか。そんなことが?」
 
 「いろいろあるでしょうが、もうすこし時間をくださいと言われた。
 だがこっちの神経も限界だ。
 いつまでも待っていたら、おれのホントに神経がいかれちまう。
 どうにもならないならそのとき、トンを帰国させるという」


 「契約半ばの強制帰国ですか。それではトンが可哀想だ」


 「おい。おまえさんはトンの味方するのか。
 おれの心配はしてくれないのか!」


 「人をつかうのは忍耐がいります。
 派遣会社が言うよう、長い目で見てトンを育てたらどうですか?」


 「トンは先に来た2人と、まるっきり事情が異なる。
 ドンもテプも空港からバスでまる1日もかかる、奥地の村の出身だ。
 いわゆるハングリーだ。
 ところがよ。トンは都会の生まれ。
 父親は缶詰工場を経営している富裕層。
 大学を出てから、警察官としてはたらいたことがあるという。
 オヤジの金で、警察官になったらしいがな」
 
 「トンはエリート層の出身ですか。
 借金を背負わず、日本へやってきたわけですね」


 「日本へ行ってきたと言えば、箔がつく。
 トンはトコロテン式に、オヤジの会社を継ぐ立場にいるからな。
 だから、どこかノー天気なんだ。
 真剣味が足らねぇ。ハングリー精神ってやつがまったくない」


 「それで管理団体の通訳を呼んだのですか」


 「トンに、カツを入れてくれって頼んだ。
 やって来たのは中国人。
 中国人通訳は、ベトナム語を話せねぇという。
 トンを派遣している管理団体にまだ、ベトナム語の通訳はいないそうだ」


 「どんな風にお互いの言葉を伝えたのですか?」


 「俺が中国人に、事情を説明する。
 中国人が、中国語が分かるベトナム人へ電話をかける。
 俺の言葉をこいつが翻訳する。
 トンはベトナム人に自分のいいぶんをつたえる。
 ベトナム人が中国語で、トンのいいぶんを中国人につたえる。
 それをえんえん繰り返しているうち、カリカリしている俺自身が、
 なんだか、滑稽に思えてきた」


 「あきらめたのですか・・・」


 「あきらめるしかねぇだろう。
 何か有るたび、通訳の三角関係を繰り返していたんじゃラチがあかねぇ。
 そう思って、あきらめることにした」


 「あきらめきれないから、病んでいるんでしょう?」


 「そういうなって。
 たいへんなんだぞ、国際交流は・・・。
 ベトナム人をつかうのは、日本農家の人手不足を解消するためじゃねぇ。
 開発途上国の経済発展を担う「人づくり」に、協力するためだ。
 受け入れ拡大のための法整備はすすんだ。
 だがよ。彼らの受け入れ先には、こんな実情ばかりが広がっている。
 コミニュケーションが挫折しているんだ。
 そのうちひとづくりの協力が、挫折するかもしれねぇな・・・」
 


 (33)へつづく