北へふたり旅(74) 函館夜景⑨
「呑みすぎたかな・・・」
いい気分を保ったまま、ホテルの部屋へもどったのは、午後の9時過ぎ。
ドアを開けると真っ暗なはずの部屋が、ほのかに明るい。
「明るいぞ?」おかしいな・・・
「あ・・・」窓のカーテンが開いている。
閉め忘れたまま外出したらしい。
明かりの正体は、眼下にひろがる赤レンガ倉庫のライトアップ。
正面に見えるはずの函館山は、漆黒の闇の中。
函館湾も真っ暗。
赤レンガの一帯だけが、光の中に浮かび上がっている。
(なるほど。どうりで明るいはずだ)
カーテンを閉めようと手をかけたとき。
窓の隅で何かが動いた。
(なんだ?)揺れた方向へ目を凝らす。
ゆっくりとおおきなかたまりがあらわれた。
「なにか見えるの?」妻が背後へやってきた。
無言のまま、ロープウェイの駅を指さす。
麓の駅から125人乗りのゴンドラがゆるりとあらわれた。
窓から手を振るひとの姿が見える。
赤い尾灯が速度を増しながら遠ざかっていく。
頂上からライトを点けたゴンドラがこちらへむかって降りてくる。
およそ3分。ゴンドラのすれ違いが目の前で展開される。
「きれい。ロマンチック!」妻がガラスへ顔を寄せる。
恋人たちなら肩を寄せ合い、ゴンドラのすれ違いを見上げるだろう。
「頂上へ行けるのはゴンドラだけ?」
「バスとタクシーなら頂上まで行ける。
一般車は16~21時まで通行止め。それ以外の時間帯は通行できる」
「じゃあそこに停まっているのは、タクシーのヘッドライトかしら?」
函館山にもうひとつの光の群れが有る。
山腹をななめに登っていく車のヘッドライトだ。
そこだけ木立が切れているのだろう。五合目あたりでときどき光が停まる。
そこからきっと、頂上とおなじ夜景が見えるのだろう。
「今日はいい日でした。なにもかもが最高。
さて、わたしはこれからお風呂へ行きますが、あなたはどうします?。
呑みすぎていませんか?。自重しますか?」
「ぼくも行く」
「倒れないでくださいな。混浴ではありませんここは。
なにかあっても助けに行けません」
「そこまで酔ってない。子どもじゃない。自分のことは自分でできる」
「酔っぱらっている方ほど、俺は酔っていないと言い張ります」
「酒は醒めた。、寅さんの話に酔っただけだ。
いくぞ。風呂はどこだ?」
風呂は最上階の13階。
浴衣とタオルをもち、妻と2人で最上階へむかう。
「天然温泉ですって。ここ」エレベータの中で妻がささやく。
「最上階の天然温泉?。
へぇぇ。湯の川温泉まで行かなくても温泉に入れるのか。
カラスの行水じゃもったいない。
30分くらい浸かってこよう」
「源泉かけ流しの天然温泉です。30分では短すぎます。
わたしは1時間は入りたいと思います。
展望のよい海峡の湯。うふっ、た・の・し・みです~」
「入り過ぎて湯あたりするな。俺、助けにいかないからな」
「ご心配なく。安全を考えて45分で出てまいります。
45分後に涼み処で、再会しましょう」
うふふと妻が足早に、女湯の暖簾のむこうへ消えていく。
(75)へつづく