「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第64話 佳つ乃(かつの)の母
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芸妓は、伝統的に白塗りの厚化粧をする。
目の周りはぎりぎりまで白く塗るのにたいし、髪の毛の生え際は、
かなりの幅を取り、地肌を露出させる。
その結果。肌が白いことよりも、マスクをしているような印象を与える。
だがこの塗り残しには、わけが有る。
塗り残しの地肌は、ヌーディティ(裸であること)を表している。
白い下着からチラリとはみ出た肌のように、瞬間的にかなりエロティックに、
男性客の気を惹くからだ。
「堪忍してや。あんたも物好きやなぁ。
ウチの化粧なんか見たかて、なんも面白いことなんてあらへん。
だいいち男衆に、蝶に変身していく過程は見せまへん。
諦めてください。サラには見せますが、あんたには絶対に見せまへん。
ヌードが書きたいいうんなら一糸まとわず脱いで見せますが、
それでは、あきまへんか?。
ウチ、こう見えても、身体にはけっこう自信が有るんどす。
いまのうちだけどすがなぁ。うっふっふ」
白塗りの化粧の過程が見たいという似顔絵師の申し出を、佳つ乃(かつの)は
きっぱりと、笑顔で却下した。
似顔絵師は、今日も団栗橋の橋の上にいる。
稽古帰りの佳つ乃(かつの)が、日傘をさして姿を見せた。
2人並んで下流を眺めているうちに、そんな会話が飛び出した。
稽古に通うときの佳つ乃(かつの)は、浴衣を着て、ほんおりとした薄化粧をする。
それだけでもこの人は、充分に美しい。
顏も美しいが、それ以上に、身体全体から滲み出してくる芯の強さと色香がある。
長年にわたり、修行を厳しく積んできた結果として、自然に身に着いたものだ。
佳つ乃(かつの)が持っている雰囲気と同じものを、30代に入った芸妓たちから、
共通して感じとることが出来る。
本物の美しさは、内面からにじみ出る。
道を究めるための努力の積み重ねは、人を大きな高みに導く。
流してきた涙と、汗の量は、決して嘘をつかない。
凛と立つ佳つ乃(かつの)の横顔を見るたびに、似顔絵師はいつもそんな風に感じる。
「ウチなぁ。お母さんらしい人に行きあいましたえ」
「え・・・・」
「名のある、老舗お茶屋の女将どす。
大きゅうなられましたなぁ、という挨拶のひとことだけどしたが、
なぜかそのとき、ピンときました。
確信はあらへん。ただその一言の中に、ウチが何んかを感じただけや。
けどなぁ。その女将さんはいつでも、ウチのことを何ともいえん目で見るんどす。
芸妓は結婚できまへんが、置屋の女将とお茶屋の女将なら所帯が持てます。
あん人はもう、別の家庭を持っとるお人です・・・」
「え。祇園の芸妓は、結婚できないのかい!」
「なんや、あんた。そんなことも知らんのかいな。
祇園は、最高級に輝く女たちが、男はんを夢の世界へいざなう場所や。
男はんを知り、結婚すると、どことなく辛気臭くなります。
夢の道先案内人が、所帯じみて、辛気臭いようでは仕事になりまへん。
芸妓が結婚するときは、芸妓をやめる時どす」
「結婚はタブーでも、恋愛は自由なんだろう?
まさか芸妓のうちは、恋愛も禁止なんてことは無いだろうねぇ」
「恋愛まで禁止された世界なら、ウチはもうとうの昔に、
鴨の川原でさらし首どすなぁ。
人の生き方は、川の流れのようなもんどす。
流れに逆らえば必ずおぼれます。けど、流され過ぎれば自分自身を見失います。
どう生きていくのが正解なのか、ウチにはさっぱり分かりまへん。
鴨川の流れのように、滔々と静かに、海まで流れていきたいもんどすなぁ」
「本当のお母さんのことを、静かに忘れたいという意味・・・なのかな。
もしかして?」
「ウチには、屋形のお母さんと、「S」のオーナーが居ります。
もうひとり。ウチを産んでくれた本当のお母さんが、祇園の町で生きてます。
それだけのことどす。それだけで充分かもしれまへん。
けどなぁ。一度でいいから、本当の家庭というものを知りたかったんどす、ウチは。
けど。ウチが生きている限り、それは絶対に無理やろうと思います・・・」
ふっ~と短い溜息をついた佳つ乃(かつの)の横顔を、
似顔絵師が、複雑な思いで見つ返す。
第65話につづく
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江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第64話 佳つ乃(かつの)の母
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芸妓は、伝統的に白塗りの厚化粧をする。
目の周りはぎりぎりまで白く塗るのにたいし、髪の毛の生え際は、
かなりの幅を取り、地肌を露出させる。
その結果。肌が白いことよりも、マスクをしているような印象を与える。
だがこの塗り残しには、わけが有る。
塗り残しの地肌は、ヌーディティ(裸であること)を表している。
白い下着からチラリとはみ出た肌のように、瞬間的にかなりエロティックに、
男性客の気を惹くからだ。
「堪忍してや。あんたも物好きやなぁ。
ウチの化粧なんか見たかて、なんも面白いことなんてあらへん。
だいいち男衆に、蝶に変身していく過程は見せまへん。
諦めてください。サラには見せますが、あんたには絶対に見せまへん。
ヌードが書きたいいうんなら一糸まとわず脱いで見せますが、
それでは、あきまへんか?。
ウチ、こう見えても、身体にはけっこう自信が有るんどす。
いまのうちだけどすがなぁ。うっふっふ」
白塗りの化粧の過程が見たいという似顔絵師の申し出を、佳つ乃(かつの)は
きっぱりと、笑顔で却下した。
似顔絵師は、今日も団栗橋の橋の上にいる。
稽古帰りの佳つ乃(かつの)が、日傘をさして姿を見せた。
2人並んで下流を眺めているうちに、そんな会話が飛び出した。
稽古に通うときの佳つ乃(かつの)は、浴衣を着て、ほんおりとした薄化粧をする。
それだけでもこの人は、充分に美しい。
顏も美しいが、それ以上に、身体全体から滲み出してくる芯の強さと色香がある。
長年にわたり、修行を厳しく積んできた結果として、自然に身に着いたものだ。
佳つ乃(かつの)が持っている雰囲気と同じものを、30代に入った芸妓たちから、
共通して感じとることが出来る。
本物の美しさは、内面からにじみ出る。
道を究めるための努力の積み重ねは、人を大きな高みに導く。
流してきた涙と、汗の量は、決して嘘をつかない。
凛と立つ佳つ乃(かつの)の横顔を見るたびに、似顔絵師はいつもそんな風に感じる。
「ウチなぁ。お母さんらしい人に行きあいましたえ」
「え・・・・」
「名のある、老舗お茶屋の女将どす。
大きゅうなられましたなぁ、という挨拶のひとことだけどしたが、
なぜかそのとき、ピンときました。
確信はあらへん。ただその一言の中に、ウチが何んかを感じただけや。
けどなぁ。その女将さんはいつでも、ウチのことを何ともいえん目で見るんどす。
芸妓は結婚できまへんが、置屋の女将とお茶屋の女将なら所帯が持てます。
あん人はもう、別の家庭を持っとるお人です・・・」
「え。祇園の芸妓は、結婚できないのかい!」
「なんや、あんた。そんなことも知らんのかいな。
祇園は、最高級に輝く女たちが、男はんを夢の世界へいざなう場所や。
男はんを知り、結婚すると、どことなく辛気臭くなります。
夢の道先案内人が、所帯じみて、辛気臭いようでは仕事になりまへん。
芸妓が結婚するときは、芸妓をやめる時どす」
「結婚はタブーでも、恋愛は自由なんだろう?
まさか芸妓のうちは、恋愛も禁止なんてことは無いだろうねぇ」
「恋愛まで禁止された世界なら、ウチはもうとうの昔に、
鴨の川原でさらし首どすなぁ。
人の生き方は、川の流れのようなもんどす。
流れに逆らえば必ずおぼれます。けど、流され過ぎれば自分自身を見失います。
どう生きていくのが正解なのか、ウチにはさっぱり分かりまへん。
鴨川の流れのように、滔々と静かに、海まで流れていきたいもんどすなぁ」
「本当のお母さんのことを、静かに忘れたいという意味・・・なのかな。
もしかして?」
「ウチには、屋形のお母さんと、「S」のオーナーが居ります。
もうひとり。ウチを産んでくれた本当のお母さんが、祇園の町で生きてます。
それだけのことどす。それだけで充分かもしれまへん。
けどなぁ。一度でいいから、本当の家庭というものを知りたかったんどす、ウチは。
けど。ウチが生きている限り、それは絶対に無理やろうと思います・・・」
ふっ~と短い溜息をついた佳つ乃(かつの)の横顔を、
似顔絵師が、複雑な思いで見つ返す。
第65話につづく
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