落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第64話 佳つ乃(かつの)の母

2014-12-18 10:55:17 | 現代小説
「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。



おちょぼ 第64話 佳つ乃(かつの)の母



 
 芸妓は、伝統的に白塗りの厚化粧をする。
目の周りはぎりぎりまで白く塗るのにたいし、髪の毛の生え際は、
かなりの幅を取り、地肌を露出させる。
その結果。肌が白いことよりも、マスクをしているような印象を与える。
だがこの塗り残しには、わけが有る。


 塗り残しの地肌は、ヌーディティ(裸であること)を表している。
白い下着からチラリとはみ出た肌のように、瞬間的にかなりエロティックに、
男性客の気を惹くからだ。



 「堪忍してや。あんたも物好きやなぁ。
 ウチの化粧なんか見たかて、なんも面白いことなんてあらへん。
 だいいち男衆に、蝶に変身していく過程は見せまへん。
 諦めてください。サラには見せますが、あんたには絶対に見せまへん。
 ヌードが書きたいいうんなら一糸まとわず脱いで見せますが、
 それでは、あきまへんか?。
 ウチ、こう見えても、身体にはけっこう自信が有るんどす。
 いまのうちだけどすがなぁ。うっふっふ」


 白塗りの化粧の過程が見たいという似顔絵師の申し出を、佳つ乃(かつの)は
きっぱりと、笑顔で却下した。




 似顔絵師は、今日も団栗橋の橋の上にいる。
稽古帰りの佳つ乃(かつの)が、日傘をさして姿を見せた。
2人並んで下流を眺めているうちに、そんな会話が飛び出した。
稽古に通うときの佳つ乃(かつの)は、浴衣を着て、ほんおりとした薄化粧をする。


 それだけでもこの人は、充分に美しい。
顏も美しいが、それ以上に、身体全体から滲み出してくる芯の強さと色香がある。
長年にわたり、修行を厳しく積んできた結果として、自然に身に着いたものだ。
佳つ乃(かつの)が持っている雰囲気と同じものを、30代に入った芸妓たちから、
共通して感じとることが出来る。


 本物の美しさは、内面からにじみ出る。
道を究めるための努力の積み重ねは、人を大きな高みに導く。
流してきた涙と、汗の量は、決して嘘をつかない。
凛と立つ佳つ乃(かつの)の横顔を見るたびに、似顔絵師はいつもそんな風に感じる。



 「ウチなぁ。お母さんらしい人に行きあいましたえ」


 「え・・・・」



 「名のある、老舗お茶屋の女将どす。
 大きゅうなられましたなぁ、という挨拶のひとことだけどしたが、
 なぜかそのとき、ピンときました。
 確信はあらへん。ただその一言の中に、ウチが何んかを感じただけや。
 けどなぁ。その女将さんはいつでも、ウチのことを何ともいえん目で見るんどす。
 芸妓は結婚できまへんが、置屋の女将とお茶屋の女将なら所帯が持てます。
 あん人はもう、別の家庭を持っとるお人です・・・」



 「え。祇園の芸妓は、結婚できないのかい!」



 「なんや、あんた。そんなことも知らんのかいな。
 祇園は、最高級に輝く女たちが、男はんを夢の世界へいざなう場所や。
 男はんを知り、結婚すると、どことなく辛気臭くなります。
 夢の道先案内人が、所帯じみて、辛気臭いようでは仕事になりまへん。
 芸妓が結婚するときは、芸妓をやめる時どす」


 「結婚はタブーでも、恋愛は自由なんだろう?
 まさか芸妓のうちは、恋愛も禁止なんてことは無いだろうねぇ」



 「恋愛まで禁止された世界なら、ウチはもうとうの昔に、
 鴨の川原でさらし首どすなぁ。
 人の生き方は、川の流れのようなもんどす。
 流れに逆らえば必ずおぼれます。けど、流され過ぎれば自分自身を見失います。
 どう生きていくのが正解なのか、ウチにはさっぱり分かりまへん。
 鴨川の流れのように、滔々と静かに、海まで流れていきたいもんどすなぁ」



 「本当のお母さんのことを、静かに忘れたいという意味・・・なのかな。
 もしかして?」



 「ウチには、屋形のお母さんと、「S」のオーナーが居ります。
 もうひとり。ウチを産んでくれた本当のお母さんが、祇園の町で生きてます。
 それだけのことどす。それだけで充分かもしれまへん。
 けどなぁ。一度でいいから、本当の家庭というものを知りたかったんどす、ウチは。
 けど。ウチが生きている限り、それは絶対に無理やろうと思います・・・」



 ふっ~と短い溜息をついた佳つ乃(かつの)の横顔を、
似顔絵師が、複雑な思いで見つ返す。



第65話につづく

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