上州の「寅」(50)
周囲が騒がしくなってきた。
「不審者あらわる」の一報が警備室へ伝わる。警備員が駈けつけてきた。
「なに?」「どうしたの?」買い物客たちも立ち止まる。
寅の周囲へ物見高い人垣が出来上がる。
おおくの視線が寅へ集まる。
「だから言ったのに・・・」
人垣をかきわけてチャコが出てきた。
店長へペコリと頭を下げる。
「ごめんなさい。この人はわたしの連れです。
こちらのレジにいた女性の娘さんのことで話があり、戻ってきました」
人垣の背後へ3番レジにいた女性が戻ってきた。
「わたしの娘、ユキをご存じなのですか!」声がふるえている。
「この人の娘さんのことを知っているのか、君たちは」
「はい。どうやら誤解があったようです。
最初にそう言えばよかったのに、このひと、やたら口が不器用なんです」
「なんだ。そういうことか。よかった」店長がほっと胸をなでおろす。
「ここではなんだな。
君。休憩室へこのひとたちを案内して。そこで話を聞くといい。
君も早合点はいかんな。お客さんの話は最後まで聞くように」
3番レジの女性へ声をかけた店長が、恵子さんの肩を叩いて去っていく。
「なんだ。なんだ。ただの誤解かぁ」
寅をとりまいていた好奇の人垣がほどけていく。
(恵子さんというのか。ユキちゃんのお母さんは・・・)
こちらへとユキの母親が指さす。
搬入用の扉をあけると、うす暗い通路の先に休憩室がある。
「どうぞ」と招かれ、休憩室のドアがあく。
「コーヒーか、お茶でも?」
「おかまいなく。わたしたちはユキのことでお邪魔しました。
話がすめばすぐ帰ります」
「ユキは元気にしていますか?」
「元気です。いまはわたしたちといっしょに仕事しています」
「どんなお仕事でしょう?」
「養蜂です。日本ミツバチを集めるための巣箱をつくり設置しています」
「ユキがそんな仕事を・・・ご迷惑をおかけしていないですか?」
「役に立っていますよ。どうぞご心配なく」
「よかった・・・」
ふらりとゆれた恵子さんが、椅子へ崩れおちる。
(あの子、生きててくれたんだ・・・よかったぁ)
張りつめてきた気持ちが切れたのだろう、肩がふかく波打っている。
(やっぱり母親だ。こころのそこからユキのことを心配してたんだ)
チャコが携帯を取り出す。
画面に触れたあと、「はい」と恵子さんへ差し出す。
「さいきんのユキの様子です。
わたしたちといっしょに巣箱をつくっているところを写しました」
いつのまに撮影したのだろう。
笑顔のユキや、真剣に作業している横顔がたてつづけに出てくる。
画面を見つめる恵子さんの顔がゆるんできた。
笑みが浮かんでくる、どこか似ている。やはり親子だ、ユキと同じ笑顔だ。
(51)へつづく
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