落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(35)

2013-07-22 06:19:01 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(35)
「不良といえども人の子でたまにはやたらと、人の情けが身にしみる」




 「そうだな・・・確かにそんな昔があった。
 めったに新しい店を開拓をしない岡本がある日突然、酒を飲みに行こうと誘いに来た。
 珍しいこともあるもんだと思いながら付き合うことにはしたが、その先が実に厄介だった。
 人を誘いに来たくせに、何処へ行くのかと聞いても、モジモジしたままで要領を得ない。
 あげくの果てに花束を買うから選んでくれ、ときた」


 グラスに残った最後の酒を、「六連星」の俊彦が一滴も残さず綺麗に飲み干します。
ほっと一息を入れた後、再び岡本の横顔を見つめその頃の思い出を頭の中で思い出しています。
「もういっぱい、いかがです?」と徳利を差し出す美和子を手で制し、コホンとひとつ
咳払いを置いてから、俊彦がふたたび思い出し話を続けます。



 「とにかく要領を得ないので、理由を話せと迫ってみた。
 渋るこいつが、ようやく理由を話し始めたのは30分も経ってからだ。
 ヒョンなことから世話になった人がいるので、感謝の気持ちを伝えるために、
 花束を選んでくれという、ただそれだけの一点張りだ。
 だから。それは一体どういう意味で相手はどういう人なんだ、と強く詰め寄ったら、
 『実は、心底惚れぼれとするほどの、いい女を遂に見つけちまった』
 と、ようやく白状しゃがった。
 いやはや驚いたぜ俺も。こいつの本音を聞いた瞬間には」


 「おい、トシ。細かい説明を抜きにしていきなり結論だけをいうんじゃねぇ。
 それじゃあみんなが誤解をするじゃねえか。
 まるで話が、どこにでもあるただの下らない不倫話の顛末だ」


 
 「じゃあ、そこから先は自分で話せ。
 なぜお前が、ここの辻のママさんに心底惚れるようなことになったのか。
 恥ずかしがることなんかあるもんか。
 ママの気風も流石だが、それに感銘したお前さんの心意気もやっぱり流石だと思う。
 話してやれ。若いものには良い勉強になる」



 そこへ、「あら、なんのおはなし? 私も是非に聞きたいわ」と、辻ママまで戻ってきます。
万事休すの空気の中で、岡本が無言のまま自分のグラスを美和子の前へ突き出します。
心得ましたとばかりに美和子が、岡本のグラスへたっぷりと酒を注ぎます。
「師匠も、もう一杯いきましょう」と、康平も歩調を合わして徳利を持ち上げます。
「おう、ありがとう。長くなるかもしれねぇからなぁ。もういっぱい行くか、仕方ねぇ」と、
俊彦も嬉しそうに、なぜか岡本を見つめています。
周囲から見つめられる熱い視線についに根負けをし、進退窮まった岡本が
ようやく覚悟を決めます。



 「別に命までを取られるわけじゃなし。覚悟を決めて白状しちまうか。
 あれは今から、5~6年前のことだ。
 その頃からここのテナントにはチョイチョイ顔を出していたが、
 寄っていくのは此処じゃねぇ。2軒ばかり隣にあったフィリッピン・パブが専門だった。
 その日も集金してきたばかりのバッグを持って、いつもの女の子を指名するために
 ノコノコとここの駐車場へやってきた。
 いつもなら、バッグは店の中まで持ち込むか、そうでなければ、
 外からは見えないように、座席の下かトランクかフロント内へ隠しておくのが常だった。
 ところがその日に限って助手席の座席の上へ、放り投げたまま俺は車を降りちまった。
 安易な俺の過失が、すべての災難の始まりだ」



 「おう。すまねえが、もういっぱい酒を注いでくれ」と一気にあおりカラと化した
酒のグラスを、岡本がもう一度、乱暴に美和子の前へ突き出します。
辻ママが美和子の手から黙って徳利を譲り受け、岡本のグラスへ酒を満たしていきます。


 「すまねぇ・・・・ありがとうよ。
 飲み屋のテナントや駐車場で自分の車を離れる時に、座席へ
 バッグや金品を残さないことは、盗難防止のための基本中の基本といえる心得だ。
 それが出来ていないんだから。まぁ、その日に限っては魔が差したとしか言い様がない。
 いやな予感は薄々とはしていたが、案の定その心配はものの見事に的中をした。
 2時間ほど飲んで、ご機嫌で車へ戻ってきたら、助手席のガラスは粉々に割られていた。
 助手席に置いておいた大金のバッグが消えていた。
 『やられた』と思ったが、すべては後の祭りだ。


 車上荒らしの盗難届けを出すために警察を呼んだが、それも悪夢の始まりだった。
 やってきたのは若いお巡りの二人組だ。この二人がまた蛇のように執念深かった。
 盗られた金は諦めてもいいから、一応、盗難届出してその場を簡単に収めるつもりでいたが
 俺が極道者だと分かると、ネチネチとした悪意の取り調べぶりを発揮し始めた。
 盗られた金もどうせ覚せい剤の売上金だろうとか、みかじめ料にしては
 多すぎるだろうとか、痛くもないこちらの腹まで探り始めてきた。
 挙句には用もないのに公安を呼びつけて、さらに応援だと言って2台のパトーカーまで呼びつけた。
 たかがたまたまに過ぎない車上荒らしの現場へ、結局、3台のパトカーと
 1台の覆面パトカーが駆けつけてきて、駐車場一帯が上へ下への大騒ぎになっちまった。
 なんだかんだで2時間あまり。
 悪意にこりかたまった警察の連中が、ようやく引き上げていったのは、
 もう夜明けも間近い午前4時過ぎのことだ。
 さんざんに虐められてヘトヘトにされた挙句、やっと解放されたのでやれやれと、
 ようやくの想いで車へ乗って帰ろうとしたら、ここの辻ママが、
 背後から、また俺を呼び止めた」



 辻ママが、空になったままテーブルに置かれている岡本のグラスへ、また酒を注ぎます。
さらに俊彦を振り返り、『それを空けて、もう一杯いかがです?」と目で促します。
苦笑いで応えた俊彦が、半分ほど残っていた酒を一息に流し込むと、
『年寄りをとことん酔わせて、一体ママは、どうするつもりだ」とグラスを差し出します。



 「若いうちなら急いで家へ帰り、エッチをするという選択肢もあったけど、
 この歳になればもうそんな気もないし、出来ないし、みんな一様に人畜無害の安全パイだ。
 一杯や二杯を余計に飲んだところで、別にどうこうないでしょう。うっふふ」


 グラスを手にした岡本が、乾きを潤すように少しだけ酒を口に含みます。



 「酒も酔っ払うまでは口当たりが良いし、美味いんだがどこかでふいに苦くなる。 
 ましてや普段から俺たちは、人様から褒められるような仕事をしているわけじゃねぇ。
 飲みすぎた酒みたいに、時には苦みばしったまま反発をすることもできず、
 ただただ、悔しい思いを噛み締めながら我慢をしている時もある。
 世の中のこともろくに理解をしてねぇ若いお巡り連中に、権力を傘にして
 好き放題を言われたにしたって、こちとらは、すねに傷を持っている後ろめたい身分だ。
 いちいち反発をするわけにもいかねぇし、事を荒立てるわけにもいかねぇ。
 だがなぁ、我慢にも限度ってやつがある。
 言いたい放題を言われっぱなしで、俺もいい加減、お巡り連中に頭へきはじめた。
 ちょうど、そんな時だった。
 降り始めてきた通り雨のせいで、ひと時だけ、みんなが軒下へ飛び込んで避難した。
 いきなり降ってきたもんで、あっというまに新調した背広はびしょ濡れだ。
 これも災難のひとつかと空を見上げていたら、背後からハンカチと傘を差し出す女がいた。
 『あんた。悔しいだろうが馬鹿なお巡りの挑発にのるんじゃないよ、我慢しな』
 そう言ながら俺に傘とハンカチを手渡す、物好きな女がいた。
 それがこの辻のママだ。
 そしてそれが、その夜の、一度目の出会いだった」







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