落合順平 作品集

現代小説の部屋。

『ひいらぎの宿』 (45)

2014-01-07 10:29:12 | 現代小説
『ひいらぎの宿』 (45)第5章 NPO法人「炭」の事務局長  
イワナの骨酒と、カジカの骨酒




 「イワナ釣りのついでに、若い美人を釣りあげてきたという話を聞いて、
 早速、手土産持参で駆けつけてきたが。なるほどのう・・・・久々に見る、美形じゃわい」


 カジカをぶら下げてきた作次郎老人が、囲炉裏へ腰を下ろしながら非常勤講師をしげしげと見つめます。
『恐れ入ります』と凛がまんざらでもなさそうに、目を細めて笑っています。
しかし、『土産じゃ』と差し出された作次郎老人のカジカを見て、思わず目を丸くしています。

 
 「あら。なべ壊し!。天然物のカジカですか。すごい」



 「そうとも、見た目は悪いがこいつは、すこぶる美味な魚じゃ。
 汁物や鍋料理では、旨い出汁が良くでる為に別名を『なべこわし』などと称されておる。
 唐揚げや天ぷらにしても旨いぞ。
 カラカラになるまで遠火で焼いて、骨酒にすると、イワナよりもはるかにいいダシが出る。
 それにしてもお前さんは、やはり、只者じゃないな。
 『なべこわし』の別名まで知っているとは、実に対したものだ。
 相当に山料理に関しては、通じゃのう。
 ほれ。酒の肴に、鹿肉の刺身も特別に持ってきてやったぞ」


 天然物のイワナには川魚本来の香りがあり、養殖ものなどとは全く味が異なります。
釣りたてのものを炭火でじっくりと遠赤外線で焼くことにより生臭さが消え、味に深みがでてきます。
春の解禁時期のイワナからは、若々しい味がします。
夏の岩魚は脂がのり深い味が楽しめ、秋の岩魚は産卵の為、かれた味がするといわれています。
それぞれの風合いを持つイワナを、遠火の強火で時間をたっぷりとかけて焼き上げます。
この焼きあがったイワナに、アツアツのお酒をそそいで完成させたものが『イワナの骨酒』です。


 器にサランラップをかぶせ、蒸らすこと、2~3分。
こうすることで、イワナの骨の中までじっくり酒が入り込み味に深みが出やすくなります。
一度鍋にとり、さらに2~3分ほどかけて酒をゆっくりと上下させながら、しっかりアルコール分を飛ばすと、
よりマイルドで、飲みやすい口当たりに仕上がります。 



 『イワナの骨酒』のさらに上を行くと絶賛されているのが、カジカの骨酒です。
イワナやヤマメの棲む水域で共生してきたものの、今は希少となってしまった魚種のひとつです。
小型で見栄えはあまりよくありませんが、味はきわめての絶品です。
東京近郊の河川でもかつては大量に生息していたため、農山村部ではよく食卓にも並びました。
魚体の美味しさもさることながら、底石に産み付けられた卵塊(多摩地域では、アワコやアーコと呼ばれた)も
漁獲され、甘辛く煮付けられて、総菜などにされてきました。
しかし資源の急激な減少に伴い、現在ではカジカのこうした卵塊の採集は禁止されています。


 カジカは水質の悪化に、きわめて敏感な魚種のひとつです。
河川の中流や下流部では水質汚濁の進行により、真っ先に姿を消してしまいました。
カジカは底石の隙間に生息し、そこを産卵場として利用しています。
エサは、底石の隙間に生息をしている水生昆虫類です。
山砂利の採集や、渓流沿いの道路工事などによる河川への土砂の流入が、カジカの生息空間を破壊して、
わずかに残った上流部においても、カジカは次々と姿を消しはじめています。



 骨酒(こつざけ)には、もともとの古いいわれがあります。
魚の骨をこんがり焙り上げたところへ、間髪を入れず熱燗を注ぎ、魚のうまみと香ばしさを移した
酒が、骨酒の発生と言われています。
骨をごみにして捨てず、おいしく活用しようとして、たまたま生まれてきたものです。
たまたま酒に入れたら、思いの外うまかったのがきっかけで、それ以来、淡白な川魚を中心に
さまざまな骨酒が、飲み師のあいだで流行り始めてきた言われています。
川魚の場合、骨だけでなく身を丸々使うことが多く、鮎やイワナ、カジカと
清流を代表する魚たちが好まれています。
しかし現在においては、こうした魚の天然ものは簡単には手に入らず、どれもが
きわめての高級魚になっています。


 「食通の連中はよく、『カジカ酒こそ骨酒中の骨酒、骨酒の絶品だ』と言いよる。
 確かに、カジカのだしのつゆで食ったそうめんは格別だ。こいつは確かに旨い。
 カジカの汁物はだしがよく出て、うまいものがある。
 ひょうきんな顔つきのカジカの塩焼きも、素朴だが、はっきりした輪郭の風味と旨さを持っておるぞ。
 『グロテスクな顔ほど、魚はうまい』という通説は、この場合ははっきりと当てはまる。
 わしの子供の頃のカジカは、ごく身近になんぼでもいた魚じゃった。
 川にはカジカと、これより一回りも二回りも大きい、ババカジカというのが泳いでいた。
 ババカジカは数が少ないせいか、なかなか捕れん。
 カジカとババカジカとそれぞれに呼び分けてきたが、『別種なのかどうか』と
 尋ねられたら、はっきりとは区別する自信が無い。
 いずれにせよ、カジカもめっきりと少なくなり、今では絶滅危惧種に指定をされておる。
 カジカに限らず、これまでは存在をして当たり前と思っていた自然の多くが、
 今や、次から次へと失われはじめておる。
 採りきれないほどの独活(うど)や、タラの芽の出た春の山も、
 真っ黒になるほどの魚影が動いていた夏の川も、あかね色の赤とんぼが
 覆い尽くすように飛んでいた秋の空も、もはや、記憶の中のだけになってしまったのう・・・・
 お、いかんいかん。つまらん年寄りの愚痴になってしまったわい。
 もうそろそろ、カジカ酒も飲みごろじゃろう。 
 ぐいっと行くがいい。わしと同じで見かけはすこぶる悪いが、旨いぞ~カジカの骨酒は。
 なぁ、美人の非常勤講師さんよう!。あっはっは」



(46)へ、つづく






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