からっ風と、繭の郷の子守唄(77)
「居酒屋家業は人を酔わせペラペラ喋らせてこそ、なんぼの世界」
「その女性の持ち物と洋服の特徴については、良くわかった。
しかし肝心の人物像が、いまひとつはっきりしない。
容姿や顔の特徴といった個人を特定するための、個別情報はないのかい」
2杯目のお湯割りを準備しながら、康平が貞園へ問いかけます。
(そう言われてもなぁ・・・・)と、正面からいまだにその女性の顔を確認していない
貞園が返答にいき詰まり、小首などをかしげています。
「髪は極端に短いベリーショート。身長は155センチ前後くらいかしら。
歳はたぶん30前後。残念ながらまだ、顔を正面からは見ていないのよ。
いつも瞬間的だから、見るのは横顔か背中姿ばかり。
でも、初めて見かけた時、なぜか康平のお店から出てきたような印象があるの。
それから気になって注目をしていたら、今日は、たまたま2度も遭遇をした。
その女はいつも決まって、この界隈を中心に神出鬼没するのよ。
本当に、康平にはその心当たりがないの?」
「さぁてなぁ。見てないないね」と、素っ気ない返事が康平から返ってきます。
「このピンボケが実に残念です・・・・
もう少しまともに写っていれば、拡大もできたし、正体を解明できたのに。
動揺して慌て過ぎていたから、やっぱりあの瞬間に適当にシャッターを押していたんだわ。
自分では落ち着いていたつもりなのに、やっぱり、激しく動揺をしたままだった」
「いつも冷静な君にしては、珍しい失敗だ。
角度から見ると絶好の位置で、しかも理想的なシャッターチャンスだったようにも見える。
あとはピントを合わせてシャッターを押すだけでもよかったのに、見事に失敗をしたもんだ。
激しく動揺をしたというが、一体何が、いつも冷静な君を狂わせたんだ。
俺には信じられないな。貞園が動揺しすぎて写真を失敗するなんて」
「だってさ。本当に驚きの連発だったのよ。私だって時にはパニックにもなるわよ。
美和ちゃんは妊娠しているって告白するし、そのうえ、
初めて見せてもらった暴力亭主の顔は、例の発砲事件の実行犯でしょ。
さすがの私もこれだけの衝撃が続くと、今回ばかりは対応しきれずに大パニックに陥るわ。
あっ。・・・・あれれ・・・・まずい。
康平の誘導尋問に、全部、見事にひっかかった!」
「そういうことか。なるほど、事態はだいたい飲み込めた。
美和子が妊娠をしたという事実と、はじめて知った暴力亭主の裏の顔か。
おまけにそいつが深夜の発砲事件の実行犯とくれば、貞園でなくとも大抵はパニックになる。
重要なキーワードが、3つほど登場をした。
まず美和子が妊娠をした事実だ。夫婦だもの、これは有りうる範囲の出来事だ。
暴力亭主とは、家庭内のDVという意味だろう。こいつはすこしばかり厄介な問題だ。
だが、一番厄介なのは、そいつが発砲事件の実行犯という点だ。
なるほどね。で、どうしたいんだ貞園は。
これは一筋縄で片付く問題じゃないし、たしかに貞園が言うとおり難解だ」
「そう思うでしょ、康平だって。
美和子は、今回の妊娠をきっかけに亭主がいい方向へ変わってくれるのを期待しているし、
心情的に、今の段階で警察へ通報する気にもなれないの。
かといって、妊娠も、DVも本人同士の問題で夫婦間のことだから介入はできないし、
何かをしてあげたいんだけど、完全に手詰まり状態なの」
「DVの話なら、だいぶ前からその兆候はあった。
チラリと腕に、叩かれたような青あざが見えたり、顔に隠しきれない傷跡なんかも見た。
『どうした?』と聞いたけど、本人は『転んだの』というだけで、それっきりだ」
「ふぅ~ん。なるほどね。
チラリと何かが、腕から見えるような怪しいことをやっているんだ。あんたたちは」
「こら、勘ぐるな。大人らしくもない。
問題は美和子の考え方ひとつだな。俺たちがいくら騒いでも
DVが犯罪だと本人が理解をしない限り、事態は何時まで経っても変わらない。
DVは家庭という『密室』の中で行われる犯罪行為だ。
しかし、当人同士や夫婦間の出来事だからという考え方が、事実を隠蔽する結果にもなる。
美和子には淡い期待があるようだけど、たぶんこの先でも好転はしないだろう」
「じゃあ、どうすんのさ。
手詰まり状態のまま、黙認をしていろとでも言いたいわけ?
けっこう冷たいのね康平も。愛する美和ちゃんが大ピンチだというのに、
まるで他人事みたいに冷静に分析をしているし、そんな薄情な男だとは思わなかった」
「当たり前だ。いまだに他人の関係だぜ、俺たちは。
だがまるっきり知らん顔をしているわけにもいかないだろう。
心当たりがあるので、この亭主がどんな男なのか、少し探りをいれてみる。
場合によればなにか、手が打てるかもしれない」
「うん。美和子も妊娠初期でなにかとデリケートな時期なのよ。
力になれることがあれば、何とかしてあげたいけどデリケートな問題と犯罪絡みの話でしょ。
とても康平みたいに冷静では、いられないもの」
「10年近くも居酒屋をやってるんだ。
他人様に酒を飲ませて、気持ちよく酔っ払わせて帰すのが俺の商売だ。
仕事や家庭のストレスから自分を開放させ、神経を麻痺をさせるために酒を飲む。
だから、大抵の客が、酔っ払うとすこぶるお喋りになる。
カウンターの内側は、話し相手として常に聞き上手に徹する必要がある。
しかし、相槌(あいずち)を打って頷くだけでは、会話の進行に無理がある。
話を引き出すための、適当なきっかけ作りや、働きかけも時には必要となる。
居酒屋稼業というものは、客を気持ちよく酔わせ、気分よくペラペラと喋らせて、
身も心もたっぷりと満足をさせてから、家族が待っている家へ無事に返す商売だ。
ゆえに、時には誘導尋問なども有効な方策となる。
小娘の手をひねるなど簡単だ。俺にしてみれば、朝飯前だ」
「悪かったわね。朝飯前に簡単に、手をひねられてしまう小娘で。
でもさ、なんでそんな簡単に、今回の込み入った状況を把握できるわけ?
あんたの推理力というか、洞察能力も隅におけないわねぇ」
「簡単だ。俺に聞かせたくない話だから、ふたりして俺の店以外の場所で会う。
それもいつものことだからすこしばかり探りを入れれば、やがてどちらかが白状をする。
美和子のDVの傾向は以前からそれとなく気づいていたし、一応は注意しながら観察をしていた。
亭主とは歌の同業で、盛り場を流して歩いている時に知り合ったと聞いた。
どうやら売れない演歌歌手で、東京からの流れ者らしい。
そんな関係で出会ったが、ふたりが同棲をするまでそれほど時間はかからなかったようだ。
ただしとかくのヤクザ関係の悪い噂があるので、それとなく気にはしていた。
美和子が幸せであれば別に問題はないし、DVも当人たちで解決できるかもしれない。
だがその亭主が反社会的な犯罪者となれば、話はもうひとつ別の次元だ。
何か、対策を考える必要があるだろう」
康平が考え事をする時の癖で、腰へ両手を当てて天井の一角を見あげています。
すこし小首をかしげ胸の前で両腕を組み始めると、ついに本格的に考えはじめた時の証拠です。
『うう~ん』組まれた両腕から指が伸びてきて、自分の顎を撫ではじめます。
(私もついパニックに陥ったけど、康平にしても相当の難題のようだ。
考えるポーズに、まったく新しいバージョンまで加わってしまったもの。
やっぱり一筋縄ではいかないか。
あれれ。そう言えば青い服の女の話は、いったいいつのまにどこへ消えたんだろう・・・・
なんだかスルリと交されたような気がするな、康平に。)
貞園が、開店前のカウンターでポツリと感想などをつぶやいています。
・「新田さらだ館」は、
日本の食と農業の安心と安全な未来を語る、地域発のホームページです
http://saradakann.xsrv.jp/
「居酒屋家業は人を酔わせペラペラ喋らせてこそ、なんぼの世界」
「その女性の持ち物と洋服の特徴については、良くわかった。
しかし肝心の人物像が、いまひとつはっきりしない。
容姿や顔の特徴といった個人を特定するための、個別情報はないのかい」
2杯目のお湯割りを準備しながら、康平が貞園へ問いかけます。
(そう言われてもなぁ・・・・)と、正面からいまだにその女性の顔を確認していない
貞園が返答にいき詰まり、小首などをかしげています。
「髪は極端に短いベリーショート。身長は155センチ前後くらいかしら。
歳はたぶん30前後。残念ながらまだ、顔を正面からは見ていないのよ。
いつも瞬間的だから、見るのは横顔か背中姿ばかり。
でも、初めて見かけた時、なぜか康平のお店から出てきたような印象があるの。
それから気になって注目をしていたら、今日は、たまたま2度も遭遇をした。
その女はいつも決まって、この界隈を中心に神出鬼没するのよ。
本当に、康平にはその心当たりがないの?」
「さぁてなぁ。見てないないね」と、素っ気ない返事が康平から返ってきます。
「このピンボケが実に残念です・・・・
もう少しまともに写っていれば、拡大もできたし、正体を解明できたのに。
動揺して慌て過ぎていたから、やっぱりあの瞬間に適当にシャッターを押していたんだわ。
自分では落ち着いていたつもりなのに、やっぱり、激しく動揺をしたままだった」
「いつも冷静な君にしては、珍しい失敗だ。
角度から見ると絶好の位置で、しかも理想的なシャッターチャンスだったようにも見える。
あとはピントを合わせてシャッターを押すだけでもよかったのに、見事に失敗をしたもんだ。
激しく動揺をしたというが、一体何が、いつも冷静な君を狂わせたんだ。
俺には信じられないな。貞園が動揺しすぎて写真を失敗するなんて」
「だってさ。本当に驚きの連発だったのよ。私だって時にはパニックにもなるわよ。
美和ちゃんは妊娠しているって告白するし、そのうえ、
初めて見せてもらった暴力亭主の顔は、例の発砲事件の実行犯でしょ。
さすがの私もこれだけの衝撃が続くと、今回ばかりは対応しきれずに大パニックに陥るわ。
あっ。・・・・あれれ・・・・まずい。
康平の誘導尋問に、全部、見事にひっかかった!」
「そういうことか。なるほど、事態はだいたい飲み込めた。
美和子が妊娠をしたという事実と、はじめて知った暴力亭主の裏の顔か。
おまけにそいつが深夜の発砲事件の実行犯とくれば、貞園でなくとも大抵はパニックになる。
重要なキーワードが、3つほど登場をした。
まず美和子が妊娠をした事実だ。夫婦だもの、これは有りうる範囲の出来事だ。
暴力亭主とは、家庭内のDVという意味だろう。こいつはすこしばかり厄介な問題だ。
だが、一番厄介なのは、そいつが発砲事件の実行犯という点だ。
なるほどね。で、どうしたいんだ貞園は。
これは一筋縄で片付く問題じゃないし、たしかに貞園が言うとおり難解だ」
「そう思うでしょ、康平だって。
美和子は、今回の妊娠をきっかけに亭主がいい方向へ変わってくれるのを期待しているし、
心情的に、今の段階で警察へ通報する気にもなれないの。
かといって、妊娠も、DVも本人同士の問題で夫婦間のことだから介入はできないし、
何かをしてあげたいんだけど、完全に手詰まり状態なの」
「DVの話なら、だいぶ前からその兆候はあった。
チラリと腕に、叩かれたような青あざが見えたり、顔に隠しきれない傷跡なんかも見た。
『どうした?』と聞いたけど、本人は『転んだの』というだけで、それっきりだ」
「ふぅ~ん。なるほどね。
チラリと何かが、腕から見えるような怪しいことをやっているんだ。あんたたちは」
「こら、勘ぐるな。大人らしくもない。
問題は美和子の考え方ひとつだな。俺たちがいくら騒いでも
DVが犯罪だと本人が理解をしない限り、事態は何時まで経っても変わらない。
DVは家庭という『密室』の中で行われる犯罪行為だ。
しかし、当人同士や夫婦間の出来事だからという考え方が、事実を隠蔽する結果にもなる。
美和子には淡い期待があるようだけど、たぶんこの先でも好転はしないだろう」
「じゃあ、どうすんのさ。
手詰まり状態のまま、黙認をしていろとでも言いたいわけ?
けっこう冷たいのね康平も。愛する美和ちゃんが大ピンチだというのに、
まるで他人事みたいに冷静に分析をしているし、そんな薄情な男だとは思わなかった」
「当たり前だ。いまだに他人の関係だぜ、俺たちは。
だがまるっきり知らん顔をしているわけにもいかないだろう。
心当たりがあるので、この亭主がどんな男なのか、少し探りをいれてみる。
場合によればなにか、手が打てるかもしれない」
「うん。美和子も妊娠初期でなにかとデリケートな時期なのよ。
力になれることがあれば、何とかしてあげたいけどデリケートな問題と犯罪絡みの話でしょ。
とても康平みたいに冷静では、いられないもの」
「10年近くも居酒屋をやってるんだ。
他人様に酒を飲ませて、気持ちよく酔っ払わせて帰すのが俺の商売だ。
仕事や家庭のストレスから自分を開放させ、神経を麻痺をさせるために酒を飲む。
だから、大抵の客が、酔っ払うとすこぶるお喋りになる。
カウンターの内側は、話し相手として常に聞き上手に徹する必要がある。
しかし、相槌(あいずち)を打って頷くだけでは、会話の進行に無理がある。
話を引き出すための、適当なきっかけ作りや、働きかけも時には必要となる。
居酒屋稼業というものは、客を気持ちよく酔わせ、気分よくペラペラと喋らせて、
身も心もたっぷりと満足をさせてから、家族が待っている家へ無事に返す商売だ。
ゆえに、時には誘導尋問なども有効な方策となる。
小娘の手をひねるなど簡単だ。俺にしてみれば、朝飯前だ」
「悪かったわね。朝飯前に簡単に、手をひねられてしまう小娘で。
でもさ、なんでそんな簡単に、今回の込み入った状況を把握できるわけ?
あんたの推理力というか、洞察能力も隅におけないわねぇ」
「簡単だ。俺に聞かせたくない話だから、ふたりして俺の店以外の場所で会う。
それもいつものことだからすこしばかり探りを入れれば、やがてどちらかが白状をする。
美和子のDVの傾向は以前からそれとなく気づいていたし、一応は注意しながら観察をしていた。
亭主とは歌の同業で、盛り場を流して歩いている時に知り合ったと聞いた。
どうやら売れない演歌歌手で、東京からの流れ者らしい。
そんな関係で出会ったが、ふたりが同棲をするまでそれほど時間はかからなかったようだ。
ただしとかくのヤクザ関係の悪い噂があるので、それとなく気にはしていた。
美和子が幸せであれば別に問題はないし、DVも当人たちで解決できるかもしれない。
だがその亭主が反社会的な犯罪者となれば、話はもうひとつ別の次元だ。
何か、対策を考える必要があるだろう」
康平が考え事をする時の癖で、腰へ両手を当てて天井の一角を見あげています。
すこし小首をかしげ胸の前で両腕を組み始めると、ついに本格的に考えはじめた時の証拠です。
『うう~ん』組まれた両腕から指が伸びてきて、自分の顎を撫ではじめます。
(私もついパニックに陥ったけど、康平にしても相当の難題のようだ。
考えるポーズに、まったく新しいバージョンまで加わってしまったもの。
やっぱり一筋縄ではいかないか。
あれれ。そう言えば青い服の女の話は、いったいいつのまにどこへ消えたんだろう・・・・
なんだかスルリと交されたような気がするな、康平に。)
貞園が、開店前のカウンターでポツリと感想などをつぶやいています。
・「新田さらだ館」は、
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