落合順平 作品集

現代小説の部屋。

上州の「寅」(32)強制捕獲

2020-09-23 17:02:40 | 現代小説
上州の「寅」(32)




 半分ほど設置が終ったとき、ぶ~んというかすかな羽音が聞こえた。
いや聞こえたような気がする。
「ハチか?・・・」耳を澄ます。
遠くに羽音があるような気がする。しかしハチの姿は見えない。


 「羽音を聞いたような気がしたけど・・・空耳かな」


 「あんたも聞こえた?。偵察隊かもしれないね」


 「偵察隊?」


 「ちかくに分蜂した群れがあるかもしれない。
 住処を見つけるため、はたらきバチたちが偵察に出る」


 「群れが居るのか!。俺たちの近くに・・・」


 「おおきな声を出さないで。驚いて逃げちゃうから」


 チャコが軽トラックの荷台へ立ち上がる。
前方に一本の巨木がある。
引っ越し途中の群れは一時的に、巨木の枝に集合することがある。


 「遠すぎるね。気配を消して近づくか」


 念のため防護ネットをかぶっていこうと、チャコが助手席から取り出す。
「顔をおおっていれば、分蜂の群れと出会っても安全なのか?」
「運が良ければ刺されない」「運が悪いと、どうなるんだ?」
「刺される。でもそれで数千匹が手に入る。刺されるだけの価値はある」


 態勢を低くしながら大木へ近づいていく。
ちかづくにつれ、身体のまわりを飛び交うハチの数がおおくなる。


 「間違いない。ハチの群れがいる」


 「ことし初の分蜂だね。あたし、戻って網を持ってくる」


 ユキがくるりと背を向け軽トラックへ戻っていく。


 「網?。網で採るというのか・・・。小学生の昆虫採集じゃあるまいし」


 「一網打尽が強制捕獲の鉄則だ。
 躊躇しているあいだに飛び立たれたら、ハチが四散してしまう。
 出会いがしらが勝負だ」


 「誰が捕獲するんだ?」


 「新人のお仕事。寅ちゃんに決まっているだろう」


 「お・・・。俺が!」
 
 「しいっ。大きな声を出さないで。ほら、ハチの群れが見えてきた。
 ほらあの枝。茶色のおおきなかたまりが見えるでしょ。
 あれが分蜂」


 なるほど大木の枝に、おおきな逆三角形のかたまりがぶらさがっている。
「はい。捕獲用の網」ユキが、寅の背後へ戻ってきた。
渡されたのはまさに、昆虫を捕獲するときにつかう網そのものだ。
おおきさは通常サイズの3倍はある。


 (どう使うんだ。これを?)


 (枝を揺らして群れを落とすから、かたまりの真下で構えておいて)


 (ずいぶん乱暴な捕り方だな・・・)


 (群れが網の中へ落ちたら、すぐ裏返して口をふさいで。
 タイミングが遅れるとあんたの全身に、ハチが群がることになるからね)


 (わかった。俺もハチ人間にはなりたくねぇ・・・)


(33)へつづく


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