上州の「寅」(54)
「結婚して鹿児島で暮したのは、5年あまり。
離婚が成立し、3歳のユキを連れ、生まれ育った小豆島へ帰ってきました。
実家へもどらずとなり町で、ちいさなアパートを借りました」
「実家を頼らなかったのですか?」
「駆け落ち同然で実家を出た身です。
わずか5年で離婚しましたと、実家の敷居をまたぐことはできません。
そのぶんユキに苦労をかけました」
「でもユキはお母さんと暮らした7年間は、楽しかったと言っていました」
恵子さんの手が止まった。
沈黙の時間が過ぎていく。どうやら予期しない言葉だったらしい。
「ユキがそんな風に言っていましたか。そうですか・・・
再婚するまでの7年間のことを」
恵子さんの眼が宙を泳いでいる。
ユキと暮らしたふたりだけの7年間を思い出しているのだろうか。
またすこし、沈黙の時間が流れていく。
「再婚相手、ユキの2人目の父親は幼なじみの同級生です」
「もしかして初恋のお相手?」
「うふ。残念。近所で育ったただのけんか相手。
高校まで同じ学校で過ごしましたが、彼は東京の大学へ進学しました。
わたしは管理栄養士を目指していましたので、地元の大学へ進みました。
それから10年、まったくの音信不通」
「島で、その方と10年ぶりに再会したという事ですか?」
「はい」
そのころユキは10歳。小学校4年生。
思春期へ足を踏み入れていく少し前の年頃。
親の目から見れば急に大人びてきて、しっかりしてきたように見える。
しかし外見は大人びても、中身はまだ子供のままだ。
「彼もバツイチなの。
東京で結婚して所帯を持ったけど、7年目で破局。
心機一転、生まれた土地でやり直そうと東京から戻って来たばかりだった。
そんな彼といまお勤めしているホームセンターでばったり出会ったの」
「バツイチの彼と恋に落ちたのですか?」
「いきなり聞きにくいことにまっすぐ踏み込んでくるのね、あなたったら。
うふっ。あなたおいくつ?」
とつぜんの逆質問にチャコが面食らう。恵子さん目が笑いだす。
「としですか・・・18歳ですが」
「18か。うらやましいほど若いわね。男女の経験はあるの?」
「えっ、あっ、それってあの・・・いえ、じつは・・・」
チャコの頬が赤く染まっていく。
「男女の恋にいろいろあります。
そのなかでバツイチ同士の恋がいちばん難しい。
と、わたしは考えていました。ましてわたしは子持ちの女。
世間の目を気にしながらこっそり会う、そんな関係が3年近くつづきました」
「3年間も秘密の恋がつづいたのですか?」
チャコの目がきゅうに輝く。
「うふっ。喰いつくわね、あなた。
3年どころかわたしがその気にならなければ、秘密はたぶん一生続いたでしょう。
わたしはそれでもよかったの。
でもね。彼がどうしても籍を入れて君と暮らしたいと言い始めたの」
(55)へつづく
続き 楽しみに しています。