落合順平 作品集

現代小説の部屋。

上州の「寅」(29)蜜蝋(みつろう)

2020-09-14 08:45:41 | 現代小説
上州の「寅」(29)


 
 「今日は天気もいいし、出来上がった巣箱の設置に行こう」


 朝食を終えたあと、チャコが表の様子を見てつぶやいた。
今日は朝から天気が良い。
温かそうな日差しが軒下へ差し込んでいる。


 「天気がいいとハチも行動的になるのか?」


 「分蜂の時期にはまだ早い。でも早めに仕掛けておいた方が自然になじむ。
 古ければ古いほど日本ミツバチは安心するからね」


 「建ったばかりの家より中古の方がいいのか。日本ミツバチは」


 「用心深いの。野生の虫は」


 表に並べて置いた巣箱は、雨とホコリのせいで古ぼている。
寅が九州へ着いてはや二週間。
毎日つくりつづけた結果、巣箱は20個ちかくになっている。


 「巣箱の天井へ蜜蝋(みつろう)を塗るよ」


 「蜜蝋?。なんだ、それ」


 「蜜蝋はその名のとおり、ハチがつくりだすロウ。
 巣をつくるときの材料。それが蜜蝋。
 中世のヨーロッパではロウソクをつくるため、養蜂していた教会もある」


 巣箱の蓋をはずす。
裏返した部分へ、チャコがドライヤーを当てる。
「熱風で温めるの。60℃くらいで蜜蝋がちょうどよく溶ける」
ドライヤーで温めるのか・・・女子らしい発想だ。
寅が感心して眺めていると、チャコの怒声が飛んできた。


 「こら!寅。ぼんやり眺めているんじゃないよ。
 あんたもドライヤーをもって、さっさと巣箱を温めて!。
 蜜蝋を塗った巣箱をさっさと仕掛けに行かないと、気の早いハチたちの
 分蜂が始まっているかもしれないからね」


 「分蜂?。なんだ、それ?」


 「文字通り、ハチの群れが2つに分かれることよ。
 春になるとあたらしい女王バチが生まれる。
 すると母親の女王バチは働きバチの半数を連れて巣を飛び出す。
 人間の世界では。家出するのはたいてい娘。
 ところがハチの世界は、母親が家来を連れて家を出るんだ」


 「分蜂は子孫を残すための合理的な法則、というところか・・・」
 
 「分蜂は年に3回程度。おおい年は4回、5回になることもある。
 桜が咲くころ、最初の分蜂がおこるの。
 九州の場合、今日のように暖かくて穏やかな日に分蜂がはじまることもある」


 「なるほど。今日は分蜂記念日か」
 
 「そうよ。分かったら手を動かしてちょうだい。
 猫の手を借りたいほど忙しくなるからね」


 「チェっ。人をまるで働きバチ扱いだな。まったく」


 「あら。残念でした。
 日本ミツバチの群れのほとんどが働きバチ。でも働きバチはすべてメス。
 巣作りから花の蜜集め、ハチミツの製造までのすべてメスがおこなう。
 オスのハチも生まれるけど、ぜんたいの5%くらい。
 オスは刺すための針も持っていないし、やることといえば女王バチと交尾するだけ。
 楽な生き方でしょ。
 寅ちゃんのようにせっせと額に汗して働かないもの。うふ」


 (30)へつづく



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