上州の「寅」(29)
「今日は天気もいいし、出来上がった巣箱の設置に行こう」
朝食を終えたあと、チャコが表の様子を見てつぶやいた。
今日は朝から天気が良い。
温かそうな日差しが軒下へ差し込んでいる。
「天気がいいとハチも行動的になるのか?」
「分蜂の時期にはまだ早い。でも早めに仕掛けておいた方が自然になじむ。
古ければ古いほど日本ミツバチは安心するからね」
「建ったばかりの家より中古の方がいいのか。日本ミツバチは」
「用心深いの。野生の虫は」
表に並べて置いた巣箱は、雨とホコリのせいで古ぼている。
寅が九州へ着いてはや二週間。
毎日つくりつづけた結果、巣箱は20個ちかくになっている。
「巣箱の天井へ蜜蝋(みつろう)を塗るよ」
「蜜蝋?。なんだ、それ」
「蜜蝋はその名のとおり、ハチがつくりだすロウ。
巣をつくるときの材料。それが蜜蝋。
中世のヨーロッパではロウソクをつくるため、養蜂していた教会もある」
巣箱の蓋をはずす。
裏返した部分へ、チャコがドライヤーを当てる。
「熱風で温めるの。60℃くらいで蜜蝋がちょうどよく溶ける」
ドライヤーで温めるのか・・・女子らしい発想だ。
寅が感心して眺めていると、チャコの怒声が飛んできた。
「こら!寅。ぼんやり眺めているんじゃないよ。
あんたもドライヤーをもって、さっさと巣箱を温めて!。
蜜蝋を塗った巣箱をさっさと仕掛けに行かないと、気の早いハチたちの
分蜂が始まっているかもしれないからね」
「分蜂?。なんだ、それ?」
「文字通り、ハチの群れが2つに分かれることよ。
春になるとあたらしい女王バチが生まれる。
すると母親の女王バチは働きバチの半数を連れて巣を飛び出す。
人間の世界では。家出するのはたいてい娘。
ところがハチの世界は、母親が家来を連れて家を出るんだ」
「分蜂は子孫を残すための合理的な法則、というところか・・・」
「分蜂は年に3回程度。おおい年は4回、5回になることもある。
桜が咲くころ、最初の分蜂がおこるの。
九州の場合、今日のように暖かくて穏やかな日に分蜂がはじまることもある」
「なるほど。今日は分蜂記念日か」
「そうよ。分かったら手を動かしてちょうだい。
猫の手を借りたいほど忙しくなるからね」
「チェっ。人をまるで働きバチ扱いだな。まったく」
「あら。残念でした。
日本ミツバチの群れのほとんどが働きバチ。でも働きバチはすべてメス。
巣作りから花の蜜集め、ハチミツの製造までのすべてメスがおこなう。
オスのハチも生まれるけど、ぜんたいの5%くらい。
オスは刺すための針も持っていないし、やることといえば女王バチと交尾するだけ。
楽な生き方でしょ。
寅ちゃんのようにせっせと額に汗して働かないもの。うふ」
(30)へつづく
巣作りから花の蜜集め、ハチミツの製造までのすべてメスがおこなう。
オスのハチも生まれるけど、ぜんたいの5%くらい。
オスは刺すための針も持っていないし、やることといえば女王バチと交尾するだけ。
楽な生き方でしょ。
寅ちゃんのようにせっせと額に汗して働かないもの。うふ」
(30)へつづく
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