誰かを完全に支配することも、誰かに完全に従属することもできないと考えている。
一時的な支配従属関係はあるかもしれないけれど、永遠に続くわけではない。
立場が逆転することなどよくある。
人は学び成長するので。
教員免許は持っているけれど、あまり積極的に教員になる気もない。
生徒に自分以上の成長を与えるのが本来的には教師であると考えている。
同様に上司と部下という関係も、部下が自分を超えるようでないと本質的ではない。
親子も子はいずれ親を超えるもので。
それは男女間の恋愛でも結婚関係でも成り立つと考えている。
完全な優位も完全な劣勢もない。
そのような前提に立つと、いじめなどは本当に怖いことですよ。
散々痛めつけた人間が自分より優位な立場に立ったとき、どのようになるかを想像すればね。
そのような雑多な人間関係をすべて振り払って、完全に独立することもなかなか難しい。
よくある「無人島に何を持っていくか?」という質問で、結局人は組織立って動く文明を持っているから生きられるのであって、単独個人で自然環境に放り出されたら、こんなに弱い生き物はいない。
文明によって与えられた知識で、魚をとったり、火を起こしたり、木を伐採して船を作ったり、することもできるだろう。
知らなければそれまででもある。
地球上ならまだいいけれど、宇宙空間に放り出されたら、救助を呼ぶこともできない。
したがって、ガチガチに科学技術で装備を固めるし、通信もシミュレーションもやれることはすべて行う。
仙人になりたければ宇宙空間に飛び出せばいいけれど、人間関係もなければ人が生きられる環境もないので、あっという間に生命もなくなる。
人には依存関係は必要なのだけど、自分の人生を完全に他人に預けるわけにもいかない。
他人の人生すべてに責任を持って対応できるほど、人は暇ではないし忙しい。
まずは自分が自分で生きることが重要。
これは親子であっても変わりないのだけど、生死に関わるレベルで一生依存し続けるということもあるのだとは思う。
そう考えると、国が個人の生活すべてを面倒見てくれるとか、会社がすべて面倒見てくれるとかも、幻想に過ぎないのだろうなぁ。
それらしい対応もするけれど、それさえも依存関係が前提であって、国としても、会社組織としても、地方文化においても、家族としても、誰かが問題や課題を解決しなければ、共倒れになってしまう。
お互いの微力ながらの協力関係で地道に課題を解決していくことが重要だと思う。
完全な独立が難しい前提で、共存関係が存在する。
その共存関係を調整するのが、政治経済と考えることもできる。
好んでリーダーシップを取りたい人がいることも知ってはいますけれど。
大抵の人は、「誰かが厄介事を解決してくれる」ことを望んでいるのであって、自ら率先してその厄介事を解決したいとは思っていない。
あまり考えずに、適当にいい加減でいい感じで遊んでいたいのですよ。それを自由というのかは微妙な感じですけれど。
それは共同体としては負のエネルギーで、犯罪の原点でもあり、真面目に問題や課題をなんとかしようと頑張る人にとってやる気をなくさせる行動でもある。
そんなことを踏まえると、個人的にはリーダーなんてやりたくない。
基本エンジニアで、現実的な問題課題をなんとか解決することに喜びを見出す人間ではある。
他人の面倒は見てしまうのですよ。
けれども個人的力量を超える他人の問題まで解決することはできない。
それ以前に自分の生活がままなっていないので、なんとかしないとならない。
自分のやりたいことがあって、その目標達成のためにかじ取りをすることをリーダーというのであれば、やるときにはやるけれど。
悩んではいますよね。自分の立ち位置。
それでもとにかくやってみないとわからないし、やれるだけやらないと後悔するのは自分なので。
やれることをやりますかね。