ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

床屋

2020-09-20 11:46:40 | Culture
散髪しに行こうと思いました。

床屋さんに行こうと。

なぜ「床屋」なのか?

疑問に思ったら調べます。


ざっくり言えば、「髪結床」から「床」だけ残って、「床屋」になったとのこと。

放送禁止用語だとは知らなかった。

売春のイメージがあるということか?

理髪店前の赤青白は血管(動脈静脈)と包帯の色とは教わったなあ。

医療も行う、なんでも屋でもあったということ。

いろんな欲求を持った人がいて、様々な目的でいわゆる「床屋」をしたことも想定できる。

言葉の意味から床だけを抜取れば、風俗的な意味合いもあるのだろうけれど、だからといって病院や役場や政治や会社が、全く風俗と関係ないかといえばそうでもない。

風俗よりもドロドロの人の欲が渦巻くこともある。


私個人としては、高校時代昼も眠くて仕方なく、サクッと寝られる布団がある場所なんかないかなぁとは思っていた。

今ならお金を出せば休憩できるところがあるとは知っているけれど、大体の用途はただ寝るだけのための休憩ではない。

そんな用途では通常使わない。

全く下世話な話だ。

おちおち寝られもしないのかい。


そういう意味では、純粋なお休みができる床は欲しい。

その設備があっても、どう使うかは人次第なのだけれど。


今だとスーパー銭湯がイメージに近いかな。

絵をうまく描く方法

2020-09-20 09:27:47 | Design
絵を上手に描く方法のアドバイスとして、

「迷いなく線を描く」

というのがあった。

丸とか四角だけの単純な図形だけを使って一発で描く。

複数の線でワチャワチャ描くと下手に見える。


おめ、その迷いない線を描くのにどんだけ練習すんのか知ってっか?

墨汁と筆使って満足行く「一」なんか未だに書けないぞ?
鉛筆でもボールペンでも。

藤子・F・不二雄のドラえもんや、やなせたかしのアンパンマンなどはめちゃくちゃ簡単な図形の組み合わせだけれど、あれを迷いなく一発で上手に描くのはめちゃくちゃ大変だぞ?

初期のドラえもんは全くドラえもんとは言えないぐらいの偽物かと思うデザインだけど、長く連載して洗練されていく。


いやまあね。
「簡単に絵が上手になる方法を教えて下さい」
という質問に対する皮肉たっぷりの回答としては正解ではある。

暇になったら 結局やらない

2020-09-20 08:28:45 | Office
定年退職したらあれやらこれやらやりたい。

よくよく考えると、できません。


普段忙しく働いていると、エネルギーを使い果たして、家に帰ってバタンキュー。

せいぜい家事仕事などをやって、日々の暮らしを継続する最低限をこなすぐらい。

休日を待ち遠しく思い、毎週末や長期(と言っても一週間程度)の休みに一気に片付けようと思う。


実際に休みが来たら、疲れ切って一日は何もしたくない。

多少後回しにしていた、日常でできない雑務や、時間があるときでないと取り組めないことや、やれないことをやることはできる。

風呂や部屋の掃除や片付け。買い物や日曜大工や、余裕があれば旅行なども。


65才定年で、今と同じ体力と精神力は維持できず、どちらかといえば低下していく能力をどうやって保持し続けるかのほうが重要になる。

結局、定年になったらやりたいと思っていることはできない。

現役世代の段階から、定年後と言わず、一生続ける、自分が本当にやりたいことにどれだけ時間と労力をかけることができるか?に道筋をつけなければやりたいことなどできない。


他人の目的と命令に従って、従順な労働力となって、会社の収益に貢献する毎日を過ごしていたら、自分の目的を自ら設定して、自ら主体的に自分のために生きることなどできなくなる。

価値観が全く異なる生き方なので、一気に転換するのは難しい。

少しでもやろうとしてみたり、やってみれば、従順なサラリーマンからいわゆる脱サラすることはとてもハードルが高いことがわかる。

クレジットカードなんか持てませんよ?
毎月の定期収入が見込めないのだから。
他のローンや賃貸契約などでも、サラリーマンとして得られていた多くの与信は得られなくなる。

よっぽど事業が軌道に乗れば可能ですけれど、そのためにはしっかりと努力しなければ不可能で。

もとからサラリーマンや公務員など以外の、定期収入のない生き方をしている人にとっては何でもないことだけど。


組織の歯車となって安定した給与で生きるか?
それさえも社会経済環境の変化で突然終焉を迎えることになる。

根本的な生活の軸足を自営に据えて、自らの目的で生きるか?
そのぶん得られる経済的優位は組織内に比べたらなくなる。
しかし、産業革命以前から存在する一次産業などは、決して優雅ではないけれど、最低限ながら自ら主体的に生きられる。


何をもって自分の人生か、自由とするかは、人それぞれだとは思う。

休日を迎えて、この休日が永遠に続けばいいなぁとも思うけれど、実際に休日が続きまくってもそんなに自分のための主体的な行動ができるわけでもない。

仕事しないで遊び回ると、仮面鬱などのレッテルも待ち受けている。


生き方そのものを自分の生きたい方向に向けなければ、その夢は実現できない。

嘘をつき続けて物事は成し得ない。
特に自分に対して。


現状の不満を諦めて受け入れるか、現状を変えるために自ら変化を起こすかは自分次第なのだけれどね。

だらだらモソモソと休日にいろいろなことを考えて、自分の思考と方針を整理しないと動き出すこともままならないわけですよ。