ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

自己否定と自己肯定

2020-12-14 05:37:30 | Human
自分がそうでないとは言えないけれど、自己肯定しない、本質的に自己否定の人といると、自己否定せざるを得ない。

私の母親は、これはもう本当にどうしようもないレベルで頭が悪く、宗教にどっぷり浸からない限り自分を維持できないのだけど。

そんな人間と結婚してしまった父親は、がっつりアルコール依存せざるをえなくなり、50歳になる前に孤独に死んだ。

10歳そこそこで母親の元を離れ、アルコール依存の父親と暮らすことにしたのだけど、それでも学業成績はぐんぐん上がった。

16歳で父親からも離れ、福祉家庭で過ごすようになると、さらに学業と趣味に没頭するようになる。

父親が死んで母親と再会し、とたんに鬱になる。


これまでの経歴でわかることは、自分を肯定できない人と一緒にいると、身内も肯定できず、同様に自分を肯定できずに、どんなに実力があっても頭打ちになってしまう。

不幸が連続してしまう。

そこから抜け出すためには、もうそれはとてもかわいそうな人なのだけど、面倒をみると同様に自分もそのレベルに落ちていってしまうので、しっかりと離れて、それはそういう人なのだと認識するしかない。

すべての人を否定するのではなく肯定するために必要なプロセスで、お互いを尊重するために放っておくという選択をするだけのことなのだけど。


残念なことなのだけど、どのような集団にも自己肯定できず自己否定せざる得ない人がいて、それと同様に他人も尊重できずに他人を否定し続ける人がいる。

そのような人が上司になりやすいのですよ。

中間管理職になって、出世するためには、上司に媚びる必要があるわけです。

理不尽な言動を否定せずに迎合し続けて、自己肯定ができるわけもないので。


だからもうね、出世とか全く関係なく、自分の技術と向き合って、ひたすら芸と技術を磨こうと。

そのための環境を作ろうと。


たぶんに漏れずネットもSNSにも、自己肯定できずに他人を否定し続ける人は大勢いるので、もうそれは仕方ないと放っておいて距離は取る。

報道やニュースにもいるのでね。人を否定し人を肯定できない人は。

自分を肯定して他人も肯定する。

そのために人を肯定できない人と離れる。

否定しているのではなく、そのような人はいると認めた上で、多様性を守るために離れる。

それによる不幸は散々見てきたので。

殺し合いレベルになるぐらいだったら、離れるべきだと思いますよ。本当に。
コメント
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