わかっているんですけどね。
無理してしまいます。
無理させている原因も、その目的もわかってはいるのですが。
今日は全身痛で夕方まで休み。
夕方からクリーニングに出していた冬用ジャケットを取りに行って、行動開始。
毎週のアイロンもかけて、明日は事務仕事ですわ。
昨日は昔お世話になった職場の人に会いに行きました。
「大変だよ」
とは言っていましたが、私より長く同じ仕事をしているのですごいと思っています。
続けることは大変で、変えることのほうが簡単なんですよ。
続けてわかることはたくさんありますけれど。
新しいことを始めるには、初期投資とか慣れるとか、そういった苦労はあるんですけどね。
投資分を回収することも重要で、だから初期投資そのものはものすごくケチったほうがいいと思ってます。
高価なものはあとから揃えればいいんです。
なんで高価なのかさえわからないのだから。
だから、
「初期投資をしっかりして、あとは安泰」
とか、なにか始めるために格好から入るというのは違ってて。
投資したからといって、それを自分は続けられないと十分わかっているので。
最初はとにかくタダでものは揃えて、それらを十分に使い切ることができたら次にグレードアップする。
一番タダなのは、その自分の努力で。
そしてその努力した経験という価値は、いろんなことに応用が効く財産だと思ってます。
続けることが大変というのは、自分も他人も環境も変わる中で同じことを続けるのは、常にやり方を変えていく必要があるわけで。
そういう意味では、常に変え続けているということなんです。
やり方を変えながら、同じものや事を継続する。
歴史建造物や過去の遺物の保存なんて、めちゃくちゃ大変なことだと思ってます。
作られた当時と、文化も環境も違うものを継続する。
それらを保存するための知識や技能を後世に伝える。
とんでもなく戦略的に物事を仕込んでいかなくてはならない。
過去の状況を分析する必要もある。
それらの物事を踏まえると、長く続けるというのは大変だと思います。
逆にパッとした思いつきが長く続いて文化となってしまうという経験もあって。
私の作るものはだいたいそんな感じ。
あとからどうやって作ったかわからないので、デファクトスタンダードとして使い続ける。
私はもっと違うやり方や、もっといい方法やいいものを考えていたりするのだけど、作ったものはすでに他人の所有物となってしまっていて、手を出せないんだ。
他でもっといいものを作るしかないのよね。
そんなこともあって、長く続けることができないという事情もあるかもしれない。
文化や組織を継続するって大変でね。
人にはいろんな欲があるので。
私は即物的なものや金よりも、経験という価値のほうが高いと考えている。
そのためにも身体は健康に保たなくてはならないけれど、そのバランスが難しくてねぇ。