ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

かかってないから幸せ?

2021-01-23 21:54:30 | Health
ありがたいことに、私の知り合いで新型コロナウイルスにかかったという人は出ていない。
 
とりあえず今の仕事先でも出てはいない。
 
これがどんなものなのかよくわからないので、計算してみようかなと。
 
千葉県人口:627.8万人
累計感染者数:19918人
19918÷6278000=0.003172666
 
自分の身の回りでは、0.3%程度ですか。
1000人に3人ぐらいなので、なかなか出会える実感はないですね。
 
 
お隣の東京都を同じように計算してみる。
 
東京都民人口:927.3万人
累計感染者数:92904人
92904÷9273000=0.010018764
 
おお、1%少し超えとるやんけ。
100人に一人ですよ。
 
 
生まれ故郷の群馬県はと。
 
群馬県人口:193.8万人
累計感染者数:3581人
3581÷1938000=0.001847781
 
千葉県より少ない1000人に2人以下。
 
 
最後にとにかく感染者が出なかった地域も計算してみようか。
 
岩手県人口:122.9万人
累計感染者数:487人
487÷1229000=0.000396257
 
10000人に4人以下ですか。
これは少ないなぁ。
 
基にしたデータが違うので数が違うけれど、全国のデータをまとめると以下の通り。「千人率」という言葉はあまりよくないので、使いませんよ。
 
ちなみに、Wikipediaの最新推計人口の多い順番から、東洋経済オンラインのcsvデータの"Tested positive"で割って1000をかけた値を用いています。
 
 
結局のところ、これからわかるのは、東京で100人と15分マスクせずに会話したら、相当感染確率が上がるということか。
 
こんなん満員電車に乗って毎日出勤したら、相当ヤバいですわ。
 
 
じゃあ、田舎が安全かといえばそうでもなくて。
 
周りに感染者がいないぶん、文字通りの村八分も起こりうるわけで。
 
かかったやつが悪い。かかった人を助けない差別とかね。
 
これも必ず起こるわけでもないけれど。
 
 
個人的認識では、毎年起こる風邪と同じ感染力を持っているのに、ものすごく重症化するのがCOVID-19なので、何一つ安心はしていません。
 
数字で見る限り、今私がいる環境が特殊なのでも、幸せでもなんでもなく、当然といえば当然の成り行きでもあると言えるわけで。
 
いつだって1000分の3の感染者になって、社会的にハブられる可能性はあるわけですよ。
 
仕事だってどうなることやら。
 
小さな飲食店やスポーツクラブやスーパー銭湯の経済的ピンチを他人事だと思っていれば、そりゃ足元をすくわれます。
 
 
この間税務署に行って開業のタイミングについて相談したのだけど、
 
「3月は確定申告で忙しいから、あんまり手続きしないほうがいいかと思って」
 
「書類は送ってもらえれば。
確定申告も今年は4月以降に伸びる予定なので、いつまでやるかはわからないですね。
それよりも、税務署で感染者が出たら閉庁になってしまうので、そうなったらどんな手続きもできません。
ホームページで確認できるので、調べてから来たほうがいいですが、一番いいのは来ないで送ることです」
 
 
そりゃそうですね。
 
必要な手続きができなくなってしまったら、困るのは自分自身でもあるのだし。
 
毎日飲まなければいけない薬とか、行きつけのスーパーとか、通勤している会社も、通学している学校も、そこで集団感染やらパンデミックが起こったら使えなくなるわけですよ。
 
ライフラインが絶たれる原因は自分でありたくない。
 
 
改めて、手洗いうがいマスクをしっかりしようとは思いますよね。
 
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破壊衝動

2021-01-23 00:30:42 | Health
昨日は疲れすぎて休んだのですよ。

一日まるっと。

破壊衝動が激しくて。

もうどうなってもいいや。

全部放り投げて、なんとでもなってしまえ。

あとのことなんて知るか!

という気持ちが大きかったのだけど、一日本当に何もしないで過ごしたら、そうでもなくなった。

休むって重要。

逆にこれを我慢するのは、心身に悪い影響があるよなぁ。
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限界かなぁ

2021-01-21 23:17:34 | 日記
あんまり先のことは考えないとして。

現状はかなり耐えきれない状態にある。

辞めたい感がひどい。
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放送法の穴

2021-01-20 22:07:29 | Culture
受信料徴収員も基本的に説明しない放送法の穴がある。

以下放送法より。

(受信契約及び受信料)
第六十四条 協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。ただし、放送の受信を目的としない受信設備又はラジオ放送(音声その他の音響を送る放送であつて、テレビジョン放送及び多重放送に該当しないものをいう。第百二十六条第一項において同じ。)若しくは多重放送に限り受信することのできる受信設備のみを設置した者については、この限りでない。


「放送の受信を目的としない受信設備」は「受信についての契約をしなければならない」「限りではない。」

つまり、チューナーを内蔵していたとしても、そのテレビの使用目的が、ゲームしか繋がないとか、PCディスプレイとしてしか使わないとか、YouTubeを見るためだけにしか使わないという目的であれば、受信契約する必要はない。

受信料徴収員は、チューナーが付いていれば受信料を払う必要があると説明するけれど、法律にはそんなことは書いていないのですよ。

今度受信料徴収員が来たらこの点を突っ込んでやろうとは思うけれど、勝手に人工衛星を打ち上げた割に、それをペイできるほどにその電波を活かしきれていないことに対して経営責任を追求してから、全く連絡も来なくなってしまった。

それ以前に、新型コロナウイルスによる徴収制限なども加わったり、徴収員の出来高制などを導入してしまったためにモラルハザードが起きたりと、しっちゃかめっちゃかな現場と化しているので、もうどうにもならないようで。

システムや組織の終焉なんてそんなものですね。
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ルール

2021-01-20 21:37:38 | Culture
何も考えない人が、何も考えないでルールを作ると、失敗する。

ハリーポッターで、やたらルールを作って制限する先生が出てきますが。

破綻するんですよ。

矛盾するルールを深く考えないで設定してしまう。

ルールがルールを縛って、そのルールをくぐり抜けるために新たなルールが必要になる。

めでたく、どんどん矛盾するルールが出来上がり、結局のところそのルールは意味のないものになる。


そもそもなぜルールが必要かを理解してないんですよ。

人の行動を制限するため?

なぜ制限する必要があるのか?

それを制限してどのようなメリットデメリットがあるのか?

そもそもそのルールは既存のルールに反しないか?


法律は意外とよくできていて、それぞれの法律が矛盾しないようになっている。

すべて論理的に正しければ答えは明確になるし、制限されているようで実は制限されていないこともわかる。

法律を守ることが、最終的に自分を守り、自分のやりたいことを成功に導く。


そういうものだから、感染症を封じ込めるために行動を制限するよう短絡的に法律なんか決めてしまうと、感染症が収まった後になんだかよくわからない制限ができてしまい、そもそもなんでそんなルールができたのかわからなくなってしまう。

下手に外出を制限する法律ができてしまって、有事の際に家を出てはいけない法律ができてしまったとする。

外に出られなくなるルールを自ら望んで作ったのに、家の中にいつづけるほうが危険な場合、なんで出られないんだと腹を立てたりするのも民衆だったりする。

家の中でじっとしているのは、案外きついものですよ?

毎日外に出て仕事とかしていると、ゆっくり家の中で過ごしたほうがいいような気がしてくるけれど、外に出ないと不安になって悪い考えがぐるぐる回ってどんどん落ち込んだりするもんです。

なんでこんなに苦しまなくてはならないんだ?

あなたが望んで作ってもらったルールなのにも関わらず。


あらゆる人の精神状態や経済観念、肉体や病気の変化、社会構造の変化、環境の変化や科学技術の進化など、すべて想定してそれらが変化したとしてもルールが矛盾しないように作る必要がある。


そういった意味では、法律の中でも、すでに放送法は意味を成さなくなっていると考えられますけれど。

放送は多くの人の意識や思想を変える力があるから、法律でその力を制限しつつ発展させる必要があった。

すでに新聞やチラシや雑誌などがその役目を果たさなくなりつつあるように、テレビやラジオもインターネットに変わりつつある。

ネットでテレビが見られるからNHKの受信料が請求できるとか、そもそも目的と手段を勘違いしている。

放送するための発信インフラや受信システム、放送コンテンツを作るために受信料を払うならわかる。

しかしインターネットは、テレビの放送システムから全く離れたところで作られ、発展したもの。

別にNHKが主導して作り出したシステムでもなんでもないのだから、そこに受信料を課す意味がない。

NHKが既得権益を維持したいために、放送法を拡大しようとしている悪あがきに見える。

そこに表現の自由や放送コンテンツの自由が存在するのかは、甚だ疑わしい。

衛星放送のために莫大な費用をかけて人工衛星を打ち上げることに同意した覚えはないのですよ。

それこそネットワークでなんとかなってしまう時代なのだから。

衛星放送受信料など払う必要がそもそもない。

仮にオリンピックが開催されたとして、家で高画質のテレビの前でかじりついて見るより、YouTubeで実際の競技を見ながら、実況付きで、好きなアングルで、好きなように見たほうがよっぽど面白い。


それでもYouTubeだけに独占的なネット放送をされては困るから、ニコニコ動画などその他の動画サービスが存在することは必要不可欠だと思う。

ではそこにNHKが入って、配信の公正さを維持できるかは甚だ疑わしい。

そもそもインターネットが普及しだした際、NHKはインターネットを全く活用しなかった。

テレビメディアが意味をなさなくなることに脅威を感じていたのだろうけれど。

そんな組織がインターネットで見れるから受信料を請求できるなんて主張できると思うのは、勘違いも甚だしい。


冒頭に戻れば、何も考えない人が、何も考えずにルールを作ると失敗するのですよ。

自分で自分の首を絞めるぐらいには、しっぺ返しを食らう。


そんなことは山ほどありますけれどね。
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