やることはあるのだけど、やる気がありません。
別に鬱というほどでもなく、それはそれでやるわけですが、スタートしない。
いわゆる乗り気ではない。
それでもやらなければ後悔するので、手につく作業から始めて、徐々に始めます。
昨日はスマホゲームを始めてしまい、ハマりました。
商業的な時間と費用を浪費してしまった感が強い。
ゲームの短期的努力に対する報酬の中毒性には非常に興味があります。
擬似的達成感へ、労力やお金を注ぎ込んでしまうわけです。
人の脳は、努力と達成感で快感を得るようになっているわけです。
生得的に備わっている機能だと言えます。
一日のスタートアップに活用するにはいいですが、一日を擬似的達成感で潰すのはもったいないと思うようになってしまいました。
現実課題の達成感に割り振りたいところ。
パチンコも少しだけやってみたことがありますが、ほんの少しの工夫と努力で当たったり外れたりするあたりが中毒性に繋がるのだと思っています。
釘のどこに当たるようにするか?些細な努力です。
当たった際の演出の派手さとかも、中毒性に影響していると思います。
ギャンブルや宝くじの中毒性はそこにあると思っています。
日本女性の平均寿命が長いのは、家事仕事という生涯の仕事があるためとの仮説を持っています。
日々の仕事と付随する達成感が存在するから、長生きできる。
会社にしか仕事がない一般男性とは違う。
そんなわけで、男の私の寿命を短くする、男女の仕事差別には反対です。
性別関係なく身の回りの世話仕事ができることに、生きる意味が生まれてくるのです。
やる仕事があるから、生きている。
仕事がなくなれば、生きていられない。
ゲームがもたらす脳の快楽物質の生成が、人が働くことの意味を物語っています。
金のために働いているのではないんですよ。
生きるために働いているんです。
だから、働き詰めで死ぬのも、目的と手段が逆転して意味がありません。
日本以外の人はどうなのか?
日本の教育システムが、その努力と達成感に対する脳内麻薬作用の育成を行っているのか?
興味があります。
疲れて何もやりたくないときもありますよ。
それはそれで仕方ありません。