ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

やる気がないからゲームをするのが、一概に怠惰とは言えない件

2023-01-08 09:51:40 | Human
やることはあるのだけど、やる気がありません。

別に鬱というほどでもなく、それはそれでやるわけですが、スタートしない。

いわゆる乗り気ではない。

それでもやらなければ後悔するので、手につく作業から始めて、徐々に始めます。


昨日はスマホゲームを始めてしまい、ハマりました。

商業的な時間と費用を浪費してしまった感が強い。

ゲームの短期的努力に対する報酬の中毒性には非常に興味があります。

擬似的達成感へ、労力やお金を注ぎ込んでしまうわけです。

人の脳は、努力と達成感で快感を得るようになっているわけです。

生得的に備わっている機能だと言えます。

一日のスタートアップに活用するにはいいですが、一日を擬似的達成感で潰すのはもったいないと思うようになってしまいました。

現実課題の達成感に割り振りたいところ。


パチンコも少しだけやってみたことがありますが、ほんの少しの工夫と努力で当たったり外れたりするあたりが中毒性に繋がるのだと思っています。

釘のどこに当たるようにするか?些細な努力です。

当たった際の演出の派手さとかも、中毒性に影響していると思います。

ギャンブルや宝くじの中毒性はそこにあると思っています。


日本女性の平均寿命が長いのは、家事仕事という生涯の仕事があるためとの仮説を持っています。

日々の仕事と付随する達成感が存在するから、長生きできる。

会社にしか仕事がない一般男性とは違う。

そんなわけで、男の私の寿命を短くする、男女の仕事差別には反対です。

性別関係なく身の回りの世話仕事ができることに、生きる意味が生まれてくるのです。

やる仕事があるから、生きている。

仕事がなくなれば、生きていられない。

ゲームがもたらす脳の快楽物質の生成が、人が働くことの意味を物語っています。

金のために働いているのではないんですよ。
生きるために働いているんです。
だから、働き詰めで死ぬのも、目的と手段が逆転して意味がありません。

日本以外の人はどうなのか?
日本の教育システムが、その努力と達成感に対する脳内麻薬作用の育成を行っているのか?
興味があります。


疲れて何もやりたくないときもありますよ。
それはそれで仕方ありません。

汚染する昇進

2023-01-07 21:13:56 | Office
大学卒業後入った会社を一年半で辞めたのですが、そのときに人事から、
「社長になってほしかった」
と言われました。

社員7000人近い会社で、続けていれば人生変わったかもしれないですが。

人事の真意はわからないですが、それでもやっぱり無理だと思います。

入って一年で数十年働いている諸先輩の業務量も質も超えてしまっていたのだから。

7000人の社員の失敗の責任を取るのはやっていられないですよ。


労働組合に団体交渉というものがあって、それ以外にも会社とやり取りすることがあるわけですが、明らかに間違っていることを、あの手この手で誤魔化したり、なかったことにしようとしたり、威嚇してきたり、様々な対応をしてきます。

そんなことしないで抜本的な対策をすればいいのに、と思います。

なぜできないのか?

会社には優秀な社員ばかりがいるわけではありません。

仕事のいろはが分かっていない半人前の社員が沢山います。
そういった人に仕事を割り振って、なんとか全体で一人前の仕事をできるような組織化を行うのです。

上司に求められる資質は、
「人の失敗をどのように誤魔化して責任を逃れるか?」
になっていきます。

そういった人が管理者として昇進していきますが、当然組織は、不正隠蔽が常態化していき、やがてとんでもない不正が育ってしまい、明るみに出て、自壊滅亡します。


現実の課題や問題に果敢に立ち向かうとかしないんですよ。

問題を解決するのではなく、放置して内包してしまう。
問題がなかったことにして、隠し続けてしまう。


労働問題で組織の不正が明るみになると、組織改善ではなく、その問題をなかったコトにするんです。

もうその時点で、その組織がそのような責任者を育成してしまったことがわかります。

交渉代表者がソレであれば、その組織はそもそも不正が常態化していて、問題が無かったことにするためのマニュアルなどが整備されてしまっているんです。

世間一般常識やまともな思考ができていればそんなことしないはずなんですが、世の中の組織の殆どが、その状態という事実。

一つの会社だけに留まろうとする、定年雇用制度の弊害だと考えています。

もっと違う組織、社会で生活しないとだめですよ。特に責任者になるような人は。

まぁそんなことは封建制度の社会体制でも、あったといえばあったのですけれどね。

そういった人が政治家になりやすかったりもします。

それで冒頭の若い自分は、そんなことをやれる自信がなかった。

問題を発見して、とにかく解決していく日々だったので。

だから辞めるしかなかったんですよ。

世の中そんなに正しくない

2023-01-05 02:58:36 | Office
過去の職場の人間を思い起こせば、そんなに正しい判断をできる人間は多くないことがわかる。

基本的に人は間違える。

しかし会社では成果主義で正しい結果が欲しい。

結果、自分の間違いを認めず正当化する。
口先だけで問題を先送りする方法ばかり上手になっていき、根本的な原因を追求し、学んだり考える力がなくなっていく。

これは会社だけではなく、医療の場や日常生活などでも発生するわけですが。


ホワイトカラーの知的生産と呼ばれる分野でよくある風景でもある。

現場現物現実をしっかり見なさいよ。
自分の手を動かして、怪我や失敗をしながらモノを組み立てて初めてわかることのほうが多いのよ。
頭の中だけで全ての現象が論じられるなんて思わないこと。

馬鹿に肩書を与えてはだめですよ。

やりたいことをやる

2023-01-04 10:36:37 | 日記
今年50歳になります。

もう50歳であり、まだ50歳でもある。

年齢を理由に物事を諦めたくはないなぁ。

というわけで、今年の目標。

「チャレンジ」

やらない限り一生やらない。

機会は他人が与えてはくれない。

自分で切り拓かない限り、状況は変わらない。

しかし、ただがむしゃらに進んで物事を行うだけではなく、計画的に効率的にやりましょう。

いずれにしても、やらない言い訳をし続けても面白くないので、やる方法を考える。

やった上での苦労も自分持ちなんですよ。


しかし、昨日一冊本を読んだけれど、勉強する必要はひしひしと感じる。

経験を理論で裏打ちしていく。

なるほどなぁと腑に落ちる。

勉強しないとね。

怪異の存在

2023-01-03 06:08:22 | Economics
西尾維新の化物語シリーズが有名になってから、「怪異」という言葉がメジャーになったと思っている。

それまでは、物の怪、怪物、妖怪といった名称のほうがよく使われていたように思うのだけれど。

「もののけ姫」「怪物くん」「妖怪ウォッチ」など、特定の作品イメージに直結する言葉となってしまったため、他の表現の「怪異」が必要になったのかもしれない。


それら怪異は、人の想像する、人を超えた恐ろしい存在なのであって、吸血鬼も鬼も化け猫も地縛霊もそれにあたるのだけど、人がいないと存在できない。

人が想像した存在だから。

人がその存在を想像して伝承するから存在しうる。

人が絶滅したら存在し得ない。

いわば神の存在も同様であって。

人を超越した存在を想像することによって、理想の目標となる存在として定義される。

宗教内にあって、時に神の存在を偶像化や絵画などに表現することを禁じる場合がある。

なぜかを考えると、現実に実現しないから、各人の想像によって如何様にも具現化できる。

理想の想像を具現化したい試みは、達成されると同時に否定される。

他の表現者によって違う理想の神が表現されることによって、それが想像の存在であることを証明してしまう。


世に溢れる物語は、主にこれらの想像のファンタジーを肯定した、フィクション物語として構築される。

そうでなければ現実を元にしたノンフィクションであったり、将来を正確に予測シミュレートしたサイエンスフィクションであったりするわけだけれど、現実と違えば否定される。

現実記録も個人によって認識のバイアスがかかる。都合の悪いことは記録に残したくない。

未来も現実がその未来に到達すれば、違うことが証明される。

バック・トゥ・ザ・フューチャーも、ドラえもんも、2001年宇宙の旅も、現実社会が物語の設定時期に来れば、違うことが証明されてしまう。

それを娯楽表現としての物語ではなく、現実経済を元にした、現実社会経済中のビジネスにすると、経済的価値によって取引される、わかりやすい現実問題に変換される。

それを怪異とすることは、逆に行いにくい。