私は、結婚するまで保育園の保母をしていました。
職業柄、絵本を読む機会は多かったのですが、強烈に印象に残っている作家が
、「原田泰治」です。
彼の書いた絵本『とうちゃんのトンネル』を読んだのが、彼との出会いでした。
泣けました。
彼の町では、結婚式の朝、花嫁は我が家で採れた米で
炊いたご飯を食べて、送りだされるという風習があったのです。
ところが、水田を持たない武雄さん(泰治の父)は、
長女好子さんを嫁がせる朝、借りてきた米で、愛娘を嫁に送りだしたのです。
その年は日照り続きで、米が採れなかったのです。
そのことから、武雄さんは水田作りを決意しました。
一人で、横穴を掘って地下湧水を当てることにしたのです。
ある日泰治がカンテラを下げてトンネルに入って行くと、大石に突き当たって、
頭を抱えている父の姿が、ありました。
「泰治、人生とはこういうものだ。この石のような障害にぶつかる。しかし、絶対に
だめだということはない。冷静に考えてやれば、必ずやりとげられる。足が悪くても
くじけてはいかん。」
その言葉を聞いた泰治は、木琴を取りに行って引き返しました。
父が栗の木で作ってくれたものでした。そしてトンネルの中で、
子供心に「こぎつねコンコン」の童謡をひいて、父を慰めたのでした。
武雄さんは、大石の下を掘り進むことにしたのです。
長い期間、最後まで独力で堀削を続け、やがて水分を増した土の先に
水脈が触れたのでした。そして「武さの田んぼ」が生まれたのでした。
こんな話でした。彼の絵には、日本の原風景があります。
そして、日本の古き良き時代の家族があります。
武蔵野美術短大卒業後、数々の賞を取り、
1989年から2年にわたりアメリカの5都市で
「原田泰治の世界ー日本の四季を描く」を開催し大反響でした。
その中のロサンゼルスの会場で、
さだまさしが、目にしたものは、アメリカの人々が彼の絵を見て涙を流して
いた光景だったというのです。魂が魂に語りかけた姿であったといいます。
さだまさしと彼は親交があり、今はさだまさしも彼の住む諏訪に
暮らしていると聞きます。彼は小児マヒで足が不自由ではありますが、
生活を絵に描いています。機会があれば、是非見て下さい。
因みに彼の美術館が諏訪にあると聞きます。
一度行ってみたいです。
お福さん