西洋音楽に限らず、音楽の発生は宗教と切り離すことができない。
それは、音楽を習い始めた時から、いろいろな先生からそれを聞き、また理解を深めた。
わたしの親戚の女性で、師事した初代ピアノの先生は、横浜国大で学んだ学校の音楽の先生だった。
毎週レッスンに行くと、これまた同じ年の親戚の女の子と通っていたので、お互いのレッスンを待っている間は、勉強も兼ねて聖書を読んでいた。
とても綺麗な絵が入った聖書で、内容も読みやすかった。
さて、導入が長くなってしまったが、今回は東南アジアの楽器について話したい。
昨夜、バリ風のお店を予約していて、友達と会話していて、思い出した。
大学時代、民族音楽学という授業を受けて、楽しかった。
ヨーロッパとはまた異なった宗教を持ち、宗教が異なれば崇拝の方向性も異なるので、音色の傾向も違う。
綺羅びやかな音色を発する楽器も多く、ヨーロッパのそれとはまた異なった魅力を有する。
バリのケチャは、声が主役となった壮大な芸術だ。
声の狂気、神聖、トランス、が、交錯する。
ガムランの音はずっと聴いていられる。
宗教は持たねど、個のなかにある宗教
心を目覚めさせる。
以下、楽器にはこのような種類があるらしい。
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