小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

池上彰氏のコラムを一転、掲載した朝日新聞の真意はどこに…。社内の権力争いの表れか?

2014-09-04 06:28:02 | Weblog
「過ちがあったなら、訂正するのは当然。でも、遅きに失したのではないか。過ちがあれば、率直に認めること。でも、潔くないのではないか。過ちを訂正するなら、謝罪もするべきではないか」

 これが、8月29日の朝日新聞朝刊に掲載されるはずだった池上彰氏の連載コラム『新聞ななめ読み』の冒頭部分である。池上氏が指摘した「過ち」とは30年以上にわたって頬冠りしてきた「従軍慰安婦問題」についての誤報記事を、8月5,6の両日にわたって朝日新聞が誤報であったことを認めて当該記事を取り消すという異例の処置を行ったことに対する池上氏の論評であった。
 この池上氏の論評に対し、朝日新聞編集局は極めて不快感を持ったようで、前日に池上氏に「今回は掲載しない」との連絡があったという。池上氏はその場で今後の連載は中止すると申し入れたという。
 全文を読んで、池上氏も朝日新聞に掲載するコラムということもあって、相当に気を使った書き方をしているように、私には思える。が、それでも朝日新聞はこのコラムの掲載を拒否した。
「誤報報道」を巡ってメディア界に激震が走っただけでなく、政界でも高市前政調会長が菅官房長官に、戦後70年に当たる来年の終戦日には(河野談話を見直した)新談話を出すべきだと申し入れたように、安倍総理の「河野談話継承」路線に反旗を翻すなどの動きが表面化し始めた。
 はっきり言って、今回の朝日新聞の「誤報記事騒動」は、朝日新聞社内部の権力闘争の表れだと私は思っているし、朝日新聞のお客様オフィスもそうした背景があることを隠そうとしない。東京女子医大の医学部長の内部告発も、多くのメディアは単純に「正義感から出た行為」と善意に解釈しているが、これも理事会側との権力闘争で追い詰められた医学部長の最後の抵抗だったと考えるのが合理的であろう。

 それはともかく、朝日新聞はいったん掲載を拒否した池上氏のコラムを今日になって急きょ全文掲載し、朝日新聞自身と池上氏のコメントも添えた。朝日新聞のコメントはこうだった。はっきり言ってしらじらしいとしか言いようがない。
「今回のコラムは当初、朝日新聞社として掲載を見合わせましたが、その後の社内での検討や池上さんとのやり取りの結果、掲載することが適切だと判断しました。池上さんや読者の皆様にご迷惑をおかけしたことをお詫びします」
 このコメントについて「しらじらしい」と私が断じたのは、なぜコラムの掲載を拒否したのかの理由の説明がないこと、そしていったん掲載を拒否したコラムを掲載することに至った判断変更の理由の説明がやはりないこと。
 もともと池上氏のコラムに事実誤認があると朝日新聞が判断したのなら、原
稿の訂正を求め、池上氏が拒否した場合は朝日新聞の見解を同時に掲載すればよかったことである。それが「民主主義を育てるためにメディアが果たすべき責任」であろう。
 が、どうやら当初、朝日新聞が掲載を拒否したのは朝日新聞にとって都合が悪い内容だと編集局が勝手に判断したからだったようだ。池上氏のコラムが掲載される予定だった8月29日の前日(28日)に掲載されるはずだった、朝日新聞批判をメイン特集にした週刊文春と週刊新潮の広告の掲載を朝日新聞広告部は拒否していた。
 さらに28日にはライバル紙の読売新聞が朝日新聞の誤報問題についての検証記事を連載し始め、そうした読売新聞の動きをキャッチしたのかどうかは不明だが、同日には朝日新聞が追加の検証記事を掲載した。この検証記事の目的は、「朝日新聞の誤報が河野談話の根拠にされたという指摘があるので」事実関係を明らかにするということだった。そしてご丁寧にも得意げにこう書いた。
「談話作成にかかわった当時の政府関係者は朝日新聞の取材に対し、内閣外政審議室の職員が吉田氏に複数回にわたって接触したことを認めた上で『つじつまが合わない部分があったため、談話には採用しなかった』と明かした」
 読売新聞によれば、朝日新聞が吉田証言を肯定的に取り上げた記事は少なくとも16回はあるという。内閣外政審議室の職員は複数回の聞き取りで『つじつまが合わない』ことに気付いたが、朝日新聞の記者たちは入れ代り立ち代り、その数倍吉田氏に接触しながら、常に吉田発言を鵜呑みにしてきたことが、朝日新聞自身の検証記事によって明らかになった。そうやって朝日新聞記者の無能さまで明らかにさえして、朝日新聞の誤報が河野談話には影響していないとの検証をしたのがこの記事だった。
 言っておくが、朝日新聞と主張の対立軸にあるとみられている読売新聞や産経新聞は、朝日新聞の誤報と河野談話を関連付けた記事を書いたことは一度もないという。だいいち河野談話のどの部分をとってみても、吉田氏の「よ」の字すら出ていない。朝日新聞の検証記事の意図は明らかである。「誤報はしたが、誤報による影響はほとんどなかった」と言いたかったのだ。
 読売新聞や産経新聞が重要視してきたのは、朝日新聞の誤報によって韓国の反日感情が燃え上がり、また朝日新聞が吉田証言をオーソライズしたため国連人権委員会や米下院でも採決されるに至った国際的影響のほうである。朝日新聞が検証すべきは、河野談話との関係ではなく、国際社会に与えた影響のほうではなかったか。だから私は、この検証記事は問題のすり替えだと厳しく批判した。
 池上氏のコラムの全文は、おそらくネットでも読めると思うので、このブログでは冒頭部分を除いて転載はしない。池上氏としては、朝日新聞に掲載され
るコラムということもあって、批判のボルテージはかなり抑えたように私には感じられた。
 それにしても朝日新聞がいぜんとして河野談話を支持する立場を崩していないことが、ジャーナリズムの在り方として疑問が残る。河野談話の根拠(軍による強制)は、とっくに明らかになっている。当時の朝鮮半島における慰安婦は20万人と言われていたが(私もその数字をもとにブログを書いてきたが)、最近の調査によるとせいぜい2万人程度だったようだ。朝鮮半島は戦場にはなっておらず、せいぜい兵站基地として必要な兵力しか置く必要がなかったはずだというのである。きわめて論理的な指摘と言えよう。
 兵士の性欲処理のために必要な慰安婦が2万人程度なら、売春天国の朝鮮で公娼を集めることなど、「慰安婦狩り」をしなくても容易なはずだ。なかには悪質な業者や軍律違反を犯した兵士がいただろうことは、私も疑いを容れない。が、それが「軍の強制」によるとされるのであれば、沖縄での度重なる米兵のレイプ事件は、同じ論理で「米国防総省の強制」による、となぜ朝日新聞は断罪しない。
 池上氏のケースだけではない。これは朝日新聞だけの問題ではないが、新聞はすべて読者の投稿にかなりのスペースを割いているが、記事や社説に対する批判的な投稿は一切掲載しない。ヨイショの投稿か、「犬がどうした」「猫がどうした」といった糞の役にも立たない投稿ばかりが採用される。そういう編集方針で、果たして「民主主義を育てるための武器」になりうるのか。組織である以上、権力争いがあったほうがむしろ健全だとは思うが、社内の陰湿な争いにとどめるのではなく、読者の支持をめぐっての論理と論理のぶつかり合いであってほしいと願う。