昨日の祭日は快晴、温暖で湿度も30%台と、最高の××日和だった。読者も、それぞれ気持ちいい一日を過ごされたと思う。
2007年7月に読売新聞読者センターの責任者・佐伯氏へ送付した文書の続きを書く前に、NHKに苦情を一言。
民放は土日は除き、祭日は平日とまったく同じ編成で番組を放送する。民放はCM収益で経営を成り立たせているから、視聴者重視の編成を余儀なくされる。「余儀なくされる」と書いたのは、たとえば読売テレビの人気報道番組『ミヤネ屋』(関東では日本テレビが放送)は、祭日にもかかわらず宮根氏がいつも通りキャスターを務め、夕方のニュースも平日扱い、BS放送の定番番組も平日通りで、おそらくBSでは視聴率トップと思われるBSフジのプライムニュースも平日通りに反町・島田両氏がキャスターを務め、視聴率が高いせいだと思うが大物政治家が連日のごとく登場する(政治がテーマの場合)。昨日も公明・山口代表と共産・山下書記長が生出演した。島田氏はNHKのニュースウォッチ9の井上氏に引けを取らないくらいの美人だが、井上氏と違うのは単に原稿棒読みのアナウンサーではなく(もっともNHKはなぜか井上氏をキャスターとしている。キャスターとは自分自身の考えや疑問を呈しながら報道番組の司会進行を務めるのが仕事で、美人度によってアナウンサーになったりキャスターに格上げされたりするわけではないはずだが)、メイン・キャスターの反町氏が夏休みをとった時など一人で2時間にわたる報道番組を仕切り通した。11月にはお子さんを出産されるそうだが、その後フジに復活されるのかフリーになられるのか分からないが、現在活躍中の女性キャスターとしては人気・実力ともにナンバーワンといっても差し支えないだろう。美人度についての見方は別にして、井上氏に島田氏ほどの実力があるだろうか。もし、あったとしたら井上氏の実力を買い殺しにして、ただの「見世物」扱いにしているNHKに、女性問題を語る資格はない。
というわけで、午後8時以降はほぼプライムにくぎ付けになっているので、最近はNHKきっての美人「アナウンサー」(これはNHK以外の定義)と評判の高い井上氏のご尊顔を拝する機会が滅多にない。昨日もそういうわけでNHKのニュースウォッチ9は見ることができなかったが(正確に言えばプライムが終わったあとの数分間だけNHKにチャンネルを切り替えてプロ野球の結果は見たが)、おそらく祭日だったからニュースウォッチ9を見ていても井上氏のご尊顔を拝することはできなかっただろうと思う。
というのは、NHKは民放と違って、顔を視聴者に向けず、職員に向けている放送局だからだ。祭日は6時10分からの首都圏ネットワークもお休み、7時のニュースは放送したがメインアナウンサーの武田氏(なぜかNHKは原稿棒読みの武田氏もキャスターとして扱っている)は祭日ゆえ休暇。クローズアップ現代も祭日ゆえ中止(メインキャスターの国谷氏はNHKの職員ではないし、国谷氏以外のキャスターが司会進行を務めるケースもある)。祭日は視聴者が報道番組よりエンターテイメント番組を見たがっているというなら、もうプライムに勝てなくなっているニュースウォッチ9など放送を止めて、8時から2時間にわたるエンターテイメント番組を放送したらどうか。それどころか、いっそのこと政治的中立性が義務付けられていて、ズバリ政治の核心に迫るような報道番組を作ることができないのであれば、いま民放が全局、報道番組に力を入れていることもあり、報道番組についてのNHKは役割を終えたとのスタンスを明確にしたほうがいい。NHKは、予算を国会で承認されていると主張しているが、NHKの番組編成に政治家が口を挟めないため(NHKのエンターテイメント重視の姿勢を国会で批判した勇気ある議員もいたが)、視聴者無視、政治家も無視、ひたすら職員の顔色ばかりうかがう編成を続けるなら、民営化した場合、どれだけCM収入を得られるか世論調査会社に依頼して調べてみたらどうか。
昨日は日中、私も快晴のなかで快い汗を書いたので、少々疲れている。いつも目覚ましをかけているわけではないので、今日は少し朝寝坊して、ブログを書く時間が残り1時間を切ってしまった。今日でこのテーマを終える予定だったが、たぶん書き終えることができないと思うので、とりあえず時間が許す限り書いて、あとは「続」編とさせていただく。
実は朝日新聞が長期にわたって制度を中止していた「主筆」制度をこの時期(07年)に復活して船橋洋一氏を新主筆に抜擢した。その日、船橋氏は1面に社説スペースほどの就任「演説」を載せた。「演説」のタイトルは『ジャーナリズム再興』だった。この大演説が、その後の朝日新聞のスタンスを決定づけた。
(船橋氏はこの大演説で)「朝日新聞のジャーナリズム精神とは何か。私はそれを『権力監視』にあくまで食らいつく記者根性であると思っている」と。この姿勢が間違っていると私は言いたいのではないのです。ただこのように大上段振りかざして「権力監視」が記者の第一義的任務だと強調してしまうと「権力(その最強は言うまでもなく政府です)批判の姿勢」が常にジャーナリストの思考回路のもっとも重要な部分を占めてしまいます。私は3月の後半、安倍内閣が「公務員制度改革」を打ち出した時、朝日と読売の読者窓口に電話をして(読売は1面トップで報道しましたが、朝日はなぜかこの重要な政府方針をまったく無視しました)「政府がやろうとしていることに何でもかんでも批判することがマスコミのやるべきことではない。時には政府の政策を支持すべき時もある。今回の『公務員改革』だけは絶対に骨抜きにさせてはならない。とくに族議員や公務員の激しい抵抗がすでに始まっていると聞く。小泉さんがやろうとした道路公団改革が骨抜きにされてしまったのはなぜか。弱者切り捨てにつ
ながりかねないというマスコミの批判を後ろ盾にした族議員たちの抵抗が改革
を骨抜きにしてしまったのではなかったか。二度と同じ愚を犯してはならない。絶対にこの公務員改革だけはマスコミはバックアップすべきだ。ただし公務員の天下りを絶滅するためになぜ政府丸抱えで『新人材バンク』を作らなければならないのか。その点は手厳しく批判してほしい。おそらく公務員の不安を解消し、公務員や族議員の抵抗を和らげるための処置と思われるが、そうした官僚や族議員への配慮を排除することが改革の真の目的ではないのかという指摘をして、政府の公務員改革をさらに先鋭化させるのがマスコミの使命だと思う」と意見を述べ、両社の読者窓口の方は二人とも「まったく同感です」と同意してくれました。
しかしその後、朝日と読売が社説で展開した「公務員改革批判」はまったく的外れなことでした。朝日は「天下りを温存するための制度だ」と白を黒と言いくるめるような批判をし、読売は「公務員がやる気を失い、優秀な人が公務員を志望しなくなる恐れがある(ということは「優秀な人とは天下りを期待して官僚になる人」ということになります)」と社説で述べています。
いかなる改革も100%というものはありません。国鉄が民営化されたときも過疎地に住む人たちが切り捨てられることになるとマスコミは指摘し、事実民営化に伴いJRが手放した路線を引き継いだ第三セクターの経営は大半が赤字経営を余儀なくされ、路線を維持できなくなったケースもあります。郵政民営化も過疎地に住む人たちが切り捨てられることになることは目に見えています。実際野党も族議員もマスコミもそのことを追及してきました。小泉さんが歴代首相の中で最も賢い選択をしたのは、法案を成立させるために国民に信を問うというかつて誰も出来なかったことをやってのけたことです。そして国民の圧倒的多数が郵政民営化を支持した結果、野党も族議員も、さらにマスコミまでもが沈黙してしまいました。野党や族議員は政治家ですから国民が選択した以上「黙して語らず」に豹変したのはやむを得ないと思います。しかしマスコミは違います。それまで主張してきた郵政民営化批判を国民が支持しなかったことについて厳しい総括と自己批判をすべきです。国民のほうが間違っていると思うなら国民を批判すべきです。
公務員改革についての論評はもう止めると書きながら、蒸し返し、さらに郵政民営化問題についてまで言及せざるを得なかったのは実は船橋氏の「ジャーナリズム論」に根本的な誤りがあったからです。(続く)
2007年7月に読売新聞読者センターの責任者・佐伯氏へ送付した文書の続きを書く前に、NHKに苦情を一言。
民放は土日は除き、祭日は平日とまったく同じ編成で番組を放送する。民放はCM収益で経営を成り立たせているから、視聴者重視の編成を余儀なくされる。「余儀なくされる」と書いたのは、たとえば読売テレビの人気報道番組『ミヤネ屋』(関東では日本テレビが放送)は、祭日にもかかわらず宮根氏がいつも通りキャスターを務め、夕方のニュースも平日扱い、BS放送の定番番組も平日通りで、おそらくBSでは視聴率トップと思われるBSフジのプライムニュースも平日通りに反町・島田両氏がキャスターを務め、視聴率が高いせいだと思うが大物政治家が連日のごとく登場する(政治がテーマの場合)。昨日も公明・山口代表と共産・山下書記長が生出演した。島田氏はNHKのニュースウォッチ9の井上氏に引けを取らないくらいの美人だが、井上氏と違うのは単に原稿棒読みのアナウンサーではなく(もっともNHKはなぜか井上氏をキャスターとしている。キャスターとは自分自身の考えや疑問を呈しながら報道番組の司会進行を務めるのが仕事で、美人度によってアナウンサーになったりキャスターに格上げされたりするわけではないはずだが)、メイン・キャスターの反町氏が夏休みをとった時など一人で2時間にわたる報道番組を仕切り通した。11月にはお子さんを出産されるそうだが、その後フジに復活されるのかフリーになられるのか分からないが、現在活躍中の女性キャスターとしては人気・実力ともにナンバーワンといっても差し支えないだろう。美人度についての見方は別にして、井上氏に島田氏ほどの実力があるだろうか。もし、あったとしたら井上氏の実力を買い殺しにして、ただの「見世物」扱いにしているNHKに、女性問題を語る資格はない。
というわけで、午後8時以降はほぼプライムにくぎ付けになっているので、最近はNHKきっての美人「アナウンサー」(これはNHK以外の定義)と評判の高い井上氏のご尊顔を拝する機会が滅多にない。昨日もそういうわけでNHKのニュースウォッチ9は見ることができなかったが(正確に言えばプライムが終わったあとの数分間だけNHKにチャンネルを切り替えてプロ野球の結果は見たが)、おそらく祭日だったからニュースウォッチ9を見ていても井上氏のご尊顔を拝することはできなかっただろうと思う。
というのは、NHKは民放と違って、顔を視聴者に向けず、職員に向けている放送局だからだ。祭日は6時10分からの首都圏ネットワークもお休み、7時のニュースは放送したがメインアナウンサーの武田氏(なぜかNHKは原稿棒読みの武田氏もキャスターとして扱っている)は祭日ゆえ休暇。クローズアップ現代も祭日ゆえ中止(メインキャスターの国谷氏はNHKの職員ではないし、国谷氏以外のキャスターが司会進行を務めるケースもある)。祭日は視聴者が報道番組よりエンターテイメント番組を見たがっているというなら、もうプライムに勝てなくなっているニュースウォッチ9など放送を止めて、8時から2時間にわたるエンターテイメント番組を放送したらどうか。それどころか、いっそのこと政治的中立性が義務付けられていて、ズバリ政治の核心に迫るような報道番組を作ることができないのであれば、いま民放が全局、報道番組に力を入れていることもあり、報道番組についてのNHKは役割を終えたとのスタンスを明確にしたほうがいい。NHKは、予算を国会で承認されていると主張しているが、NHKの番組編成に政治家が口を挟めないため(NHKのエンターテイメント重視の姿勢を国会で批判した勇気ある議員もいたが)、視聴者無視、政治家も無視、ひたすら職員の顔色ばかりうかがう編成を続けるなら、民営化した場合、どれだけCM収入を得られるか世論調査会社に依頼して調べてみたらどうか。
昨日は日中、私も快晴のなかで快い汗を書いたので、少々疲れている。いつも目覚ましをかけているわけではないので、今日は少し朝寝坊して、ブログを書く時間が残り1時間を切ってしまった。今日でこのテーマを終える予定だったが、たぶん書き終えることができないと思うので、とりあえず時間が許す限り書いて、あとは「続」編とさせていただく。
実は朝日新聞が長期にわたって制度を中止していた「主筆」制度をこの時期(07年)に復活して船橋洋一氏を新主筆に抜擢した。その日、船橋氏は1面に社説スペースほどの就任「演説」を載せた。「演説」のタイトルは『ジャーナリズム再興』だった。この大演説が、その後の朝日新聞のスタンスを決定づけた。
(船橋氏はこの大演説で)「朝日新聞のジャーナリズム精神とは何か。私はそれを『権力監視』にあくまで食らいつく記者根性であると思っている」と。この姿勢が間違っていると私は言いたいのではないのです。ただこのように大上段振りかざして「権力監視」が記者の第一義的任務だと強調してしまうと「権力(その最強は言うまでもなく政府です)批判の姿勢」が常にジャーナリストの思考回路のもっとも重要な部分を占めてしまいます。私は3月の後半、安倍内閣が「公務員制度改革」を打ち出した時、朝日と読売の読者窓口に電話をして(読売は1面トップで報道しましたが、朝日はなぜかこの重要な政府方針をまったく無視しました)「政府がやろうとしていることに何でもかんでも批判することがマスコミのやるべきことではない。時には政府の政策を支持すべき時もある。今回の『公務員改革』だけは絶対に骨抜きにさせてはならない。とくに族議員や公務員の激しい抵抗がすでに始まっていると聞く。小泉さんがやろうとした道路公団改革が骨抜きにされてしまったのはなぜか。弱者切り捨てにつ
ながりかねないというマスコミの批判を後ろ盾にした族議員たちの抵抗が改革
を骨抜きにしてしまったのではなかったか。二度と同じ愚を犯してはならない。絶対にこの公務員改革だけはマスコミはバックアップすべきだ。ただし公務員の天下りを絶滅するためになぜ政府丸抱えで『新人材バンク』を作らなければならないのか。その点は手厳しく批判してほしい。おそらく公務員の不安を解消し、公務員や族議員の抵抗を和らげるための処置と思われるが、そうした官僚や族議員への配慮を排除することが改革の真の目的ではないのかという指摘をして、政府の公務員改革をさらに先鋭化させるのがマスコミの使命だと思う」と意見を述べ、両社の読者窓口の方は二人とも「まったく同感です」と同意してくれました。
しかしその後、朝日と読売が社説で展開した「公務員改革批判」はまったく的外れなことでした。朝日は「天下りを温存するための制度だ」と白を黒と言いくるめるような批判をし、読売は「公務員がやる気を失い、優秀な人が公務員を志望しなくなる恐れがある(ということは「優秀な人とは天下りを期待して官僚になる人」ということになります)」と社説で述べています。
いかなる改革も100%というものはありません。国鉄が民営化されたときも過疎地に住む人たちが切り捨てられることになるとマスコミは指摘し、事実民営化に伴いJRが手放した路線を引き継いだ第三セクターの経営は大半が赤字経営を余儀なくされ、路線を維持できなくなったケースもあります。郵政民営化も過疎地に住む人たちが切り捨てられることになることは目に見えています。実際野党も族議員もマスコミもそのことを追及してきました。小泉さんが歴代首相の中で最も賢い選択をしたのは、法案を成立させるために国民に信を問うというかつて誰も出来なかったことをやってのけたことです。そして国民の圧倒的多数が郵政民営化を支持した結果、野党も族議員も、さらにマスコミまでもが沈黙してしまいました。野党や族議員は政治家ですから国民が選択した以上「黙して語らず」に豹変したのはやむを得ないと思います。しかしマスコミは違います。それまで主張してきた郵政民営化批判を国民が支持しなかったことについて厳しい総括と自己批判をすべきです。国民のほうが間違っていると思うなら国民を批判すべきです。
公務員改革についての論評はもう止めると書きながら、蒸し返し、さらに郵政民営化問題についてまで言及せざるを得なかったのは実は船橋氏の「ジャーナリズム論」に根本的な誤りがあったからです。(続く)