錦織選手はなぜ格下のチリッチ選手に敗れたのか。
その敗因は、私が試合開始直前にブログで危惧した通りだった。私はブログでこう書いた。
昨日のブログでも書いたが、錦織選手の最大の敵は自分自身だ。プレッシャーをどう撥ね付けるかに勝敗の行方はかかっている。
これまでの試合はすべて格上の選手との戦いだった。世界ランク6位、4位、そして最後は1位の選手を撃破して決勝戦に進出した。ある意味では「攻め」の試合ができる相手だった。
が、決勝で当たるチリッチ選手は錦織選手にとっては初めての格下選手だ。「負けられない」という気持ちが前面に出てしまうと「攻め」の試合ができず、「守り」の試合になってしまう可能性もある。格下というだけでなく、対戦成績も5勝2敗で、3連勝中ということも、プレッシャーがかからない試合だと有利に働く条件だが、グランドスラムという大きな大会の決勝戦ではかえって不利な条件になりかねない。戦前の二人のインタビュー映像を見ていても(※インタビュー映像は8日のテレビ各局ニュース番組による)、チリッチ選手のほうに余裕すら感じた。悪い予感が当たらなければいいのだが…。
このブログの投稿日時は、gooサーバーの記録によれば「2014-09-09 05:23:33」となっている。つまり昨日午前5時23分33秒に投稿が完了したということだ。私のブログにアクセスすれば、だれにでも確認できる、ねつ造のしようがない記録だ。
一方やはり昨日試合終了後のyahoo¡ニュース、スポニチアネックス10時0分配信の記事『錦織、会見で敗因分析…初の重圧「試合に入り込めなかった」』によれば、錦織選手はこう敗因を自己分析しているらしい。「らしい」としたのはテレビでの錦織選手のインタビュー映像にはこの発言部分がカットされたようで、映像での確認はできなかったからだ。が、スポニチアネックスが配信した記事にねつ造の可能性はきわめて少ない。まずねつ造だったとしても、ねつ造する目的が考えられないからだ。朝日新聞の誤報記事事件もそうだが、朝日新聞の場合はねつ造ではなく、とにかく先の大戦における日本軍の非人道ぶりをこれでもかこれでもかと暴くことがメディアの使命だという価値観に、記者がマインド・コントロールされていたために生じた意図せざる誤報だった。誤報が明らかになっても訂正記事を出せなかったのは、そうした価値観、歴史認識方法が社内で音を立てて崩れることを恐れたからだ。
いま朝日新聞の中で間違いなく地殻変動が生じつつある。朝日新聞が大々的に誤報記事の取り消しを発表したとき、私はとりあえず「権力闘争の表れか」
とブログで書いた。その日、朝日新聞お客様オフィスに電話したとき、朝日新聞お客様オフィスはすごい体制をとっていた。人間録音機ではない女性担当者が電話に出て、とうとうと自説を述べた。私が「民主的な組織には必ず権力闘争がある。それは悪いことでは必ずしもない。かつて村山家が支配していた時代があったが…」と言い出すと、「村山・上野です」と即座に反応したくらいだった。そして「権力闘争が生じない新聞社もありますから」とまで言った。ナベツネという老いぼれがいまだ院政を敷いている読売新聞を指していることは歴然だった。
朝日新聞の地殻変動は、どのあたりまで進んでいるのか、外部の私には皆目分からない。明治維新に例えれば、まだ「桜田門外の変」あたりの序曲なのか、「鳥羽伏見の戦い(蛤御門の変)」あたりまで来ているのか、それとも「薩長連合成立」まで来てクーデターがほぼ成功したと言えるのか、これからもしばらくは混乱が続くと思う。池上氏の原稿掲載拒否問題の発覚と、その後の対応も、旧勢力と新勢力のせめぎあいが未だ決着していないことを証明していると言えなくもない。
それは余談だが、スポニチアネックスの配信によれば、錦織選手はこう敗因を自己分析している。
過去の対戦成績は5勝2敗。チリッチに対して自信を持っていたのが、逆にあだとなった。「勝てるというのが少し見えたのがよくなかった。勝たなきゃいけないというプレッシャーがあった」と錦織。「(試合中)ずっと迷走している感じだった。まったく先が見えなかった。正直、フェデラーの方がやりやすかったかもしれない」と、最後までペースがつかめないまま終わったことを悔やんだ。
体調面でも万全ではなく「決勝まで胸が苦しく、寝つけなかった。これが当然、としていかないといけない」と、初の決勝進出の重圧がいかに大変なものかを身を持って知ったようだった。
どう考えてもスポニチアネックスに錦織選手のコメントをねつ造せざるを得ない、何らかの目的があるとは考えにくい。また錦織選手が私の試合直前に投稿したブログを読んでコメントを考えたなどということは、もっとありえない。ということは、私の戦前の分析と戦後の錦織選手の自己分析が偶然一致したとしか考えられない。なぜメディアは、私のように論理的に物事を分析できないのか、間違いなく認知症世代に入っている私より、論理的思考力に劣るのはなぜか。
昨夜、BSフジの「プライム・ニュース」が『昭和天皇実録』の検証番組を報
道した。メインキャスターの反町氏だけでなく、サブの島田氏も一人で番組を
背負えるほどの実力キャスターだ。この『実録』について私が知る限りメディアはあまり評価していない。「新事実」が明らかにされていず、すでに報道で明らかになっていることばかり、というのがその理由だ。
が、メディアは大変な勘違いをしている。私は初めて知ったが、昭和天皇が靖国参拝をお止めになった理由について「A級戦犯が合祀されたことを不快に思われた。A級戦犯を強引に合祀した松平宮司について『親の心、子知らず』とまで述べられた」という富田メモについて、日本経済新聞がスクープしたことを『実録』は記載していながら、いまだ疑問が寄せられている富田メモの真否については何も『実録』には記載されていないことをBSフジは明らかにした。
私は時の軍事政権と一体になって「今度会うときは靖国で」と杯をかわして二度と帰ることができない戦場に旅立った若い兵士を美談として報道し、さらには「竹槍で戦え」とまで国民の戦意を鼓舞したメディアの責任は、反戦意識が強い朝日新聞でさえいまだに明確にしていない。戦時下で報道の自由が奪われていたことは事実だろうが、そこまで書けと軍部がメディアに命じていたのか。そんなことはありえない。もしあったとしたら、それは事実としてとっくに検証されているはずだからだ。
論理ではなく、思い込みの価値観や知識だけを頼りに報道すると、メディアは再び過ちを犯さないという保証はない。錦織選手が不利な条件でチリッチ選手と王座をかけて戦わざるを得なかったことは、論理的に考えればメディアには当然理解できることだった。いや、理解しなければならないことだった。錦織選手に不利なことを報道すると読者や視聴者から反発を食うと考えて論理的思考力にストップをかけたのだとしたら、メディアの体質は戦時中と全く変わっていないことを意味する。
その敗因は、私が試合開始直前にブログで危惧した通りだった。私はブログでこう書いた。
昨日のブログでも書いたが、錦織選手の最大の敵は自分自身だ。プレッシャーをどう撥ね付けるかに勝敗の行方はかかっている。
これまでの試合はすべて格上の選手との戦いだった。世界ランク6位、4位、そして最後は1位の選手を撃破して決勝戦に進出した。ある意味では「攻め」の試合ができる相手だった。
が、決勝で当たるチリッチ選手は錦織選手にとっては初めての格下選手だ。「負けられない」という気持ちが前面に出てしまうと「攻め」の試合ができず、「守り」の試合になってしまう可能性もある。格下というだけでなく、対戦成績も5勝2敗で、3連勝中ということも、プレッシャーがかからない試合だと有利に働く条件だが、グランドスラムという大きな大会の決勝戦ではかえって不利な条件になりかねない。戦前の二人のインタビュー映像を見ていても(※インタビュー映像は8日のテレビ各局ニュース番組による)、チリッチ選手のほうに余裕すら感じた。悪い予感が当たらなければいいのだが…。
このブログの投稿日時は、gooサーバーの記録によれば「2014-09-09 05:23:33」となっている。つまり昨日午前5時23分33秒に投稿が完了したということだ。私のブログにアクセスすれば、だれにでも確認できる、ねつ造のしようがない記録だ。
一方やはり昨日試合終了後のyahoo¡ニュース、スポニチアネックス10時0分配信の記事『錦織、会見で敗因分析…初の重圧「試合に入り込めなかった」』によれば、錦織選手はこう敗因を自己分析しているらしい。「らしい」としたのはテレビでの錦織選手のインタビュー映像にはこの発言部分がカットされたようで、映像での確認はできなかったからだ。が、スポニチアネックスが配信した記事にねつ造の可能性はきわめて少ない。まずねつ造だったとしても、ねつ造する目的が考えられないからだ。朝日新聞の誤報記事事件もそうだが、朝日新聞の場合はねつ造ではなく、とにかく先の大戦における日本軍の非人道ぶりをこれでもかこれでもかと暴くことがメディアの使命だという価値観に、記者がマインド・コントロールされていたために生じた意図せざる誤報だった。誤報が明らかになっても訂正記事を出せなかったのは、そうした価値観、歴史認識方法が社内で音を立てて崩れることを恐れたからだ。
いま朝日新聞の中で間違いなく地殻変動が生じつつある。朝日新聞が大々的に誤報記事の取り消しを発表したとき、私はとりあえず「権力闘争の表れか」
とブログで書いた。その日、朝日新聞お客様オフィスに電話したとき、朝日新聞お客様オフィスはすごい体制をとっていた。人間録音機ではない女性担当者が電話に出て、とうとうと自説を述べた。私が「民主的な組織には必ず権力闘争がある。それは悪いことでは必ずしもない。かつて村山家が支配していた時代があったが…」と言い出すと、「村山・上野です」と即座に反応したくらいだった。そして「権力闘争が生じない新聞社もありますから」とまで言った。ナベツネという老いぼれがいまだ院政を敷いている読売新聞を指していることは歴然だった。
朝日新聞の地殻変動は、どのあたりまで進んでいるのか、外部の私には皆目分からない。明治維新に例えれば、まだ「桜田門外の変」あたりの序曲なのか、「鳥羽伏見の戦い(蛤御門の変)」あたりまで来ているのか、それとも「薩長連合成立」まで来てクーデターがほぼ成功したと言えるのか、これからもしばらくは混乱が続くと思う。池上氏の原稿掲載拒否問題の発覚と、その後の対応も、旧勢力と新勢力のせめぎあいが未だ決着していないことを証明していると言えなくもない。
それは余談だが、スポニチアネックスの配信によれば、錦織選手はこう敗因を自己分析している。
過去の対戦成績は5勝2敗。チリッチに対して自信を持っていたのが、逆にあだとなった。「勝てるというのが少し見えたのがよくなかった。勝たなきゃいけないというプレッシャーがあった」と錦織。「(試合中)ずっと迷走している感じだった。まったく先が見えなかった。正直、フェデラーの方がやりやすかったかもしれない」と、最後までペースがつかめないまま終わったことを悔やんだ。
体調面でも万全ではなく「決勝まで胸が苦しく、寝つけなかった。これが当然、としていかないといけない」と、初の決勝進出の重圧がいかに大変なものかを身を持って知ったようだった。
どう考えてもスポニチアネックスに錦織選手のコメントをねつ造せざるを得ない、何らかの目的があるとは考えにくい。また錦織選手が私の試合直前に投稿したブログを読んでコメントを考えたなどということは、もっとありえない。ということは、私の戦前の分析と戦後の錦織選手の自己分析が偶然一致したとしか考えられない。なぜメディアは、私のように論理的に物事を分析できないのか、間違いなく認知症世代に入っている私より、論理的思考力に劣るのはなぜか。
昨夜、BSフジの「プライム・ニュース」が『昭和天皇実録』の検証番組を報
道した。メインキャスターの反町氏だけでなく、サブの島田氏も一人で番組を
背負えるほどの実力キャスターだ。この『実録』について私が知る限りメディアはあまり評価していない。「新事実」が明らかにされていず、すでに報道で明らかになっていることばかり、というのがその理由だ。
が、メディアは大変な勘違いをしている。私は初めて知ったが、昭和天皇が靖国参拝をお止めになった理由について「A級戦犯が合祀されたことを不快に思われた。A級戦犯を強引に合祀した松平宮司について『親の心、子知らず』とまで述べられた」という富田メモについて、日本経済新聞がスクープしたことを『実録』は記載していながら、いまだ疑問が寄せられている富田メモの真否については何も『実録』には記載されていないことをBSフジは明らかにした。
私は時の軍事政権と一体になって「今度会うときは靖国で」と杯をかわして二度と帰ることができない戦場に旅立った若い兵士を美談として報道し、さらには「竹槍で戦え」とまで国民の戦意を鼓舞したメディアの責任は、反戦意識が強い朝日新聞でさえいまだに明確にしていない。戦時下で報道の自由が奪われていたことは事実だろうが、そこまで書けと軍部がメディアに命じていたのか。そんなことはありえない。もしあったとしたら、それは事実としてとっくに検証されているはずだからだ。
論理ではなく、思い込みの価値観や知識だけを頼りに報道すると、メディアは再び過ちを犯さないという保証はない。錦織選手が不利な条件でチリッチ選手と王座をかけて戦わざるを得なかったことは、論理的に考えればメディアには当然理解できることだった。いや、理解しなければならないことだった。錦織選手に不利なことを報道すると読者や視聴者から反発を食うと考えて論理的思考力にストップをかけたのだとしたら、メディアの体質は戦時中と全く変わっていないことを意味する。