昨日、急きょブログのテーマを変えたので、戸惑われた読者もおられたと思う。21日に投稿したブログの続きを書く。以下は、2007年7月に当時の読売新聞読者センターの責任者、佐伯氏に送付したFAXからの抜粋である。この時期、まだ未熟ながら、ジャーナリストが犯しやすい間違いの原因について書いているので転載する。
私はそのころから(学生運動にのめりこんでいた時代があった)今日ほどの明確な意識ではありませんでしたが、ジャーナリストにとって最も大切な三つの要素、すなわち①一切の組織の縛りや既成の権威から自立した精神を持つこと②あくまでフェアに考えフェアな主張をすること③何かを主張する場合その内容が本当に論理的かどうかを真摯に検証すること、をすでに自分の思考方法として確立していたということです。ここまで述べてきたことがそのことを明確に立証していると私は自負しています(学生運動にかかわっていた時代に私が取った行動理念を長々と説明したのだが、その部分は割愛する)。私が読売新聞や朝日新聞の記事(とくに社説)、さらにテレビ各局の報道番組に対し、読者や視聴者の窓口に対ししばしば手厳しい批判をするのも、ジャーナリストにとって最も大切な三つの要素をあまりにもわきまえていない「ジャーナリスト」が多すぎるからです(なぜカギ括弧を付けたかもうお分かりでしょう)。
ついでにほとんどのジャーナリストがとんでもない勘違いをしていることを指摘しておきたいと思います。私はどなたがお書きになった「ジャーナリスト論」も手にしたことがありません。その理由を書きだすとまた長くなるのでやめますが、ほとんどの「ジャーナリスト論」は批判精神と権力の圧力に屈しないことを最重要視していると思います(これは私の勝手な思い込みかもしれませんが、マスコミの報道姿勢を見ると、そういう論理的結論に達せざるを得ません)。
それはそれで決して間違ったスタンスではないのですが、あまりにもこの二つの要素を重視しすぎると、政府のやろうとしていることや方針に対しかつての社会党のように「何でも反対」主義に陥ってしまいます。権力におもねることは明らかにジャーナリスト失格ですが、現在のマスコミは過去の戦争に結果的に「加担」してしまったことへの過度の反省から振り子が大きく振れ過ぎ、「何でも反対」論に傾きすぎているきらいがあると感じています(※もう思い出せないが、当時の読売新聞はかなり政府に厳しい批判をしていたようだ。現在の報道姿勢を考えると隔世の感がある)。だから私は私独自のジャーナリスト論からこの二つの要素をあえて外し、①で述べたような抑えた表現にしたのです(ただし①の主張は明らかにこの二つの要素を内包しています。ことさらに強調しなかっただけです)。
なぜそのようにしたかだけ説明して置きますと、マスコミの論調があまりにも「反政府・反権力」を重視しすぎた結果、読売新聞も朝日新聞も安倍内閣(※第1次)の公務員制度改革に対し、公務員の天下りと官民癒着を温存するかのような批判を社説で主張したからです。(中略)
佐伯さんもご存じのように政官財のトライアングルの構造は少なくとも明治維新を経て日本が近代国家になるために掲げた政策「富国強兵・殖産興業」にまでさかのぼって解明する必要があります。官民癒着は昨日今日始まった話ではないのです。(中略)
小泉さん以降、政府のスタンスは明らかに変化を遂げつつあります。官庁との距離を置き、これまでタブーとされてきた「司法取引」まがいの餌を振りまいて談合の根絶を図ろうとしたり、教員や医師の免許・資格制度にメスを入れ、一定の期間ごとに免許の更新を行い(ということは剥奪もありうるということ)、さらに強制的な研修制度を導入して不適格な教員はクビにすることなど、個々バラバラのように見える鉄のトライアングルを着実に一歩ずつ(14年かかって構築されてきたシステムを破壊するにはおそらく気が遠くなるほどの年月を要すると思われます)崩していこうとしていることは、立場上反対せざるを得ない野党ならいざ知らず、マスコミはきちんと評価すべきです。だから私はジャーナリストの3大要素の②に「あくまでフェアに考えフェアな主張しかしないこと」を入れたのです。しかし残念ながら朝日も読売もこのような自覚を持ったジャーナリストがほとんどいないのです。
誤解を避けるために朝日や読売の読者窓口の方に「公務員改革」の最大の問題点は政府が新たに作ろうとしている「新人材バンク」にあると指摘してきました。もちろん朝日も読売も「新人材バンク」を批判しています。安倍内閣が「公務員改革」をぶち上げたときの両紙の社説はもう手元にないので、あやふやな記憶に頼っての再批判はしません。で、読売さんには関係がないかもしれませんが、朝日の昨日の社説に対し朝日の広報(現お客様オフィス)に電話で批判したことを書かせていただきます。
朝日は社説で「現時点ではまだ、新人材バンクがうまく機能するとは言いきれない。政官業のもたれ合いの構図に手を付けずに、予算や権限を背景にした押しつけ的な天下りをなくせるのか、疑問も残る」と批判しました。
私はこの批判が間違っていると言いたいのではありません。しかし少なくとも渡辺行革担当大臣は「官僚の再就職斡旋に際し、出身官庁からの出向者は関与させない」とセーフティネットを整備することを約束しています。そこで問題です。そこまで天下り禁止のシステムを構築しようというのであれば、なぜ政府丸抱えの「新人材バンク」を作って官僚だけを特別扱いする必要があるのかということです。すでに公的職業斡旋機関としてハローワークがあるし、ハ
ローワークには高級官僚が飛びつきたくなるような求人がないというのであれ
ば、民間には能力の高い人材の転職や再就職を斡旋する企業がリクルートやマンパワー、パソナなどたくさんあるし、インターネットでも高度な知識・技術を持った人材の求人先を探すのはいとも簡単な話です。だからわざわざ出身官庁からの出向者にはタッチさせないなどという姑息な方法までとって政府丸抱えで官僚のためだけに就職斡旋機関を作る必要があるのか、という最大の疑問点をこそマスコミは追及すべきだったと思うのです。私のうろ覚えでは読売もそうした視点での「新人材バンク」批判はしていなかったと思います。
なお当時の「新人材バンク」構想がどうなったのか、ネットで調べても分からなかった。ということは構想そのものがとん挫したと思われる。
実はこの長文の文書はプリントして手元に残してあるが、A4サイズで16ページに及ぶもので、全文をスキャンして貼り付けることはできるが、現時点でブログ投稿しても意味を失っていることも少なくないので、私が多少朝日新聞のねつ造記事の根本に横たわっているメディアと読者(視聴者)の関係、メディアと権力の関係に関する部分のみ抜粋して転載することにした。今日は用事で外出する時間が迫っているので、ここまででやめる。たぶん明日で終えると思うが…。
私はそのころから(学生運動にのめりこんでいた時代があった)今日ほどの明確な意識ではありませんでしたが、ジャーナリストにとって最も大切な三つの要素、すなわち①一切の組織の縛りや既成の権威から自立した精神を持つこと②あくまでフェアに考えフェアな主張をすること③何かを主張する場合その内容が本当に論理的かどうかを真摯に検証すること、をすでに自分の思考方法として確立していたということです。ここまで述べてきたことがそのことを明確に立証していると私は自負しています(学生運動にかかわっていた時代に私が取った行動理念を長々と説明したのだが、その部分は割愛する)。私が読売新聞や朝日新聞の記事(とくに社説)、さらにテレビ各局の報道番組に対し、読者や視聴者の窓口に対ししばしば手厳しい批判をするのも、ジャーナリストにとって最も大切な三つの要素をあまりにもわきまえていない「ジャーナリスト」が多すぎるからです(なぜカギ括弧を付けたかもうお分かりでしょう)。
ついでにほとんどのジャーナリストがとんでもない勘違いをしていることを指摘しておきたいと思います。私はどなたがお書きになった「ジャーナリスト論」も手にしたことがありません。その理由を書きだすとまた長くなるのでやめますが、ほとんどの「ジャーナリスト論」は批判精神と権力の圧力に屈しないことを最重要視していると思います(これは私の勝手な思い込みかもしれませんが、マスコミの報道姿勢を見ると、そういう論理的結論に達せざるを得ません)。
それはそれで決して間違ったスタンスではないのですが、あまりにもこの二つの要素を重視しすぎると、政府のやろうとしていることや方針に対しかつての社会党のように「何でも反対」主義に陥ってしまいます。権力におもねることは明らかにジャーナリスト失格ですが、現在のマスコミは過去の戦争に結果的に「加担」してしまったことへの過度の反省から振り子が大きく振れ過ぎ、「何でも反対」論に傾きすぎているきらいがあると感じています(※もう思い出せないが、当時の読売新聞はかなり政府に厳しい批判をしていたようだ。現在の報道姿勢を考えると隔世の感がある)。だから私は私独自のジャーナリスト論からこの二つの要素をあえて外し、①で述べたような抑えた表現にしたのです(ただし①の主張は明らかにこの二つの要素を内包しています。ことさらに強調しなかっただけです)。
なぜそのようにしたかだけ説明して置きますと、マスコミの論調があまりにも「反政府・反権力」を重視しすぎた結果、読売新聞も朝日新聞も安倍内閣(※第1次)の公務員制度改革に対し、公務員の天下りと官民癒着を温存するかのような批判を社説で主張したからです。(中略)
佐伯さんもご存じのように政官財のトライアングルの構造は少なくとも明治維新を経て日本が近代国家になるために掲げた政策「富国強兵・殖産興業」にまでさかのぼって解明する必要があります。官民癒着は昨日今日始まった話ではないのです。(中略)
小泉さん以降、政府のスタンスは明らかに変化を遂げつつあります。官庁との距離を置き、これまでタブーとされてきた「司法取引」まがいの餌を振りまいて談合の根絶を図ろうとしたり、教員や医師の免許・資格制度にメスを入れ、一定の期間ごとに免許の更新を行い(ということは剥奪もありうるということ)、さらに強制的な研修制度を導入して不適格な教員はクビにすることなど、個々バラバラのように見える鉄のトライアングルを着実に一歩ずつ(14年かかって構築されてきたシステムを破壊するにはおそらく気が遠くなるほどの年月を要すると思われます)崩していこうとしていることは、立場上反対せざるを得ない野党ならいざ知らず、マスコミはきちんと評価すべきです。だから私はジャーナリストの3大要素の②に「あくまでフェアに考えフェアな主張しかしないこと」を入れたのです。しかし残念ながら朝日も読売もこのような自覚を持ったジャーナリストがほとんどいないのです。
誤解を避けるために朝日や読売の読者窓口の方に「公務員改革」の最大の問題点は政府が新たに作ろうとしている「新人材バンク」にあると指摘してきました。もちろん朝日も読売も「新人材バンク」を批判しています。安倍内閣が「公務員改革」をぶち上げたときの両紙の社説はもう手元にないので、あやふやな記憶に頼っての再批判はしません。で、読売さんには関係がないかもしれませんが、朝日の昨日の社説に対し朝日の広報(現お客様オフィス)に電話で批判したことを書かせていただきます。
朝日は社説で「現時点ではまだ、新人材バンクがうまく機能するとは言いきれない。政官業のもたれ合いの構図に手を付けずに、予算や権限を背景にした押しつけ的な天下りをなくせるのか、疑問も残る」と批判しました。
私はこの批判が間違っていると言いたいのではありません。しかし少なくとも渡辺行革担当大臣は「官僚の再就職斡旋に際し、出身官庁からの出向者は関与させない」とセーフティネットを整備することを約束しています。そこで問題です。そこまで天下り禁止のシステムを構築しようというのであれば、なぜ政府丸抱えの「新人材バンク」を作って官僚だけを特別扱いする必要があるのかということです。すでに公的職業斡旋機関としてハローワークがあるし、ハ
ローワークには高級官僚が飛びつきたくなるような求人がないというのであれ
ば、民間には能力の高い人材の転職や再就職を斡旋する企業がリクルートやマンパワー、パソナなどたくさんあるし、インターネットでも高度な知識・技術を持った人材の求人先を探すのはいとも簡単な話です。だからわざわざ出身官庁からの出向者にはタッチさせないなどという姑息な方法までとって政府丸抱えで官僚のためだけに就職斡旋機関を作る必要があるのか、という最大の疑問点をこそマスコミは追及すべきだったと思うのです。私のうろ覚えでは読売もそうした視点での「新人材バンク」批判はしていなかったと思います。
なお当時の「新人材バンク」構想がどうなったのか、ネットで調べても分からなかった。ということは構想そのものがとん挫したと思われる。
実はこの長文の文書はプリントして手元に残してあるが、A4サイズで16ページに及ぶもので、全文をスキャンして貼り付けることはできるが、現時点でブログ投稿しても意味を失っていることも少なくないので、私が多少朝日新聞のねつ造記事の根本に横たわっているメディアと読者(視聴者)の関係、メディアと権力の関係に関する部分のみ抜粋して転載することにした。今日は用事で外出する時間が迫っているので、ここまででやめる。たぶん明日で終えると思うが…。