本棚7個じゃ足りません!

引っ越しのたびに蔵書の山に悩む主婦…
最近は二匹の猫の話題ばかりです

『疑惑のマハーラージャ』

2010年04月23日 | 
疑惑のマハーラージャ―シャーロック・ホームズの愛弟子 (集英社文庫)
ローリー・R. キング
集英社

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ホームズもののパスティーシュなんですが、
シリーズ7作目を読んでも、
相変わらずラッセルにやきもちを焼いてしまうのだった。
ちょっと、なんでそんなにホームズ様とラブラブなのよう!
立場代わってよっ、という具合に。
いや、でもこういう気持ちになるのはわたしだけじゃないと思う。
女性のシャーロキアンって、ホームズに恋しているひとが大半なのではないか。
(聡明で気が強く、おそらく美人で生意気で自信家で、
決して人好きのする性格ではないじゃじゃ馬のラッセルが、
熟年のホームズに対等のパートナーとして認められながら、
一方で妻としても愛されている感じなのが、
微妙にファンの心理を刺激するのだった。
悔しいが、もっともっと、こういうツンデレなホームズが読みたい…)

この話では、行方不明の諜報員を探しに、ラッセルとホームズがインドへ向かいます。
有名人(?)が時折顔を出すこのシリーズ、
今回はキプリングの「キム」の主人公が登場するのだが、
読んだことがないから、さっぱり分からない。
(欧米では有名な話らしいが、現在日本語訳は入手困難とのこと)
当時の大英帝国のインドにおける影響も、
ぼんやりとしか知らないまま、頁をめくる。
ええっと、第1次世界大戦後で、ロシアがソビエト社会主義共和国連邦になって、
レーニンが死んで、イギリスでは労働党が政権を取って、
それからそれから…何だっけ。
(ああ、歴史の勉強、もっとしておくのだった!)

とにかく怪しいマハラジャが出てきて、危機一髪になる二人なのです。
(↑投げやりな説明ですね)
シリアスな話を読んでいる時に場違いなのですが、
つい「ラジャ・マハラジャ」の歌が頭をよぎるのでした。


    ************************


この間、NHKドラマの「白洲次郎」を全3回、一気に観ました。
もう惚れちゃうね、この格好よさは。
後になれば、批判は幾らでもできるけれど、
その時その時の正念場で判断した当時の人の気持ちと言うものは…
単純に裁けない。
ただ、白洲さんには白洲さんのプリンシプルがあって、
ずっと根本的な筋を通し続けたところが、是非はともかく、
魅力的に映るのでした。

ドラマを観る前に、娘さんの牧山桂子さんのエッセイを
ちらっと立ち読みしていたので、
白洲正子さんのお姫様気質には、にやにや。
(家事育児ができず、勝気でプライドが高い。とにかく生活感がない)
やっぱり、じゃじゃ馬にはイギリス紳士が相応しいのかもね、と思いながら、
そのあとで「疑惑のマハーラージャ」を読んだのでした。


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図書館本『白洲次郎』

2010年04月21日 | 
白洲次郎 (コロナ・ブックス)
白洲 正子,辻井 喬,宮沢 喜一,青柳 恵介,朝吹 登水子,中村 政則,三宅 一生
平凡社

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根っから庶民なので、近年のセレブ・ブームには「てやんでえ」と思うほうです。
上昇志向でこつこつ頑張って成りあがってみせるのは偉いが、
一般人が表面だけ上流階級の真似をしても仕方ないじゃないか、と。
むしろ庶民は、お偉方の文化を風刺するぐらいの
反骨精神を持ち合わせたほうがよいではないかと、考えてしまうのです。
(↑杉浦日向子さんの本の影響みたい。江戸っ子精神、大好き)

しかし、そういうわたしでさえ、“白洲夫妻”のカッコ良さには脱帽しました。
なんなの、この夫婦…。スケールが違いすぎるでしょう。
二人とも名門に生まれて、非常に裕福で(成長するまでは)、
海外留学の経験もあり、英語が達者。人脈も幅広い。
それぞれ分野は違えど(次郎さんは政治経済、正子さんは日本文化)、
お互いの道を尊重し、どちらかの人生に吸収されず個対個として添い遂げており、
その夫婦関係はとても日本人離れしている。
(もっとも、お嬢様育ちの正子さんには、ばあやのような人がいて、
家事育児を手伝ってくれていたというのだから、いささか次元が違う話でもある)

戦前に「日本は負ける」と予想していた知識人は結構いたそうだけど、
次郎さんは空襲まで予想して田舎に家を買い、
終戦までひっそり暮らしていたというのだから…すごい。
戦後はGHQとの交渉に一役買い、吉田茂のブレーンとして活躍。
(宮澤喜一氏によれば“従順でない側近”)
役目が終わればすっぱり身を退くという、潔さ。
私人としても一本筋が通っていて、相手が誰であろうと、臆せず物を言う。
“いらち”だが、目下の人間には優しく、案外可愛気もある。
(この本には、旧知の人々による彼の逸話が掲載されていますが、
さぞかし非凡な個性を持っていたんだろうな、と思います)
今はいないねえ、こういう気骨のある人は。

実はNHKのドラマ「白洲次郎」を録画したまま放置しているのだけど、
そろそろ観てみよう。
サムライ魂を持つジェントルマンって、なかなか興味深いお人柄です。


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図書館本『かみつく二人』

2010年04月19日 | 
かみつく二人
三谷 幸喜,清水 ミチコ
幻冬舎

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ラジオ番組は、やはりその場のノリが面白いので、
後になって文章で読んでもそれが伝わるのかどうか…と思ったりしますが、
このお二人のトークは、くすくす笑っちゃいます。
(わたしは番組が聴けないので、本しか読んでいませんが、
それでも可笑しくて一気に読んでしまいました)

ちょっと毒舌で、いい塩梅に適当で、
話があちこち飛んで収拾がつかないと思いきやオチがついたりと、
振り回される楽しさがありました。
本当に笑いはいいなあ。
わたしにとっては、感動映画で泣くより癒されるなあ。


    *************************


相当ストレスがたまって、疲れている(?)らしい。
また白髪、見つかりました。
ほっぺのふんわり感が消えたので、
思わずケーキやらポテチやら、食べてしまいました。
(少し痩せたのなら、そのままにしておけばよいものを、つい…)
睡眠を取れば復活するだろうと寝てみても、
嫌な感じの夢を見るので、あまり休まらず。
(夫のために土下座したり、敢然と立ち向かったり、忙しい夢)
今夜は微熱も出てきたぞう。
弱った、弱った。


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図書館本『きもの美』

2010年04月14日 | 
きもの美 (知恵の森文庫)
白洲 正子
光文社

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美意識の高い人というと、自他に厳しく、とっつきにくいというイメージがある。
白洲正子さんの著書を今まで読まなかったのは、
その美意識についていけるか自信がなかったせいなのだが、
今回『きもの美』を読了して、なんとなく安堵した。
一流の人は、自分の求める美をぐいぐい追求していくから、
未熟な初心者に対しては、温かい眼差しを持っているみたい。
案外気さくに、色々教えてもらったなあ、という印象でした。

なるほど、と頷いた言葉は、
“人に見せるのでなく、自分がたのしめばよい。きものはその為にあるのです”
“先ず、「きものが着たい」そう思うことが大切です”
“ものは程々に投げやりなのが美しい。(中略)
つかず・はなれず、-それがきものの調和です”等々。

着物は、年代から考えてコレ、と言う風に、
先入観だけにとらわれることはない、
自分に似合っているものを着ればいいのだ、ということ。
着物と帯、全体の取り合わせで考えたほうがいいこと。
失敗を恐れることはない、ということ。
至極もっともで、頼もしい助言なのでした。

この本は1962年の徳間書店版を文庫化したものだそうですが、
その年代にこの内容が、世間にどう受け入れられたのか、興味があります。
(見せびらかしのために着物を着る上流婦人や、
蘊蓄が言いたいがためにお店へ来るマダムや、
自分で物の良し悪しを確かめず、ブランドだけで売ろうとする商売人など、
作中で批判的に書かれている人たちが、当時は沢山いただろうし)
近頃白洲正子さんが再評価されているというのも、
時代のほうが追いついてきたってことなのかなあ?

伝統的なものへ敬意を表しながら、新しい波も受け入れる、
自由な審美眼の持ち主。
やはり、格好いい。


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図書館本『幸田文の箪笥の引き出し』

2010年04月13日 | 
幸田文の箪笥の引き出し (新潮文庫)
青木 玉
新潮社

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幸田露伴の娘で、のちに作家となった幸田文さんは、
潔くて、働き者で、芯が強くて、深い配慮ができる方。
雑誌「クウネル」の特集でお名前は存じていましたが、
その幸田文さんにまつわる着物話ということで、図書館で借りたこの本を読みました。

幸田文さんの着物の好みが、渋くて格好いい。
身の丈に合ったものを着るという姿勢も素敵。
(掲載されている写真を見ると、うっとり)
着物が日常に溶け込んでいる様子も、現代っ子の目で見ると新鮮に映ります。
(洗い張りは見たことないし、浴衣の縫い方も教わったことがない…)

一枚一枚に思い出があり、そこから文さんの人生が浮かび上がるようです。
(わたしが泣きそうになったのは、『すがれの菜の花』という話。
幸せそうな若い人を見ると荒れるという、薄幸のお手伝いさんが、
再婚のお祝いに、文さんの菜の花の着物を着てお嫁に行きたいと頼むくだり。
菜の花の鮮やかさには、人の生命力を呼び覚ます力があるよね…)

青木玉さんが綴る文章からは、人生の山や谷を一緒に乗り越えた、
母娘の強い絆がうかがえます。
文さんのきっぱりした言葉や行動に、読み手は心惹かれていくけれど、
その文さんの言動を受信する感性がある玉さんも、とても素敵な人。


それにしても、指標にしたい憧れの人に本の中で次々出会えるなんて、
わたしは幸せ者です。



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図書館本『杉浦日向子の江戸塾 特別編』

2010年04月11日 | 
杉浦日向子の江戸塾 特別編
杉浦 日向子
PHP研究所

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江戸の庶民文化は、生産性や経済性や効率よりも、
暇を楽しみ、無駄を味わい、貧しくとも心豊かに遊ぶところがあり、
江戸っ子の精神性には感心するばかりです。
杉浦日向子さんは、江戸の魂を宿しておられたようで、
亡くなられた今でも、ひそかに憧れ続けている方。

ところで、対談はエッセイとは違い、マッチメイクによって受ける印象が変わります。
相性の良い人とは会話が弾み、
互いの引き出しから次々と興味深い話が飛び出すもので、
『杉浦日向子の江戸塾』のほうは、割と良かったのですが。

今回の特別編では、ある意味江戸っ子気質と一番遠い林真理子さんとの対談が、
ミスマッチじゃないかなあ、と思いました。
杉浦日向子さんとの方向性が違いすぎるので、
読んでいて、なんだかヒヤヒヤしました。
(田辺聖子さんは名を成した作家先生だけれども、
江戸文化に造詣が深く、また杉浦さんの著作
『風流江戸雀』も読んでいて、懐深い人柄が表れた面白い対談でした。
しかし…林真理子さんは、江戸の庶民文化についてそれほど前知識もないようでしたし、
もしかしたら杉浦さんの本も読んでいないのでは、
と思わせる発言なども、ちらほらありまして…)
編集部も不思議な組み合わせを試みるものだと思ったのでした。


    *************************


「えんどう豆の上に寝たお姫様」的体質を持つ夫が、
うちのマットレスが固すぎて背中が痛くなる、と訴え続けていたので、
昨夜、そのマットレスの上にわざわざ布団を敷いてみたのです。
そうしたらふわふわ過ぎて、今度はわたしが眠れなくなってしまい、
疲れきってことんと落ちるまで、落ち着かずに過ごす羽目になりました。
結局布団の中で、4時間くらい起きてたなあ。

わたしが子供の頃は、
「柔らかい布団で寝ると背骨が弱くなる」と言われて、
畳の上にせんべい布団で寝ていたものです。
のちにベッドで寝起きするようになった時も、
マットレスは置かずに、じかに布団を敷いていた。
そう、わたしにとってはマットレスそのものが贅沢品…。
その上にふわふわお布団を載せるなんて、夫よ。
お前は、お前は、どこまで軟弱なんだ~~!
(そして、ふわふわにできなければ高いマットレスに買い換えるなんて言い出して、
どこまでお坊ちゃま気どりなんだっ。
背中が痛いのは、うつぶせ寝を好み、その後頻繁に寝がえりをうって、
布団をよけ、寒くなると海老のように丸くなって寝るせいだろうがっ)

いつか、わたしはこの柔らかい寝床に適応できるでしょうか。
不眠症になりそうで、心配です。
貧乏性の弊害がここに…。


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図書館本『新・東海道五十三次』

2010年04月09日 | 
新・東海道五十三次 (中公文庫 A 11-2)
武田 泰淳
中央公論新社

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武田泰淳先生が、運転手役の妻ユリ子(武田百合子)と共に、
自動車で東海道をめぐる、という紀行もの。
発展し続ける現代社会への風刺もちらりと見せつつ、
観光を楽しみ、土地と結びついた思い出にひたる旅。

なんというか、作中のユリ子の言動が可愛い。
天真爛漫で直感的な発言、そして食欲旺盛。
(忠臣蔵の話をしていて、“ワイロをやればよかったのにねえ。
ワイロさえやっておけば、こんなことにならなかったんでしょ。
だから江戸詰めの家来がバカだったんじゃないの”って、
いかにも百合子さんらしい感想をもらしている)
武田泰淳氏は結構気難しいし、妻に頼りっぱなしだし、
文学者としての評価とは別にダメ男っぽい感じがするのだが、
この作品からは、奥さんへの愛情がほの見える。

それにしても、出会った頃から晩年に至るまで、
ここまで泰淳氏に(性格や思想や作品に)影響を与える百合子さんって、
本当にすごい存在だなあ。



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図書館本『大人の発達障害』

2010年04月08日 | 
大人の発達障害―アスペルガー症候群、AD/HD、自閉症が楽になる本
備瀬 哲弘
マキノ出版

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アンジャッシュのネタには、お互いに同じことを話題にしているはずなのに、
実は全く別個の話をしていて、その食い違いで観客を笑わせるコントがよくある。
また、推理小説の叙述トリックものの中には、
語り手の独特な認識や、読者の固定観念を利用した形の作品がある。
いずれも、我々人間の集団は共通の文化を持ち、
決まったコミュニケーションの様式をやり取りすることによって、
結びつきを堅固にしているという事実を物語っている。
物事に対する共通の認識が、既存の社会を成り立たせているのである。
その認識に齟齬が生ずれば、喜劇にも、悲劇にもなる。

言葉、身振り、表情、感情、文脈の解し方、場の空気の読み方などは、
それぞれが属する文化圏によって微妙な違いを見せるが、
絶対多数に支持された文化の中では、異なる認識を持つ少数の人々が生きづらくなる。
「あの人、変わっているよね」と評され、
「言外の意味がなぜ分からないのだろう?」と不思議がられたりする。
そもそも、同じ文化を共有していない状態で、
スムーズに意思を通じさせることは難しいのだが…。
やっぱり多くの人間は自分たちの認識が相手にも通じるもの、と思いこんでいたりする。
(本に掲載されていたエピソードですが、
社交辞令で「お暇な時は遊びに来てください」と言ったあと、
相手が本当に「暇な」時に用事もなく頻繁に家へ訪ねてくるようになったので、
不審に思う、という話があったのです。
相手は字義通りに言葉を受け止めて実行しているだけなのですが、
含みを持たせた言葉使いに慣れている人間にとっては、
意図が誤解されて、ただただ困惑してしまうこと)

さて、こちらの本で紹介されていたことですが、発達障害の人は自分自身のことを、
「異文化にいるようだ」「まるで異星人」と表現したりするようです。
社会的な決まりを共有しにくい状態は、まさに異国へ迷い込んだようです。
それでも、周囲に理解があって、適切にサポートされている場合は、
長所を伸ばすことができ、社会生活にそれほど支障をきたさないのでしょうが…。
環境に恵まれない場合は大変です。
人間関係がこじれてしまい、学校や会社を辞めることになったり、
ストレスから二次的な障害が出ることもあるのだと言います。

今は幼少期から、その子にとって適切な方法で療育し、
生活をサポートする方法が勧められていますが、
発達障害は大人になってから顕在化することも珍しくありません。
それなのに、大人の場合は、
本人や周囲がそれと気づいた時の援助体制が、まだまだ不十分のようです。
比較的新しく認められ、研究されている分野なので、
(ブームとさえ、言われておりますが…)
一般によく知識が行き渡っている訳でもなく。
わたしも全くの無知で、本を読んでも読んでも、
実際にはどんな状態なのかよく理解できなかったり…。

でも、知ろうと思うことって、大事だよね。
この本では、どういうケースがあったのか具体的に取り上げており、
入門編として分かりやすいかもしれません。
(それでも、個人によって症状の表れ方が異なるので、
診断基準がよく分からなくなっちゃうのだが。
わたし自身にも発達障害の傾向がいくらかあるように思うし、
辺りを見渡せば、本人の自覚は無くまた顕著ではないながらも、
発達障害のような症状が表れている人が沢山いる。
完全に定型発達という人のほうが、実は少ないのではないか…?)


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『大正ロマン手帖』

2010年04月06日 | 
大正ロマン手帖---ノスタルジック&モダンの世界 (らんぷの本)

河出書房新社

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この本も図書館で借りました。

ミーハー気分で、モガ風ファッションが格好いいぞう、と思っていたら、
モガ大流行は大正最後の年(大正15年)だったのですね。
そうか、数少ない断髪のモダンガールが頑張っていたのは、
大正末期~昭和初期ぐらいだったのか。
この時代はコラムで紹介されていたお葉さんや、
柳原白蓮や、松井須磨子などのスキャンダルが有名ですが、
そうした(良くも悪くも激しい)自我を表した女性は、全体から見るとごく一部。
きっと、恋愛結婚などができない時代でも秘めた恋があったろうし、
抜群にすぐれた教養を生かす場もなく、一生を終えた人もいただろう。
青踏のフェミニズム運動は、すぐには日本全国へ波及しなかったろうけれど、
時代に先駆けた彼女たちの熱い生き様には、
ひそかに羨望を覚え、共感する人も多かったのではないか。

不思議だったのよね。
江戸時代の江戸というエリアの庶民の女性は、
男性よりも強くて(数的に少なかったから大事にされたっていうし)、
元気に働いていて、性的にも割合自由なところがあったのに、
明治政府の体制でぎゅーっと締めつけられて、
全体的に武家社会の文化が押し付けられて、
富国強兵の中、良妻賢母が女性の理想のような感じになってしまっても、
その流れに黙って呑みこまれるだけだったのだろうかって。

でも、どんな時代でも、健気に頑張っている女の子はいるんだよね。
功績を残さなくても、自分が生きる場所で自分ができることを、
こつこつ積み上げて行った女の子たちがいる。
熱情を堪えきれず、まっしぐらに愛人の元に走った女の子もいる。
聡明さを武器に、既存の社会と戦った女の子もいる。
今とそんなに変わらないんだろうな、と思いました。

さて、大正ロマンというと、やはり竹久夢二が象徴的存在なのですが、
他の抒情画家の作品も、何とも言えぬ風情を漂わせていて素敵でした。
優しく、寂しげな画風は、時代を超えて乙女に好まれるものでしょう。

ハイカラで和洋折衷な大正文化。
遠くて近い、しかし近くて遠くもあるから、面白いです。
(戦争を知らない世代のわたしは、激動の時代に生きた人々の逸話を聞くたび、
想像力の限界を思い知るのだった。
武田百合子の生涯における戦争の影響を考えた時のように、
その心情の変化が分かるような気もするけれど、
所詮甘っちょろい感覚で、当時の人の気持ちを真に悟ることは無いように思う。
池上さんがTVの番組で、バブル経済は、はじけた時の大騒ぎを知らない世代が、
気付かずにまた繰り返すので、数十年ごとに来る、と言っていたけれど、
それと同様にわたしたちの世代は、
無知の為にまた危うい方向へ傾いてしまうかもしれないから、
過去の戦争をよく学んで、用心しないといけないね)


   ***********************


避けられない対人関係のストレスのために、またも苦しんでおります。
“眠り姫”の幼名を持つわたしとしたことが、ここ数日、不眠気味。
夢の中でも心安らかにはなれず、目が覚めてもぐったり。
で、裏日記をつけることにした。
喜びも苦しみも幸せも悲しみも、心のまま、率直に書きますぜ、
死後焼却のこと、というリアル日記。

武田百合子さんも「富士日記」を清書する際に、慎重に取り除けただけで、
原本では人の悪口くらい書いていただろうから。
(友達への手紙では、さらっと悪口書いてますもんね)
わたしなどの場合は、文学作品でも私小説でもないし、
自分と向き合うための道具にすればいいかなって。
毎日つける気もないし、気がおさまらない時だけ、文字を綴ればいいって。

そう考えて軽い気持ちで書き始めたら、5時間ノンストップ。
冒頭から苦境の説明やら事態の分析やら。濃い濃い。
とりあえず今日の苦悩を形にして、
読み返したら…結構面白いんだな、これが。
そういうのを書いたら、破り捨てた方がさっぱりする、という意見もあるけれど。
赤裸々な人の悪口って面白いんだもん!
あたし、ちょびっと文才あるかもしれない!と自画自賛したり。
(↑その辺り、もうノンフィクションではなくなっている)
門外不出ものではありますが、少し前向きな気持ちになって筆を置いたのでした。

武田百合子さんが好きで日記を書こうと試みるというのは、
彼女の天賦の才を思うと、恥ずかしいことなのかもしれない。
けれど、やっぱり憧れちゃうのだ。
自らの負の感情も否定せず、全部受け入れる、その大きさに。
人間なんだから、恨んだり怒ったりする時もあるし、
心が折れなければ、いつかは回復する。
それでいいのよね。

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『百合子さんは何色』

2010年04月05日 | 
百合子さんは何色―武田百合子への旅
村松 友視
筑摩書房

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虚実入り混じった雰囲気というのは、確かに武田百合子の文章に見られることである。
「富士日記」では生を謳歌する、積極的でエネルギッシュな日々が綴られているが、
読み手は日常的に垣間見える死の淵の描写などに、度々ドキリとさせられる。
百合子さんって、どんなひとなの?
喜怒哀楽を素直に表しているけれど、時折ふと虚無的なものも感じる。
頭でっかちなインテリには敵わない、無の心と、肯定感。
「富士日記」はシンプルであるがままの生活を描いた、私的日記のように見えるけれど、
本当はすごく複雑で、奥行きの深い作品なのではないかしら?

武田泰淳の妻として、また秘書代わり、口述筆記者、運転手として、
それに花さんの母として、多忙な日々と送っていたはずの百合子さん。
「富士日記」以前の人生のステージで、様々な表情を見せる百合子さん。
生前の百合子さんを知る人々の言葉が集まるほど、さらに謎が深まるのだけれど、
不思議と“そういうもんだ”という気もする…。
矛盾も全部ひっくるめて、武田百合子というキャラクターなのだって。
喫茶店の「ランボオ」で働いていた、戦後の闇雲な時代も、
「富士日記」で見られる、元気で無鉄砲な作家の妻の時代も、
どこかで通じているような、そんな感想を持つのでした。

ちなみに、上の本は図書館から借りました。
下の本は、出版社が増刷したタイミングを見計らい、購入。
(こちらの感想はブクログのsayukiの本棚にあります)

KAWADE夢ムック 文藝別冊 武田百合子

河出書房新社

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最近は、武田百合子さんの著書だけではなく、こうした研究本も読んでいます。
でも読み終えると、また「富士日記」や「犬が星見た」を
読み返したくなっちゃうんだよな。
危ういのに健やかだったりと、アンバランスなところが魅力的。


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