実家から長崎の我が家へ移動中なのです。
嬉しいような、淋しいような。
連休の最中、上野を経由して羽田空港まで行くかと思うと、身構える気持ちもあり…。
(行きは飛行機・電車ともそこまで混んではいなかったですが)
それにしても車窓から見る風景は、俯瞰だと妙にジオラマっぽく見えるような気がします。
ちょうど本城直季さんの写真集みたいに。
ビルや家並み、公園やお寺などが、人工的だけど無機質ではない、手作り感溢れる景色のように感じられる。
地球規模で考えてみると、人間は実に小さくて、健気な生き物なのだなあ。
陸地の上を支配しているようだけど、建物を建てたり壊したり、森を切り開いたり海を埋め立てたり、限られたスペースの中でちまちま動いている訳なのね。
無限に大きくて手に負えないように感じる問題も、そうして人の営みを俯瞰してみると、少し縮小して考えられる気がする。
道に連なる車も、通り過ぎる踏み切りも、田植えのトラクターも、ショッピングセンターに向かう人々も、家々のベランダにはためく洗濯物も、皆等しく、遠くて小さくて、愛しい。
まあ、自分が人混みにいれば、様々な思考が入り混じった空気が近すぎて苛つくし、傲慢な人間に会って失礼なことを言われれば、この愚民め、お前なんか○○野郎だ!と思ってしまうものなのですが。
わたしもまた、小さな人間なので、なかなか悟れませんわね。
嬉しいような、淋しいような。
連休の最中、上野を経由して羽田空港まで行くかと思うと、身構える気持ちもあり…。
(行きは飛行機・電車ともそこまで混んではいなかったですが)
それにしても車窓から見る風景は、俯瞰だと妙にジオラマっぽく見えるような気がします。
ちょうど本城直季さんの写真集みたいに。
ビルや家並み、公園やお寺などが、人工的だけど無機質ではない、手作り感溢れる景色のように感じられる。
地球規模で考えてみると、人間は実に小さくて、健気な生き物なのだなあ。
陸地の上を支配しているようだけど、建物を建てたり壊したり、森を切り開いたり海を埋め立てたり、限られたスペースの中でちまちま動いている訳なのね。
無限に大きくて手に負えないように感じる問題も、そうして人の営みを俯瞰してみると、少し縮小して考えられる気がする。
道に連なる車も、通り過ぎる踏み切りも、田植えのトラクターも、ショッピングセンターに向かう人々も、家々のベランダにはためく洗濯物も、皆等しく、遠くて小さくて、愛しい。
まあ、自分が人混みにいれば、様々な思考が入り混じった空気が近すぎて苛つくし、傲慢な人間に会って失礼なことを言われれば、この愚民め、お前なんか○○野郎だ!と思ってしまうものなのですが。
わたしもまた、小さな人間なので、なかなか悟れませんわね。
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