そば切り 井月庵

趣味ではじめた、そば打ちの日記です。蕎麦で遊ぶ、蕎麦に遊ばれる日々 のはずが・・・ランタン、ストーブ、模型工作などへ

平成29年の年越し蕎麦 新年あけましておめでとうございます

2018年01月03日 | 日記

2018年 新年明けまして、おめでとうございます。

 昨年の年越し蕎麦は自家栽培、自家製粉の手打ち蕎麦を配ることができました。1.5kgを5回打ったのですが、30日の夜9時から打ち始めて、休み休み蕎麦打ちをしていたら31日の朝4時。片付けをして袋詰めをしたら、結局6時になってしまいました。

 最初の1回は12枚だたみにしたのですが、切りが至らないため、上下での麺線が揃わない結果となってしまいました。麺体自体も堅めのため、包丁の切れ味も今一つの様に感じました。しっかり垂直に、手前にスライドさせて切らないと上手く切れないことを実感しました。

 人にお渡しするお蕎麦なので、練習を兼ねる訳にはいきません。仕方がないので8枚だたみで切ることにしました。

 切りが揃わないお蕎麦は仕方ないので温かいお蕎麦として召し上がっていただくことにしました。前回の試作の結果、細打ちでも十分にシッカリしたお蕎麦になる事が判りましたので、細めのお蕎麦にしました。(と言ってもそれ程、細くはありませんが。)

 31日の午後2時までに各家を一年のお礼とあいさつを兼ねて回りました。

 

 不揃いや、重量が150gに足りないお蕎麦が4人前有ったので、年が改まって1月2日の昼に食べて、年越し蕎麦は全て終了。

 かなり黒いお蕎麦です。

玄蕎麦の殻がかなり挽きこまれています。

切りくずも、残さずニシンそばにして頂きました。

 お蕎麦の栽培、製粉を自分ですると、たとえ3cmの切れ端でも大事な蕎麦粉なので粗末にできません。

 良く、練習蕎麦で、食べずに捨てる話を聞いたりしますが、営業のための練習であれば致し方ないと思いますが、趣味の蕎麦打ちで食べ物を粗末にする事は、許される事では無いと思います。もし、それが必要な趣味の練習だとしたら、それはヒトとして間違っているのではないでしょうか。

 変な話になってきたので、この辺にして。

 

 1月2日は満月です。 空気が乾燥して雲がありません。 こんな夜は写真を撮らなくては。

 新年の満月をひとりで撮影していると、飲み過ぎて火照った顔に寒さが染みて目が覚めます。

 


五十にして悩む

2017年07月04日 | 日記

15歳が志学、30歳で自立、40歳で迷わず、50歳で天命を知るのが孔子の論語なのですが、井月庵の場合は、迷いっぱなし。

1.5kgの蕎麦打ちを制限時間内(40分)で終える事がどうにもできない。

1kgなら何とかなったのに、1.5kgはかなりハードルが高いです。2回ほど打って、64分、59分とほとんど一時間係っています。

水回しも、延しも、切りも更に素早くしないと間に合いません。一体全体、どうしたものかと悩みます。

 

まあ、以前は、1kgも60分くらい係っていたので、練習すればムダを省いて早く打てるのかもしれませんが、15人前ともなると流石に毎週打つわけにもいきません。

お蕎麦を分けて歩いても、貰う方にも都合があるのは、打っている本人が一番解るのですから。

 

梅雨に入って、暑いし結局、2週間は打たず。蕎麦打ちの録画ビデオを観て妄想にふけるのが関の山でした。

 

 

 NHKの「100分で名著」と言う番組で「維摩経」をやっていました。日本の大乗仏教の源典と言えそうな内容は非常に興味深く

一切に捉われない。その教えさへ再構築して観ろというお話しで、維摩が釈迦の高弟達を「半沢直樹」の様にバッタバッタと切り捨てていく。

興味を持ったのが運の尽き、NHKのテキストだけに飽き足らず、「梵漢和対象・現代語訳 維摩経」6,480円也をポチってしまいました。

 

「こだわらないのがこだわり」を信条にしている井月庵としては当に色即是空 空即是色が工事で使うカラーコーン。それもてっぺんに穴が開いている形と似ていると思いました。(うーむ、何を言っているのか解んないなぁ)

 近頃、蕎麦打ち段位は競争じゃないという意見を多く聞かれます。一方、明確な目標になるのも事実。小学生の運動会で手つなぎ徒競走を見て、なんかツマンナイと感じてしまうのと同じような。だから、井月庵は蕎麦打ちは「競争だけど競争じゃない、競争じゃないけど、競争」でいいんじゃないかと。大体、段位という階級制度自体が競争じゃん。

 あれ、これって悪く言えば、ご都合主義? でも井月庵は蕎麦打ちに「蕎麦道」というより「只管打坐」として向き合いたいと思います。

 

ああ、人生折り返し地点に来てしまった。 折り返し地点で迷っているから、元来た道を進むとは限らない。もしかして180度、360度回転してしまうかもしれない危うさだ 。

 井月庵は天命を知ることは一生ないのではないかと思う今日この頃(中二病か)

 


旧暦の2月16日(3月12日)は井月忌

2017年03月11日 | 日記

井月庵の由来でもある井上井月さんが旧暦の2月16日に伊那で明治20年(西暦1887年)に66歳で亡くなられたそうです。

今から130年前の事になります。

辞世の句は 「何処やらに 鶴(たづ)の声聞く 霞かな」と言われていますが、これは以前に詠んだ句だそうです。

もう一つ「闇き夜も花の明かりや西の旅」という句も伝わっていて、瀧勝寺の過去帳には

「発句師塩翁斎柳家井月居士 二月十五日 井上勝蔵 六十五年」とあるそうです。

 

 ということで、井月さんを偲んで夕飯前に一杯

 「井月全集 第5版」という書籍も持っているのですが、読みやすさ、持ちやすさ、お酒を飲みながら「春」の発句をあれこれと拾い出して朗読するには岩波文庫が手ごろでいいです。(と言っても税込み1100円するけど、1冊あれば一生もの、何度も読める。いや、全部一気読みは私にはできない)

 

  「涅槃より一日(ひとひ)後るる 別れかな」

  「曙は常にはあれど春の富士」

  「春の野の酢みそにあはぬ草の無(なし)」

   当然、一杯では終わらず、年の初めに焼酎につけた込んだ檸檬酒を味見して(2杯)、お燗で1本 テレビでも偲ぶ話が聞こえてくる。

  

  「転寝(ゐどね)した腕のしびれや春の雨」

   まだまだ いっぱい

 


「だしの神秘」を読みました

2017年02月10日 | 日記

ここ1週間ばかりかけて、昼休みに「だしの神秘」伏木 亨(朝日新書)を読んでいました。

昼飯を食べて、半分眠りながら読んでいると、239ページの本でも一週間かかりました。

 

 京都大学の教授が書かれた本なので、理屈好きの井月庵には持って来いです。「なぜ」・「だから」という表現で主に昆布だしを軸に話が展開しています。(京都の人なので昆布だしメインなんだろう。)

 詳しい本の内容は、実際に手に取って読んでいただいた方が良いだろうと思いますので省きますが、「おお!美味しい蕎麦には美味しい汁が欠かせない。寧ろ美味しいつゆで無ければお蕎麦の満足感は得られないのではないか!!」という事に思い至りました。

 解釈が間違っていたらすみませんが・・・・

 

  動物は生きるために食物(エネルギー)を取らねばなりません。そこで、動物は生まれながらにして、また食事環境・経験によってエネルギーとなる食物を選択・摂取するそうです。 「うまみ」、「エネルギー」、「匂い」の三拍子がそろった場合、脳内にドーパミン神経興奮作用が生じ、「やみつき」(中毒)症状が出るということでした。

 「だし」にも上記の「やみつき」作用をもたらすとの事です。

 

 そこで井月庵、ハタと・・自分の打った蕎麦を皆さんに「おいしい」と褒めてもらいたいなら、美味しいお汁を提供しなければいけない。蕎麦が少々まずくても、お汁が旨ければ「また食べたくなるハズ」と思った次第です。

 幸い、静岡には焼津という日本有数の鰹節生産地があり、由比・蒲原には鰹節業者も多いのだから。「やみつきのおつゆ」も作りやすいのではないか? 仕事帰りに、削節屋さんによって、厚削り節と宗田節の併せパックを購入(自分流に調合するほどではない。所詮素人)「昆布、昆布、昆布・・」と探すと・・・・・

 あったのは「日高昆布」のみ。まあ、いいや。コチとら駿州人。まて、濃い口醤油で作るそばつゆには、日高の方が奥ゆかしいのかも。ダメなら家の干しシイタケも入れてみるかな・・・・ 

 干しシイタケは甘汁は美味しくなるけど、辛汁には合わないと思うから・・・・他人に配るなら辛汁だし。などと自問自答

 いや、家族をまず「やみつき」状態にしなくてはいけない。蕎麦の打ち方ばかり考えていては行き詰ってしまう。

  

  蕎麦を打つ → 美味しいつゆで「やみつき」にする → 更にいっぱい蕎麦を打つ → 美味しいお汁で更に「やみつき」「井月庵!旨いよ。もっと蕎麦くれよー」と言って貰える。 → 更に蕎麦を打ってそば打ちも上達する。

  これだ! 6年目にして気が付いた。 

 

 蛇足:

 「だしの神秘」コラム1に究極のだしの引き方が記載されています。 ここで使う鰹節は「薄削り」もしくは「花鰹」でしょう。鰹節とだけ記載されていて、厚削りでもいいのか?と突っ込みたくなりますが、そんな人は、井月庵か、このブログを見ている方ぐらいでしょう。95℃で2分なのだから。

 更に蛇足:

 2日ほど前、「そば切り井月庵」のブログの閲覧数が急激に伸びた。伸びたといっても日に10数人程度であったのが、数100人になったという程度である。が、どうしたものか数倍になって2,3日で鎮静化し、いつものカッコウが鳴き出してホッとした。最初は「すわ!攻撃されているのか!」とちょっとびびった。正直の上に「バカ」を付けて生きたいと思っているが、粗忽なので、ややこしい事も多い。

 

 

 


恵方の覚え方を考えた

2017年02月04日 | 日記

昨日は節分

22cm位ある太巻きを黙ってかぶる何て馬鹿げている。井月庵は嫁に自分の分を2cm幅にちゃんと切て貰っていただいた。

恵方巻き何て、コンビニの策略だし、もともと静岡にはそんな風習は無かったのだから、食べやすく食べと方が美味いに決まっている。

 

が、「恵方」= その年の福の神が居る方向 というのは別に知っていても損はなさそうだ。

 調べてみると

1)恵方は4つしかない。  北北西やや北、東北東やや東、南南東やや南、西南西やや西 の4つ。面倒なので「やや」は端折ってもいいだろう。気になるなら、「2つ出てくる方角にやや」位に覚えておけばいい。

  時計の文字盤にすれば、11時、2時、5時、8時 の十字方向

2)10進法である。 さて、陰陽五行で10種類に分けられて、ちょうど10進法で巡るらしい。ということで西暦の一番下の数字(下一桁)でその年の恵方が判る事になる。

  下一桁が 2、7 は11時方向の2回

  下一桁が 4、9 は2時方向の2回

  下一桁が 1、3、6、8 は5時方向の4回

  下一桁が 5、0 は8時方向の2回      おや、福の神は5時の方向(南南東やや南)に10年の内4回も居るのか。 

3)指で十字を切る。 11時の方向に向いて、縁起のいい5時の方向に立ち、指でまず自分を指して、「1」次に「前後右左」に「2、3、4、5」と唱えると1セットの恵方が判る。「6」からは「1」と同じでもう1セット「6」で自分を指し、「前後右左」に「7、8、9、10」と唱えればいい。

  (前=11時、後=5時、右=2時、左=8時)

 お相撲さんが、懸賞金を貰うときに手で「ちょんちょん」とやったり、「恋ダンス」の振り付けみたいな感じである。

ほら、これで西暦何年でもその年の恵方が判る。

井月庵は早速、カミさんに

 「生まれ年って何年だっけ?」

 「196*年よ。」

 「じゃあ、君の生まれた年の恵方は南南東だったんだ」とやってみた。

 「へぇ~」 

   少しばかり、真に少しばかりであるが、井月庵の分の巻きずしが大きくなった気がした。