そば切り 井月庵

趣味ではじめた、そば打ちの日記です。蕎麦で遊ぶ、蕎麦に遊ばれる日々 のはずが・・・ランタン、ストーブ、模型工作などへ

練習蕎麦の行方(ゆくえ)

2018年05月23日 | 蕎麦打ち

昨日、5月はブログを更新しないぜ!

とあれだけ豪語していたのに、時間と気持ちに余裕ができると途端に朝令暮改である。

タイトルを「練習蕎麦のゆくえ」と書くと、不穏な空気が漂う。

素直に取れば、誰かに配ったのだろうとか、4食そばで過ごしたとかありそうであるが「行方」である以上もっと不穏でないといけない。

だとすると・・・捨てたのか!

 

 実際は、とろろ+大根おろし、+納豆+揚げ玉+ネギを載せて「ぶっかけそば」で家族を巻き込んで完食しただけであるが。3日目の蕎麦もこのようにして食べてしまうと「大概、うまい!」というか、蕎麦本来の味わいは遥か彼方に霞んで行く。

 そば打ち趣味なのだから、最初の1日目は「もりそば」でありたい。

しかし家族は食傷気味である事は否めない。いくら食べ物だから大事にしないといけないと言っても、「美味い」うちが華である。

無理に食べるのも、食わすのもあんまりだ。人間にも、食べ物にも礼を逸してしまう。

 井月庵の場合、全ての蕎麦が練習蕎麦である(営業の蕎麦屋では無いという意味でも)。何回か一度の練習で打ち直すことをここ7年で3回行った。打ち直して練習する場合は、「もったいないがその蕎麦は処分するのが妥当」と考える。

 手や道具には非常に多くの雑菌が付着しているし、冷蔵庫があっても無くてもリスクが急激に増大すると考える。

 3年ほど前に「食品衛生責任者」(1日講習で誰でも取れる?)の講習を受けているが、食べ物が「大切」という事と「安全」は別物だ。一方だけに偏れば、隣の大陸の食品事情だって問題ないことになってしまう。

 練習蕎麦で何回か打ち直したモノは本人が個人的に個人の責任で食すのは止められないが、他人に提供するのはNGと言いたい。

 

 

 話が脱線するが、最近の将棋ブームに乗せられて「行方」と書くと「ゆくえ」では無しに「なめかた」(行方八段)が浮かんでしまう。茨木県の行方市(こちらは「なめがた」か?)や福島や岡山にも「行方」があるらしい。いずれにせよ、行く末、未来と考えると「何かスゴイ」

 練習蕎麦に未来なんてあるのか?!

 ちなみに、井月庵は何回か打ち直してしまった練習蕎麦は、細かくバラシて畑にすき込んでしまうのがせいぜいである。

 

 

 5月22日(火)夕方にスズムシの飼育箱を覗いたら、4匹に増えていました。