2015年(平成27年) 4月30日(木)
今日は、4月末。
思えば(別に思うまでもない話だが)、今日で4月も終わりだ。
このところ、私は、部屋に居着かない。(・・・居着けないと言うべきか?)
春の陽気がそうさせる・・・?
少々、気持ちが浮き立っているのかもしれない。
(2月12日(木)ノートより)
ふと、思う。
墓参りに行かねば・・・!!
→ (4月30日現在、結局、まだ行っていない。)
今、酒とタバコにおぼれている。
体調不良。・・・当然だ !! (出るのはため息ばかり)
弟は仕事、 私はゴロゴロ、金も無し。
料理は出来ず、役立たず。
そんなこんなで、私に生きていく価値なぞあるのだろうか?
こぉ~んなぁ男にぃ~、誰ぇがしたぁ~♪
何かせねば、何かせねばと思えども・・・。
風呂に行った。
大鏡に白髪の老人が映っている。
どうやら、あいつは、私の真似をしているらしい。
ふと、「幽霊船」の文字が浮かぶ。
なぜ、『幽霊』ではなく、『幽霊船』なのか、よく分からない。
今年の7月、私は69歳になるはずだ。
まだ、70歳には、ほど遠い。
あと、1年と3ヶ月弱。
伊勢崎でずっとテレビを見ていた。
「加藤茶さん、72歳。 妻彩菜さん、27歳」
何だ、私も、まだまだ捨てたものでもない。・・・などと。
閑話休題
人には本来
『我が師、我が神、我が仏』を求める欲求があるのかもしれない。
人とは、どう言いつくろおうとしても、所詮は、か弱い存在なのだ。
稲盛和夫さんと五木寛之さんの対談集
「何のために生きるのか」を読んでいて、そんなことを考えた。
「必死になって頑張っても、出来ないものは出来ない。
が、うまくいく時は、あれよあれよという間に話がまとまってしまう。」
みみずくの夜メール2 五木寛之
・・・力を抜いて、しっかり生きようなどと。
明日、何かやる予定もないのに、今から何かやらねばと、気もそぞろ。
明日のことを考えて、今日を費やす。
なら、今日はどうなってしまうのか?
考えてみれば、バカな話だ。
自己裁量の時間がある事に、いまだに慣れていない。
結果、時間を無駄に費やす。
二度と戻らぬ時間だ。
時間を有効に過ごす勉強をしなければ・・・。
と、考えている間も時は過ぎていく。
たばこ屋さんの前に立つ。
店員さんが私を見て、「あぁ、いらっしゃい」と言い、
ニコリと笑顔を見せて、「ロングピース」を差し出す。
この店は、まだ2度目だ。
いやいや、何はともあれ、「他人が、私を識別してくれる」 という事実。
ちょっぴり気分がいい。
人間は他人に知られてナンボだという側面がある。
誰でも、生きていくために、自身の存在感というものが必要なのだ。
もっとも、犯罪者とか、追われる身にとっては、迷惑この上なしとなるのだろうが。
・・・ウン、これが両面性ということか。
物事には表があり、裏があるということなのだろう。
「具合が悪い。ここが痛いと散々言っても、それで具合が良くなるかい?」
天風先生は、なおも言う。
「自分で考えても、考え切れないことはするな」と。
考え切れないことを考えるのは、どうせ考えられないのだから、
文字通り不要なことだ。
勝負に勝つということは、その人の人生全体を通して、勝つか負けるか
ということが問われるべきであり、長い人生の間にある、細かい節々の
一つひとつに勝つか負けるかというのではないのである。
「中村天風の経営哲学 勝ち運をよぶ心の力」
天風会 元専務理事 清水榮一 著
今日は、4月末。
思えば(別に思うまでもない話だが)、今日で4月も終わりだ。
このところ、私は、部屋に居着かない。(・・・居着けないと言うべきか?)
春の陽気がそうさせる・・・?
少々、気持ちが浮き立っているのかもしれない。
(2月12日(木)ノートより)
ふと、思う。
墓参りに行かねば・・・!!
→ (4月30日現在、結局、まだ行っていない。)
今、酒とタバコにおぼれている。
体調不良。・・・当然だ !! (出るのはため息ばかり)
弟は仕事、 私はゴロゴロ、金も無し。
料理は出来ず、役立たず。
そんなこんなで、私に生きていく価値なぞあるのだろうか?
こぉ~んなぁ男にぃ~、誰ぇがしたぁ~♪
何かせねば、何かせねばと思えども・・・。
風呂に行った。
大鏡に白髪の老人が映っている。
どうやら、あいつは、私の真似をしているらしい。
ふと、「幽霊船」の文字が浮かぶ。
なぜ、『幽霊』ではなく、『幽霊船』なのか、よく分からない。
今年の7月、私は69歳になるはずだ。
まだ、70歳には、ほど遠い。
あと、1年と3ヶ月弱。
伊勢崎でずっとテレビを見ていた。
「加藤茶さん、72歳。 妻彩菜さん、27歳」
何だ、私も、まだまだ捨てたものでもない。・・・などと。
閑話休題
人には本来
『我が師、我が神、我が仏』を求める欲求があるのかもしれない。
人とは、どう言いつくろおうとしても、所詮は、か弱い存在なのだ。
稲盛和夫さんと五木寛之さんの対談集
「何のために生きるのか」を読んでいて、そんなことを考えた。
「必死になって頑張っても、出来ないものは出来ない。
が、うまくいく時は、あれよあれよという間に話がまとまってしまう。」
みみずくの夜メール2 五木寛之
・・・力を抜いて、しっかり生きようなどと。
明日、何かやる予定もないのに、今から何かやらねばと、気もそぞろ。
明日のことを考えて、今日を費やす。
なら、今日はどうなってしまうのか?
考えてみれば、バカな話だ。
自己裁量の時間がある事に、いまだに慣れていない。
結果、時間を無駄に費やす。
二度と戻らぬ時間だ。
時間を有効に過ごす勉強をしなければ・・・。
と、考えている間も時は過ぎていく。
たばこ屋さんの前に立つ。
店員さんが私を見て、「あぁ、いらっしゃい」と言い、
ニコリと笑顔を見せて、「ロングピース」を差し出す。
この店は、まだ2度目だ。
いやいや、何はともあれ、「他人が、私を識別してくれる」 という事実。
ちょっぴり気分がいい。
人間は他人に知られてナンボだという側面がある。
誰でも、生きていくために、自身の存在感というものが必要なのだ。
もっとも、犯罪者とか、追われる身にとっては、迷惑この上なしとなるのだろうが。
・・・ウン、これが両面性ということか。
物事には表があり、裏があるということなのだろう。
「具合が悪い。ここが痛いと散々言っても、それで具合が良くなるかい?」
天風先生は、なおも言う。
「自分で考えても、考え切れないことはするな」と。
考え切れないことを考えるのは、どうせ考えられないのだから、
文字通り不要なことだ。
勝負に勝つということは、その人の人生全体を通して、勝つか負けるか
ということが問われるべきであり、長い人生の間にある、細かい節々の
一つひとつに勝つか負けるかというのではないのである。
「中村天風の経営哲学 勝ち運をよぶ心の力」
天風会 元専務理事 清水榮一 著