80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

カレーライス

2015年05月12日 21時05分48秒 | 考える
ここ一週間ほど、頭痛がとれない。
どうやら、先も見えてきたな・・・、などと、気が弱くなる。


カレーは完璧な仕上がりだった。   
少なくとも、私本人にとっては・・・。

が、しかし、彼はカレーが、あまり好きではなかったらしい。
先日、自ら、レトルトカレーを食べていたのは、
単に他に食うべきものがなかったからに過ぎなかったようだ。

それを、こちらが、勝手に勘違いしていたようだ。

知っていれば、一言、言っていてくれたら・・・。
カレー一つ作るのにも、時間と金が使われている。


いや、無理して、義理で食うことはない。
でも、喜ばれもしないものを、せっせと作るというのは
作る方としては本意ではない。
   


多分、本来は、私がそれを推測すべきだったのだろう。
二人で暮らしている以上、相棒の好き嫌い程度は
ちゃんと把握しておくべきだ。

私の責任なのだ。
ず~っと一人で生きてきて、未だに、人の心を読み取る技術を
マスターできていなかった。  


とは言え、出来れば無駄はやりたくない。
面倒だろうが、一言欲しかった。
まぁ、そんなことは、今さら愚痴にも値しない。



自らの行為、行動に正当性が認められれば、
それで総てが解決というものではない。

総ての行為、行動には、表裏二面がある。  
ある集団で認められた行為、行動が、
別の集団において、当然認められるとは
限らない。

新しい集団にあっては、再び、同様に周囲に
認知される必要があるはずだ。
ただ、通常はお互い、なぁなぁで、何となく認知されてしまう。

しかし、本来は、お互い、エスパー同士でもない以上、
そこの所は、ちゃんと説明しておく必要がある。


少なくとも知らされなかった当事者としては、
大きな屈辱(傷跡)として心の隅に残されるに違いない。

狭いアパートに同居して生活を続けていくには
少なくとも、互いの意思疎通が、最も必要なのだ。


およそ人は自主独立すべきものである。
すなわち自営自活の精神は、実に同胞相愛の
至情と共に、人生の根本をなすものである。
    【『渋沢栄一訓言集』 処事と接物】より


確かに、それに異論はない。
が、それはまた、互いの意思疎通の上に立って、初めて
「自主独立」と言うべきだろう。   



ある時 師曰く
「情報が溢れる中、何が正しく何が間違っているのか
断定するのが困難になってきている。
自分でこうだと思っても、人の視線や意見が気になって
実行に移せない人も多い。
しかし自分に正直に生きたい。
たとえ先が見えないときでも、人生にはこういう勝負どころ
というのが必ずある」
    「船井論語」-成功篇-  
       舩井幸雄述・中島孝志著  (ダイヤもモンド社)