80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

まだ見ぬ、愛すべきパートナーに。 (あるいは独り言)。

2015年05月11日 19時27分39秒 | 考える
私は、残りの人生を、格好良く生きていきたいと思う。
より良い反応、高い評価を勝ち取るために。

惨めな姿で、他人に、同情、共感を求めて、生きていくのはごめんだ。


自分の行動、行為が、幾らかでも他人に影響を与えることが
出来たらと願う。
しかし、現実問題、その実感がまるでない。

世のため、人のために働きたい。
ただ、そう言っているだけでは、何も進展しない。

現実問題としては出来はしないが、出来たとして、
その先は、どうするのか?
どうすべきか、どうにかなるのか?
その先を考えていない。


いずれも 「自己満足」 の域を出ない。
他人への影響にせよ、ボランティア的行動にせよ、
相手のあることだ。
相手がどう考えているのかは、神のみぞ知る。


上から目線の、自分の行為は、相手にとって大迷惑である
可能性だってある。
考えてみると、自分が他人に与えた影響などとは、ただの
イメージでしかない。
むしろ、ダメージである事すら考えておく必要がある。

こちらの働きかけに対して、受け入れるも、拒絶するも、
結局は相手の意志一つだ。


残りの人生は、せめて格好良く生きていきたいと思う。
周囲の、より良い反応を引き出すために。
そして自己満足のために。

男とは、そうあるべきではないだろうか。


さりとて、共感が欲しいからといって、惨めなところをさらけ出し、
同情を誘うなぞ、決してあってはならないことだ。


などと、言ってはみたものの、裏返して現実に目を向けてみると、
私自身、「要介護」の可能性に、戦々恐々としている昨今なのだ。

どうやら、私の意志、私の意欲にかかわらず、時は過ぎていくらしい。


一念にして鬼神の禁を犯し、
一言にして天地の和を傷(やぶ)り、
一事にして子孫の禍を醸すものあり。
最も宜しく切に戒むべし。


有一念而犯鬼神之禁、一言而傷天地之和、  
一事而醸子孫之禍者、最宜切戒 (前集一五一)

ふとした出来心が神のおきてを犯し、
ちょっとした一言が社会の平和を壊し、
ささいなことが子孫にまでわざわいをおよぼすこともある。
くれぐれも細心の注意をして行動すべきである。

   (「知識ゼロからのビジネス菜根譚」幻冬舎刊 より)