80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

今年は「人生、整理・整頓」の年にしよう (その2) 会社時代

2017年01月17日 06時21分08秒 | 考える
※ ごめんなさい!! 標題を指し違えてしまいました。
標題のみ「訂正」→ 入れ替えました。・・・ 内容に変化はありません。
 

感謝と本音、そして建前・・・今、思うこと。

多少、重なるが、私の会社時代

たまに医者帰りに、三度目に勤めた「会社」に寄ってみることがあるが、
私の退職後も何の不都合もなく、むしろ快適に、会社は動いている。
(もっとも、それは当然、・・・そうでなくては困る。)

ならば、私の存在は、会社にとって、何の意味もなかったのか?

いやいや、それでは、あまりに自分がみじめだろう。
個人的に、勝手に言わせてもらうなら、
会社、初(?)の「メール室」の立ち上げに関わることができたこと。
このことが私自身の人生、「最大の成果」だったと思う。

会社、総務部、総務課、メール室。

無論、上司、役員の決定と、周囲のフォロー、後押しがあってのことだが、
メール室の立ち上げには、今はもうお亡くなりになった T 調査役のお力、
そして微力ながら、多少、私自身の経験が役に立ったと自負している。


もっとも、よくよく考えてみれば、それすら、たまたまの事であり、
当事者が、私以外の誰であっても、何の不都合もない。

つまり、私にとっては、真実、「幸運」の二文字、そのものだったと言える。

が、幸運も運のうち、私は、この幸運を、自身の功績として受け取っていいと
思っている。


私が印刷を経験していたこと。
その会社が閉鎖することになり、職探しの最中だったこと。
さらに、会社の求める人材が、印刷を行うための人材であったこと。

「独りよがりだ」と言わば言え。

確かに会社全体にとって、私は微々たる存在であったかもしれないが、
私個人にとって、「メール室」は、大きな生き甲斐を提供してくれた。


大感謝である。

私の 「印刷経験」 を拾い上げて、入社を許してくれた役員の方々に、
そして、こんな私に付き合ってくれた会社の仲間たちに、
今さらながら、感謝、・・・大感謝 !!


また、その土台となる印刷技術を与えてくれた印刷会社。

さらには、そのまた印刷会社に入るための人間関係、考え方を
じっくりと教えてくれた、初就職のメッキ(真空蒸着)会社。

これらの会社で、私は、人生の、そして仕事の大切さ、楽しさ、さらには、
「自身の可能性」を学ぶことができた。


これらの体験は、今後もずっと、私の人生に、大きな力、そして支えとなって
くれるものだと思っている。


風来居士、過去の、そして今後の、お前の人生に バンザイ !!
・・・てのは、まだ、いささか早すぎるか?

まぁ、今後を見ていてくださいと言うべきだろう。

まだ、夜明け前(?) ・・・午前6時20分。
(今日は、何故か、ちょっぴりハイテンション・・・だ !! )

今年は 「人生、整理・整頓」 の年にしよう。 (定時制時代)

2017年01月16日 16時52分14秒 | 考える
感謝と本音、そして建前・・・今、思うこと

定時制夜間高校時代

毎晩、定時に仕事を終えて、50ccのバイクで、一路、県道を学校に向かう。


片道、40~50分? 
どうだったかな・・・?
・・・30分ほど かかったかなぁ?

会社の同僚に若い女性は不在、
・・・なんて言うと、お姉さま達に叱られそうだが、
少なくとも、私と付き合ってくれるような、未婚の女性はいなかった。

もっとも、たとえいたとしても、多分、その時間が取れなかったのじゃあ
ないだろうか。


学校で・・・?
残念ながら、男子校だった。


私の存在証明ならぬ 「存在理由」 を考えてみる。

私は何をするために生まれてきたのか?

よくよく考えてみれば、そんなものがどこかに隠してあるはずもなく、
総ては、後から自分自身が積み重ねてきたものに過ぎないのだが、
その積み重ねの断片の中で、今の私を支えている といったもの、
それを確認しておきたいと思うのだ。

働くことで得たものは、周囲の人との暖かい関係。

実際、仕事は、何度か変えているけれど、本当に嫌だと思った先輩、
同僚には、未だ出逢っていない。

こんな自分を思えば、これだけでも、考えられぬ大幸運だ。  

で、その対価として、「私が何かを残し得たか」 というと、何ともお寒い限りだ。

それを、ずうっと考えているのだが、これというものが、何も思いつかない。
 


・・・もっとも、このまま、人生を終わるつもりはさらさらない・・・!! 
・・・現在のところは。

70歳の正月 (昔々の成人式・大安) に考える。

2017年01月15日 18時14分28秒 | 考える
本日、天気は上々、よく晴れている。
が、やたらに寒い・・・!!

それはともあれ、年初め、「もと成人の日」(爺さんのこだわり)

例年同様、まずは自分の才能を信じてみる。
とりあえず、嘘でもいいから、本気で信じてみる。


正しい方法を知り、
正しいやり方で、
他人よりも、ちょっとでも早く始めたら、何とかなりそう。


そんな気がする・・・てのが、まぁ、正直なところだ。
本当は、私には出来そうにないことを追い求めるより、
自分に合った方法で・・・て事になると、とりあえず逆手で・・・。


で、出来そうなって・・・何だ?

とりあえず、考えてくことにして、
まずは、「思い付き」を形にしていく。

他人のことに目を向けず、
のんびり、マイペースで、
ゆっくり動き、のんびりと形を整えていく。


まぁ、そんな具合でいいのではないだろうか。

でないと、またまたいつか、足がもつれ、転倒という羽目になりかねない。

それにつけても、寒い !!
昨日の転倒が響いて、やたら胸が痛む。


体全体が凍り付いて、一度躓いたら、どこまでも、ころころ転がって
いきそうな、そんな気がする。
表を歩いていると、足が凍り付いて、また転倒するような気がする。

どうやら、ここずっと続いている寒さに、気が弱くなっているらしい。
昨日までは、そんなことは、少しも考えていなかった。


人は、気持ち、あるいは考え方で、どうにでもなる動物なのかもしれない。
とにかく、考えるより、書くより、まずは実践するか、しないかの問題だ。


例年のごとく、 ・・・年明けの抱負?  ・・・何だ?

また虚生の憂いを懐(いだ)かざるべからす・・・菜根譚より
・・・またこの人生を空しく (無駄に) 過ごしてしまうのではないかという
恐れを持たなければならない。 前田信弘

「知識ゼロからのビジネス菜根譚」 (幻冬舎) より


年甲斐もなく、またも転倒

2017年01月14日 19時37分44秒 | 考える
コミュニケーションとは、財布と切っても切れない(?)関係にある。 
友人あるいは仲間という他人。

まともに生きていこうとなったら、どうしても、ある程度の金は
必要となる。
  

どんな大会社であっても、いや、なればこそ、所詮、人間同士、
個人と個人の集合体だ。
人と人との結びつきが基本となる。


仲間、そして客の居る場所を求めて行動してみる。

とは言え、余計な事に手を出してはいけない。
その余裕も、体力もない。

実は、今日、道路の向こう、バス停に止まったバスに
乗ろうとしてパッと駆けだした。 

そのつもりだった。

現実は、いやはや、駆けだしたとたん、足がもつれて、
朽ち木倒しにその場で転倒。
 

額までは打たなかったが、胸を思い切り、路面に打ち付けてしまった。 

どこかに書いたかも知れないが、以前も同様のことがあった。
これで3度か4度目・・・。
転び方も、結構手慣れた(?)ものだ。


さらに、寒さのため、着ぶくれていた事も、幸いしたのかもしれない。

そばを歩いていたおばさんが、びっくりして駆け寄ってきた。

「大丈夫・・・?」
「はい、大丈夫です。 ありがとうございます。」
「気をつけてね。」
「ええ、ありがとうございます。
 時々やるんで、もうけっこう慣れていますから。」

おばさんが、どう思ったかは、定かではない。


とは言え、現在、あの衝撃のせいか、胸のあたりが、ひどく痛む。

バスの中で、何やら 「メモ」 を取るつもりだったのだが、
この転倒で、どっかへすっ飛んでしまった。


いったい、私は、何を思いついたのだろうか? 

まぁ、いずれにせよ、もう若くはない。
よくよく気をつけねば・・・。


一応は、反省する風来居士であった。 

酒は飲みたし、金は無し。
とは言え、これでは、酒どころではない。

金無くて、酒も飲まずに、転倒虫。

ある意味、奥さんが、そばにいなくて良かった。
何を言われるか分かったものじゃない。

奥さん (いないけど) に心配をかけないくらいの、ゆとりある生活。

とりあえずは、ともかく、現状を、最大限に有効利用・・・(?) 

今は、夕食を考える時間だ。
夕飯に、パワーの出る一品を・・・。  

でも、なぁ~、70歳に、本当に恋は似合わないのか・・・?
気力だけで、体力は補えない。


まぁ、今さら恋でもあるまい。
まずは、自らを知れ。
 

生活のパターン

2017年01月13日 17時56分20秒 | 考える
人それぞれに 「生活のパターン」 というものがある。

それはよく分かるのだが、ほんのちょっとした行き違い、
ちょっとした行動のほつれが、思わぬうちに大きな裂け目をこしらえる。
そんな事がある。


他人を私自身に置き換え考えてみる。

幻想と日常。
自分自身、気にもならない小さな狂気。
じわりじわりと人の心を蝕んでいく。


人と人とを結びつけるものは何だ?
信頼関係・・・かなぁ?


自身に「救い」を持たせたうえで、突き放してみた。
しかし、正直、「他人の求める救い」に気付くほどの余裕が、今の私にはない。

隣に寝転んでいるパートナーの心すら、測りかねている状況だ。
これから一体、どうなっていくのだろう?
測りかねている。


物も人も、使わなければ、触れなければ、使い減りすることはない。
とは言え、たまには 定位置を変えてみるのもいい のかもしれない。



赤ちゃんを抱いたお母さん、幼児を膝のお父さんと、バスで一緒になった。

お母さんの胸に抱かれた赤ちゃんは、何も言わないが、一生懸命、手を伸ばし、
身をよじり、いろいろと吸収しようと・・・、いや、吸収している。


いい感じだ。
多分、私にも、あんな時期があったのだろうな。
ふと、そんな事を思った。

間もなく、3時。
冬とはいえ、まだまだ陽が落ちるには早すぎる。


私の人生もまだまだ、そして、まだ・・・。
・・・だよ・・・、なっ・・・?