80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

私は、一体何がやりたいのか?

2017年01月12日 16時42分54秒 | 考える
2017年1月12日 (木)
晴れ、・・・しかし寒い!! 

取りあえず、出来る出来ないは別の問題。
今、やりたい。  
その気持ちを大切にして生きていきたいと思う。

風来街道、迷いの辻・・・さてと、お前はどっち行く?
まぁ、どっちでもいいけど、前を向いていてくれ。
取りあえず、ほら、足元に水たまり・・・。
 

「大吉」 ・・・そうそう、うまくはいかないと思っていながら、
脳の半分、ちょっとウキウキ・・・、 
何となくうまくいきそうな・・・、

そんな気がぁしてぇ~   ・・・馬鹿な私~ぃ・・・~ 

実際、私は、何物なのか?
アリバイ・・・じゃない!! 存在証明・・・、
自己確認の必要性がある。

私は、一体何がやりたいのか?

それはともかく、今の私に何が出来るのか?
それを求めて、50年間を生きてきたような気がする。


仕事は約50年間続けてきたが、今、手元に残ったものが何もない。

そんな風に感じられてならない。

やはり、男一匹、何かを残して、
映画
「シェーン」 のように、
かっこよく、去って行きたいと思うではないか。
 

で、何かとは、一体、何だ・・・??  

こだわるな

2017年01月11日 20時12分31秒 | 考える
こだわるな・・・。
もっと自由に・・・。
先も短い (?) 事だし、取りあえず、残りの半分、
あと、35 年を真摯に生きてみろ・・・ !! 

思うに、自由にとは、一体どうする事なんだろうか?
と、今さら、そんな事を考えている。

その実、頭のどこかで、あと何年、現状が保てるだろうか?
などと、考えている自分をも意識している。

やはり、どこかで、不安なのだろう・・・。
希望と現状とが、完全に一致していない不安。

しかし、どこまでも、可能性は存在する。 
未来は不確定だ。

で、私は、自分の可能性を信じる。
そのためにも、「今、現在」を生き抜いていかねばならない。

私と他人と、何から何まで異なる個人と個人が、何かを共有して、
共に生きていく。  

その辺りから、しっかりと頷けないような気がしている。

お互い、頼み込んで生まれてきたわけではない。
(もっとも、前世を知らぬ、知りようがないので、本当の事は判らない。)
とは言え、現在に至る70年間には感謝している。
生んでくれた両親、育ててくれた両親、そして周囲の人々・・・。


今さら、慌てて、人生を構築しなおして、生き直す必要などはない。
このまま、のんびりと何もせずに人生を終わらせるのもいいかもしれない。

ただ前屈みの生き方はごめんだ。
胸を張って生きていきたい。
 

他人の眼、他人の口を気にして生きるのはどうしたものか。
いやいや、自分が良ければ、それはそれでいいではないか。

嫌になったら、自分の人生だ、自分で調整、もしくは端から調理しなおせば
いい。
もともと、自分が料理下手なのは、承知の上。
 
先もないのに、いちいち、ビクビクしてなんか生きていられるか。
残り30年の命が、3年に縮まってしまう。

・・・なんて、少し恰好つけすぎかも知れないな。

でも、まぁ、あくまでもこれは先の話、理想なのだから・・・。

(・・・と、こっそり。 ・・・ここは、読まないで。) 

肩の力を抜いて

2017年01月11日 09時43分59秒 | 考える
70歳、今さらどんな事も、大して意味を持たない。

8:10 寝起きに冷えたコーヒーを飲みながら、ふと、そんな事を考えた。 

自分の行動に、いちいち、無理矢理、意味を持たせる必要などないのでは
ないか?


ただ何となく生きていく。
無駄ばかり重ねて生きていく。


まぁ、それは、それでいいのではないか。
もともと、人が生きているというのは、そういったものではないだろうか。 

確かに、功成り名をなせば、それなりに利益はある。
他人には誉められ讃えられ、思わぬ(?)ものも手に入るだろう。

しかし、何も出来なかったからと言って、それまで一生懸命に生きてきた
人間を責める奴はいない・・・いや、少ないはずだ。
 

人は誰しも、生まれて初めて生きている。
常に「初体験」を生き続けているのだ。


70歳になろうが、100歳になろうが、それは何ら変わりがない。
ちょっとしたミスや、戸惑いがあったからといって、誰が責められようか?
その責めている人、責めている事自体が、当人にとっては初体験だろう。
 

そんな事を考えた。 


外に出掛けようと、セーターを探している。 
探していた茶色のセーター、見つけたセーターが緑色だったとしても、
大して困ったことにはならない。
いや、それが赤や、ピンクだったら、ちと問題かも知れないな。


もっとも、そんなセーターは我が家にはいてない・・・はずだし、
あったにしても無視すればいいだけの話だ。


別に、それを着て街に出てもさしたるトラブルにはならないとも思う。
たかだか、「変な爺さんがいるな」と、囁かれるぐらいだろう。



何か、この頃、書く事=考える事に、確たる自信がなくなってきている。

まぁ、それもこれも、初体験ですから・・・と逃げる。

うん、うん、これは、我ながら 「うまい」手 を思い付いたな。 

今後、大いに活用しよう。


成人の日に思う

2017年01月10日 07時01分01秒 | 考える
カレンダーによれば、今日、1月9日は「成人の日」らしい。
「成人の日」は、1月15日、その前後ではなかったか?
私はちょっと違和感を感じて、調べてみた。 

ウィキペディアによれば、
成人の日 : 1月第 2 月曜日
成人の日 (せいじんのひ) は、日本の国民の祝日の一つである。
ハッピーマンデー制度により、1月の第2月曜日があてられている。
1999年(平成11年)までは1月15日だった。 

成人の日は、国民の祝日に関する法律 (祝日法) 第2条によれば
「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝い
はげます」ことを趣旨としている。

本来、成人の日は、前年の成人の日の翌日からその年の成人の日までに
誕生日を迎える人(例:1998年の新成人の場合は1997年1月16日から
1998年1月15日までに20歳になった人)を祝う日だったが、
2000年(平成12年)のハッピーマンデー制度実施以降では、前年の4月2日
から、 その年の4月1日に成人する人を対象にする、 いわゆる「学齢方式」
が定着するようになっている。  

<歴史>
・ 1999年まで
1948年公布・施行の「祝日法」によって制定された。
制定から1999年までは毎年1月15日だった。
成人の日を1月15日としたのは、この日が小正月であり、かつて元服の儀が
小正月に行われていたことによるといわれている。

・ 2000年から
ハッピーマンデー制度導入に伴い、2000年から1月第2月曜日、つまりその
年の1月8日から14日までのうち月曜日に該当する日に変更された。
1月第3月曜日にはならなかった。  そのため元々の1月15日には法律を
改正しない限りやってこなくなってしまった。


何のことはない。
いつの間にやら、法律が変わっていたらしい。
まぁ、本来は、真夏の7/24が成人式であっても、別段何の差しさわりもない。
ただ、いきなり、今年から (・・・正確には、17年前なのだが)、 成人の日は
1月第2月曜日 = 1/9ですと言われても、戸惑う人もいる・・・(私だけか !!)
のではないか。 ・・・「戸惑い人間、現在募集中です。」 


振り袖姿の女性。 
今日、1月9日(月)は「成人の日」
新成人の諸君、おめでとうございます。 
人生とは、一瞬一瞬の積み重ね。
これからは、自分の手で、人生を構築していくことになります。

駅前(?)広場に、祝いの太鼓の音が響く。
勇壮な響き、胸躍り、血が沸き立つとは、このことだろう。
何か、踊り出したい気分になる。
私は、これが大好きだ。
手先で調子を取る。


すぐ横で餅つきをやっている。 

それにしても、いつの間に、成人式の日程が変化してしまったのか?
(まぁ、それは「上記参照」ということだが、私に通知が来なかったのは
 一体、どういうことなんだ!! )


出会いを求めて、ふらふらと出掛けていくのだが、結果は、ご承知のごとし。
世界は、まるで私を必要としていないようだ。

まっ、恰好つけてみても、所詮 私は、ただの「風来爺さん」でしかない。
大人に成りきれなかった見栄っ張りの年寄りだ。


その名を呼べど、聴き取れず、
その名を知らず、聞けど答えず。
どのみち聞いても、忘れるさだめ。
顔知る仲間の声も無し。


見栄を張ってみても、所詮はその場限りの付き合いでしかない。
しょぼくれ爺様、何を気取ってみせる意味がある?

広場に群れる同年配の方を見るにつけ、自覚するのは自分の白髪。

兄もまた、同じ白髪だが、比べりゃ、落ち込むばかりなり。 
貫禄が、まるで違う。

両極端が、目に見える。


今日も私の目の前は、至極当然のごとく空席だ。

ホントにたまに、知る顔と同席しても、当方に話題無く、
相手の語りに頷くばかり。
返す言葉も見つからず、時間ばかりが過ぎていく。

あざけりの薄ら笑いを想像し、顔色ばかり気にかけて、こんなはずでは
なかったはずと、うなだれ姿を見せまいと、無理矢理笑顔で見送って、
あとの半日、行く当てもなく、カバンを肩に店を出る。


風来人生、ふと新発見。 

もともと出掛けなかったら、出逢いなぞあるはずもない。
自身に失望した、自信がないなどと、表に出ることを、極力拒んでいた。


ならば、今更、出逢いがなかったと悔やむこともなかろう。
そもそも自分の願望の総てが叶うはずもないことは承知していたはず。

今更、願望が叶わなかったとわめき散らすこともあるまい。
なまじ、目の前に他人が多いから、つい意識してしまっただけのことだ。

他人から無視されるより、こちらで無視する方が傷が浅いと思うのだが。
 

「新 成人」の向こうを張って、こちらは「新生 人」を演じてみようか。

[だらだらと、長くなってしまいました。 大反省・・・!!]  

可能性に生きる

2017年01月08日 19時49分48秒 | 考える
1月8日(日) 曇り ・・・ 午後から雨、氷雨。 

やたらに寒く感ずる。

新年を迎えて、まだ1週間しか経っていない。

なのに、もう行き詰まり・・・、書くことがない? 
いくらなんでも、これは早すぎやしないか?


だって、雨が降って、すっごく寒いんだもん。


初雨に 身をすくませて ペンを置く

初雨などという季語があったかな?
初雨 → 新年 → ・・・てのは?


午後からの冷雨・・・。
とにかく寒い。

こんな日は、煙草の減り具合が異常に早い。 

昼間、買って帰った煙草が、まだ 5 時にもならないというのに、
既に半分に減っている。

もっとも、私の場合、吸うというより、ふかすだけのことなので
こんな風にすることがないと、本数もはかどってくるのだろう。

とは、単なる言い訳・・・。 

いずれにしても、体に良くないだろうことは半分承知の上だ。
実際、この所、喉の奥がもやもやとして、咳がなかなか止まらない。

ならば、金もかかるし、やめればいいのにねぇ・・・。
とは言うけれど、吸っていないと、口元が寂しい。
・・・つまるところ、惰性なんだろうな。

にしても、寒い・・・!!
私も、歳なのだろうか・・・?



誰かが、言っていた。 

私たちは、自分の夢だとか、希望だとかいうことで、いつの間にか、
「自分の人生」を固定化して、その実現だけに集中しまっている。
あたかも、自分は 「夢の実現、それひとつに生きてきた」 かのごとくに。


本当は、他に、もっとずっと、自分を生かす道があるかもしれない。
生き方を固定してしまうより、もっと自由でもいいのじゃあないか。
そのほうが、ずっと生き甲斐を感じられし、可能性も出てくる。
 

なるほどなぁと思う。

もっとも、一つ間違えたら、どっちつかずに、人生を終えてしまうと
いう可能性もあるのだが。