80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

1月7日(土) 七草の逆アリバイ。

2017年01月07日 19時21分09秒 | 考える
確かにそこに存在していなかったという自己証明。 (不在証明)

よくよく考えてみると、結構長い間、生きてきたと思うのだが、
その間の、ちゃんとした 「逆アリバイ」 があるかと問われると、
薄ら寒いものを感じる。 

自由気ままに生きてきたと言えば、格好がつくかも知れないが、
その実、自分でも、どこで、何をしてきたかと考えると、
何とも頼りない。

現在、70歳の私が、健康に生きていられる意味。
69になるまで、ずっと支え、育ててくれた母に感謝 !!
 

それにしても、何で私なんぞを・・・?
などと言ったら、母に失礼かも知れない。
他人と比較して、母に釣り合うだけの実績がない甘えん坊。
結果、何もしてやれなかった自分に絶望感さえ感じている。


本屋で棚に並んでいる書籍の背を見ていて、ちょっとした「テーマ」が
ひらめいた。
 
その時に、すぐメモでも取ればよかったのだが、ちょっと手抜きをして、
さらにぶらぶらと店内をまわり歩いた後、店を出て、いつもの広場、
いつものベンチに腰を下ろして、メモ帳とボールペンを取り出した。 

さて、メモしておこうと思ったのだが、気がついてみたら、思いついた
肝腎の 「テーマ」 がどんなものだったのか、さっぱり思い出せない。

書店の本棚の間をぶらついている内に、肝腎要の思いつきがどこへやら、
吹っ飛んでしまったようだ。

どうやら、大分、呆けが進行してきたらしい。

なればこそと、呆け防止に、常に、メモを取るように決めたはずだった。


大失敗 !!

「失われた情報 (記憶) は、いつだって重要な情報」 なのだと言う。 

も一度、同じコースを辿ったら、何か思い出すかも知れない。
そう考えて、小走りに店に戻る。

先ほどの店内コースを歩いてみる。 
何を見ての連想だったのか・・・?

しかし、実際は、そうそう甘くはなかった。
そもそもどのようなコースで、店内を歩いたのか?
その記憶が、すでに曖昧だ。

もしも、これが殺人事件か何かのアリバイ証明だったら、大変なことになる。 

1月7日(土) のアリバイなし。 <・・・ かなり、強引ですね。> 

間違いなく、容疑濃厚、明日か、明後日の三面記事になりそうだ。


殺人容疑者・・・団地の部屋に籠もる。 (本紙スクープ!!) 

しばらくは、出歩くのを控えることにしよう。

にしても、私は、一体、何を思いついたのだろうか・・・?? 

今さらだが、気になって仕方がない・・・!! 

2017年 年明けに

2017年01月06日 12時37分34秒 | 考える
問題は長く生きることではない。いま、この一日をどのように豊かに、
気持ちよく、充実して過ごすことができるか、そのことこそ真に人間
らしい生き方ではないのか。  五木寛之 「こころ・と・からだ」より


今年のブログは、できることなら、なるべく定期的に発信していきたい。
しかし、独りよがりにならぬように !!
毎日のブログを発信していく。

まだまだ、70歳になったばかり。
少々、早すぎる人生の幕開け、というべきだろう。


気持ちは気持ちとして、実生活は、私が何を思おうと、どう考えようと、
周囲、環境は、それなりに動いていく。

どんな文章も、とにかく、まずは書かねば、読んでもらうも何もない。
さらに言えば、それが、書かれたものが、他人様の目に触れなければ
読まれようもない。


そもそも誰にも読まれぬ文章に価値を感ずる人間はあるまい。
とは、多少なりとも他人様に自分の文章を読んでいただけるようになって
きた(?)からこそ言えることなのかも知れない。


朝、自分のブログを覗いて、びっくり・・・!! 
読者はこういうのを望んでいるのかもしれない・・・などと。

( 自分の行為としての対価だろうか・・・ ? )

無論、早合点は禁物だ。
さりげなく、さりげなく、 ・・・ちょっぴりニンマリ

翌朝は、元に戻ってちょびっと残念だったが、
・・・やはり・・・な、とも思う。

まぁ、年明けのお年玉だったということなのだろう。
新年、連続の快晴・・・、快適 !!
出だし快調。


今年は、母にしてやれなかったことを忘れないようにしていこう。
とは言え、私の勝手な思い込みかも知れないが、いつまでも
いろいろ引きずって生きていくというのも、母の意思ではない。
・・・と、そんな気もしている。



お立ち寄りの読者の皆様に感謝・・・!!!!! 
・・・「ブログ」に感謝・・・!!!!

自分の元気に感謝・・・!!


常に感謝と初心を忘れずに、今年も頑張って更新していこう。

本年もどうぞよろしくお願いします。

新年度 本格始動

2017年01月05日 17時26分08秒 | 考える
2017年 (平成29年) 1月5日(木) 晴れ
 
自分が 「老人」 であるという自覚。 
年長者というほうがいいのかな?


何だかんだと言っても、結局は人生とは有限なのだ。
他人は他人、
他人のことは置いておいて、まずは自分の人生に集中しよう。

100歳、200歳まで生きると言ってはみたものの、
正直、この先、どれだけ生きていられるかは、天のみぞ知る。
あと30年か、50年か・・・?
 

結局、私は、自分自身に自信が持てないから、他人事に首を突っ込んで、
気をそらしているだけのことかもしれない。

今日は1月5日、明後日が7日・・・当たり前か。 

七草(ななくさ)とは、人日の節句(1月7日)の朝に7種の野菜が入った粥を
食べる風習のこと。


春の七草のひとつ・・・菘 (草冠に松・すずな) ・・・ 蕪 (かぶ) の別名…だとか。
ふ~ん・・・。 (何を今さら !!) 

蕪だけでも準備しておくか。
取りあえず、「春の一草」、他は財布と、成り行き次第。 

条理の世界から、非条理の世界へ。

今は…、そう、私はいない事になってしまっているのかも知れない。
存在を否定された存在。
何やら、ごちゃごちゃと、探し回っているうちに、自己の存在感自体が薄れて、
あやふやになってしまっているようだ。

う~ん、知らぬは、本人ばかりなり・・・とか。

風を待つ。 ・・・私を、どこかへ吹き飛ばしてくれるような強い風を。

む~・・・、それも、結局、風任せ、他人任せに、運任せ・・・か、 
だから、何も完成しないのかも知れない。
 

他を頼るな!!
頼るべきは己自身。
 

であれば、良いことも悪いことも、総ては他人のせいではない。
自分、自らが生きてきた結果、その証だ。
 

だとすれば、だからこそ、
その時こそ、良いことも、総て堂々と受け入れ、受け取ればいい。 
何を、こだわることがあろうか。

手を広げすぎるなよ

2017年01月04日 12時49分57秒 | 考える
2017年 新年早々、夢の話。 

1月4日(水) 朝方、夢を見た。
考えてみると、今年に入って初めて・・・。
「初夢」だ。

人混みの中を歩いている。
初詣だろうか? (・・・これは、とってつけ。)
ただ、集団の中を、まわりの人につられて歩いていく。 

不意に、すぐ後ろから声がかかった。


「・・・手を広げすぎるなよ。」 

振り返ると、顔見知りのお年寄りが私に話しかけている。
どうやら、ずっと、私と一緒に歩いてきたらしい。
まわりにも、何人か見知った方々が連れだって歩いている。  

気がつかなかったが、私に声を掛けてくれた方は、
どうも、先ほどからずっと私に話しかけていたらしい。


私としては、不意を突かれた感じで、
「はいっ・・・?」 と聞き返す。 

が、声を掛けてくださったご老人は、すでに私の横を通り過ぎ、
お仲間と話し始めている。

重ねて声を掛けづらい状況に戸惑っている内に、
ふと気がつくと、私は独り、人混みの中に独り取り残されていた。  ・・・

どうしようかと考えていると、不意に目が覚めた。 

何故か、胃袋の辺りが、妙に冷たい。
体の中、他の部分はそれなりに暖かいというのに、
妙に冷たい感じがしてならない。


時計は5時を指している。
・・・まだ外は真っ暗だ。

部屋の中は電灯で昼間のように明るい。
どうやら、消し忘れて、そのまま眠ってしまったらしい。 

再び、布団を頭から被って、身を丸めて考える。


「・・・手を広げすぎるなよ。」

一体、どういう意味なのだろうか? 
どうやら、前から話しかけてくれていたのを、
気付かずに聞き漏らしてしまったらしい。

残りの人生はそれほど長くはないのだぞ。
もっと集中して生きろよ。


そういう意味なのだろうか?


今度また出会ったら、ちゃんと最後まで聞いてみる必要がある。 

引用文・・・新年のご挨拶代わりに その4

2017年01月03日 13時14分52秒 | 考える
年頭に際し,昨年のブログに引用させていただいた文章を
ランダム (手あたり次第) に並べてみました。 (その4)  <敬称略>


「きみの小説も読んだよ。
ところで何が書いてあったかさっぱり思い出せない。
いいかい、小説というのは、一行でもいいから、
読者の記憶に残るところがないとだめなんだよ。」
里見 [弓偏に享](とん) (有島武郎の弟) ・・・瀬戸内寂聴 「奇縁まんだら」 より 

みみ ・・・主役は無芸でもやれるが、ワキ役は芸達者に限る。 
噛みしめて味わいのあるのもワキ役であることは、
映画や演劇をみれば分る。
吉行淳之介 『女のかたち』抄 より 

「生きるとは めぐりあう喜び。」
瀬戸内寂聴 「奇縁まんだら 続」 本の帯から 

起こることは すべて 必然必要
・・・船井幸雄  

「こころよさ」こそが、名文であることの大きな要素の一つである。
八木義徳 「文章教室」 沈黙と虚無 ― 『「風流」 論』 より 

日本という国では、一般の傾向と異なることをする、自立的に動く、というのは危険である。
常に全体のなかに自分を際立たせないように位置づけておかねばならない。
と言っても、日本人は個性がないとか、自分のことを考えないというのではない。  
一体感的関係を優先させながら、そのなかで自分の欲することをしたり、 個性をあらわすことを考える。 
・・・(略)
大切なことは、合理的論理的に思考し、その自分の考えを適切に相手に伝える、ということである。     
河合隼雄 『「人生学」 ことはじめ』 より 


http://leadconsulting.jp/mail365/
小谷川拳次さん 「稼ぐ思考術」 は上記よりどうぞ。