平野啓一郎著『私とは何か「個人」から「分人」へ』を読みました。
彼によれば、「本当の自分」「個人」というのは幻想である。人間にはいくつもの顔がある。家庭での自分、職場での自分、恋人や友人といる時の自分。彼はそれを分人と呼ぶ。私という人間はこれらの分人の集合体なのだと。
『誰とどうつきあっているかで、あなたの中の分人の構成比率は変化する。その総体が、あなたの個性となる。10年前のあなたと、今のあなたが違うとすれば、それは、つきあう人が変わり、読む本や住む場所が変わり、分人の構成比率が変化したからである。10年前には大きな位置を占めていた当時の恋人との分人が、今はもう、別れて萎んでしまっていて、代わりにまったく性格の違う恋人との分人が大きくなっているとする。すると、あなた自身の性格、個性にも変化があるはずだ。個性とは、決して生まれつきの、生涯不変のものではない』
『...しかし、分人が他者との相互作用によって生じる人格である以上、ネガティヴな分人は、半分は相手のせいである。無責任に聞こえるかもしれないが、裏返せば、ポジティヴな分人もまた、他者のお陰なのである』
『個性とは、常に新しい環境、新しい対人環境の中で変化していくものだ』
『私たちは、隣人の成功を喜ぶべきである。なぜなら、分人を通じて、私たち自身がその成功に与っているからだ。私たちは隣人の失敗に優しく手を差し伸べるべきである。なぜなら、分人を通じて、その失敗は私たち自身にも由来するものだからだ』
感覚でとらえていたものが言語化されたという感じ。自分と他者との関わりを改めて見つめなおすきっかけを与える本です。
彼によれば、「本当の自分」「個人」というのは幻想である。人間にはいくつもの顔がある。家庭での自分、職場での自分、恋人や友人といる時の自分。彼はそれを分人と呼ぶ。私という人間はこれらの分人の集合体なのだと。
『誰とどうつきあっているかで、あなたの中の分人の構成比率は変化する。その総体が、あなたの個性となる。10年前のあなたと、今のあなたが違うとすれば、それは、つきあう人が変わり、読む本や住む場所が変わり、分人の構成比率が変化したからである。10年前には大きな位置を占めていた当時の恋人との分人が、今はもう、別れて萎んでしまっていて、代わりにまったく性格の違う恋人との分人が大きくなっているとする。すると、あなた自身の性格、個性にも変化があるはずだ。個性とは、決して生まれつきの、生涯不変のものではない』
『...しかし、分人が他者との相互作用によって生じる人格である以上、ネガティヴな分人は、半分は相手のせいである。無責任に聞こえるかもしれないが、裏返せば、ポジティヴな分人もまた、他者のお陰なのである』
『個性とは、常に新しい環境、新しい対人環境の中で変化していくものだ』
『私たちは、隣人の成功を喜ぶべきである。なぜなら、分人を通じて、私たち自身がその成功に与っているからだ。私たちは隣人の失敗に優しく手を差し伸べるべきである。なぜなら、分人を通じて、その失敗は私たち自身にも由来するものだからだ』
感覚でとらえていたものが言語化されたという感じ。自分と他者との関わりを改めて見つめなおすきっかけを与える本です。
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